第54話 純粋な報恩


 ――リツァル住宅区。エテルオ孤児院。


 この日も若手騎士たちの訓練相手となるため、リェダは蒼騎士団本部へと向かおうとしていた。初めて本部へ赴いてから丸二日、午前中のことである。

 玄関ホールで異変に気づく。


「外が騒がしいな」


 子どもたちの見送りを受けていたリェダは、一度彼らを孤児院の奥に下がらせた。

 玄関扉を開ける。


 孤児院の前庭、その向こうの門扉前に、複数人の騎士が馬に乗ってこちらを伺っていた。完全武装である。物々しい雰囲気に、近隣の住民が「何事か」と視線を向けていた。


 ついに来るべきときが来たか。

 意外なほど冷静な自分に内心驚きながら、リェダは前庭を歩く。いつもどおりの歩調で、悠然とだ。すぐ後ろにティアロナも付いてきた。彼女はリェダと違い、足音に若干の殺気が混じっている。

 すると、向こうにも動きがあった。先頭の騎士が馬を降り、門扉を開けてこちらに歩いてくる。背格好に覚えがあった。


「朝早くにすまないね」


 兜を脱いで語りかけてきたのは、騎士団長ガルモサだった。

 リェダは言った。


「わざわざそちらから来られなくても、こちらから伺ったのに。今日は出勤日だ。入れ違いになっていたら、お互い困ったでしょう」

「その点は心配いらない。あなたたちがまだ孤児院にいることは知っていたからね」


 さらりとガルモサは言った。

 後ろに立つティアロナが警戒感を高めたのを、元魔王は感じ取る。


 リェダは、孤児院前に並ぶ騎士たちを見た。どこか達観していた元魔王の目が、状況を確認するうち、怪訝に細められる。

 集ったリツァル蒼騎士団の騎士たちは、皆重装備だった。馬にくくりつけた荷も多い。反面、リェダが予想していた、罪人を運ぶような鉄檻馬車の姿はない。

 まるでこれから、どこかへ遠征するような――。


「騎士団長殿。何があったのです?」

「あなたたちを迎えに来た。力を貸して欲しい」


 目を丸くする。後ろのティアロナと顔を合わせるが、彼女も同様の表情を浮かべていた。

 ガルモサは、孤児院に来てから表情を一切変えていない。


「手短に話そう。ブロンスト周辺で魔族が出た。以前、賢者エル・メアッツァ殿が山を吹き飛ばした辺りだ。噂で場所くらいは聞いたことがあるだろう」

「……!」

「以前も魔族が出現した場所だという。ブロンストから人が送られ、調査を続けていたが、どうやら全滅したようだ」

「……被害は。周辺の施設や街は無事なのか」

「仔細は不明だ。最前線が情報を持ち帰る前にやられている」

「それはいつ?」

「二日前だ」


 騎士団長のことだ。情報を知ってすぐ動き出したに違いない。

 それでも、二日間の時間的遅れは致命的なほど大きい。

 そんな重要な情報を、いち住人として生きるリェダたちに躊躇いなく喋った意味。


「改めて願う。リェダ、そしてティアロナ。ふたりにはこれから我々とともに現場へと向かって欲しい。これは私の考えだが、相手は一筋縄ではいかない。実力者がひとりでも多く必要だ」

「それは命令ですか?」


 ティアロナが口を挟んだ。彼女の後方では、騒ぎを聞きつけた子どもたちが、孤児院入り口の扉にすがって不安そうにしている。

 ガルモサは首を横に振った。


「私はリェダを雇用したが、騎士にしたわけではない。指揮系統の外にある。だからこうして、個人的に『依頼』しにきた」


 リェダは騎士団長から視線を外し、街道上で待機する騎士たちを見た。よく訓練されて整然と並んでいるが、表情は落ち着かない。今すぐ出立したいのに、どうして団長はそこまでリェダたちに固執するのか――そう思っているように見えた。


「孤児院を留守にしろと?」

「申し訳ないが、我々から人は割けない」


 数秒、元魔王と騎士団長の視線が交錯した。


「お断りする」


 静かにリェダは応えた。


「俺たちがリツァルに来たのは、子どもたちを危険から護るためだ。子どもたちだけ残すのは本末転倒。あなたの『依頼』は受け入れられない」

「そうか。――わかった」


 意外にも、騎士団長はすぐに引き下がった。リェダの今後の雇用についても、一切言及をしてこなかった。まるで、断られるのがあらかじめわかっていたかのように。

 ガルモサは踵を返す。肩越しに、彼は小さく言った。


「お互い、護るべき者を護ろう」


 騎士団長は騎乗すると、配下の者たちを連れて街道を走っていった。その様子を、リェダはティアロナとともに見送る。


「妥当な判断です、リェダ様」


 ティアロナが正面を向いたまま告げた。


「我々の正体が騎士たちにバレないためにも、長時間行動を共にするのは避けるべきでしょう。それに、


 リェダには【無限充填】にストックされた転移魔法がある。

 旧エテルオ孤児院へなら、その気になれば一瞬で向かうことができる。わざわざ騎士団の行軍速度に合わせる利点はない。

 ティアロナは言った。


「ですから、そのようになさる必要はございません」

「……そう見えるか」

「はい。フラーネやエルが心配なのでしょう」


 魔界で副官として優秀だった元部下は、やはり今でも優秀だった。


 ――行けるならすぐにでも駆けつけて、この手で不届き者どもを制圧したい。そうして、教え子たちの危険を少しでも減らしたい。

 そういう考えを、リェダが頭の片隅から捨てきれないでいることを、ティアロナは見抜いていたのだ。


 リェダは片手で顔を拭った。眉間に皺が寄っていた自らの表情を、ほぐす。

 院長の仕草を横目で見て、ティアロナが目線を下げた。


「申し訳ありません、リェダ様。私がもっと早く、孤児院の後任を選んでいれば状況は違っていました」

「謝るなティアロナ。それに関しては我も同罪だ。今、このまま孤児院を開けるわけにはいかん」


 リェダは踵を返す。固唾を呑んで見守る子どもたちの元へ向かう。


「驚かせてしまったな。仕事は中止だ。今日は家にいるからな」


 見上げる子どもたちの頭を撫でる。

 すると、ひとりが不安そうに言った。


「先生。あの人たち、騎士さんだよね。魔族、来るの?」

「大丈夫だ。この街は安全だ。俺やティアロナが、絶対にお前たちを護る」

「でも、フラーネお姉ちゃんやエルお姉ちゃんはこの街にいないんでしょ?」


 子どもたちは顔を見合わせた。


「先生。俺たちはだいじょうぶだから。お姉ちゃんたちを助けてあげてよ」

「しかしだな」

「心配だよ、俺たち」


 皆の揺れる瞳に見つめられ、リェダは微笑んだ。


「大丈夫だ。お前たちの姉は、ふたりともとても強い。きっと自分の力で切り抜けられる」

「でも、先生……もしかして先生は、あの騎士の人たちに付いていきたかったんじゃないですか……?」


 年長の子がおずおずと、しかしリェダの目をしっかりと見つめながら言った。


「何だか先生、迷っているように見えたから」

「……」

「昔も、孤児院の誰かが危ない目や大変な目に遭ったとき……先生、すごく真剣な顔してた。今も、ちょっと、それと同じ顔に見えます……」


 時折思う。

 子どもたちは、何と鋭いのかと。


 ちらりとティアロナを見る。

 優秀な元部下は、その瞳に確固たる決意をのぞかせていた。リェダが出るなら、自分も行く。ひとりでは行かせない――リェダがいつ強制送還されるかわからない状況を、ティアロナは重く重く受け止めている。

 もし自分の与り知らぬところでリェダが消えてしまったら、後悔してもしきれない。そう彼女の表情は語っていた。


 リェダは子どもたちの背中を押した。孤児院の中に戻るよう促す。

 不安そうな子のひとりが、ふと、表情を輝かせた。そのまま、リェダの脇を通り抜けて駆け出す。孤児院の門扉の方だ。


 振り返ると、先ほどまで騎士たちがいた門前に、今度は別の荷馬車が二台、停まっていた。荷台から降りてきた人物に、孤児院の子が抱きつく。


「リートゥラおねーちゃーん!」

「久しぶり。元気にしてた?」


 優しく抱き留め声をかける金髪の少女。エテルオ孤児院を卒業し、新しい人生を歩み始めたリートゥラだった。彼女の隣にはすっかり元気を取り戻したフェムもいる。

 思わぬ来訪者に、孤児院の面々はいっとき不安を忘れて湧き上がった。リートゥラの前に人の輪ができる。


 リェダとティアロナの姿に気づくと、金髪少女は淑やかに一礼した。


「お久しぶりです。リェダ先生、ティアロナ先生」

「ああ。リートゥラも元気そうで何よりだ。しかし驚いたぞ。連絡もなしに――」


 そこで、御者台で馬を操っていた人物と目が合う。黙礼した彼らに、リェダは覚えがあった。

 アンゲル・ロフィとデアナ・ロフィ。フェムの実の両親で、リートゥラの養親となってくれた人たち。

 禿頭魔族によって氷漬けにされたものの、エルの魔法と薬によって無事快復したと聞いていた。以前顔を合わせたときと比べて少し痩せているものの、血色は良く、元気そうだ。


 夫妻は荷馬車を降りると、リェダの前で揃って深々と頭を下げた。


「先生。その節はお世話になりました。あなたのおかげで一家皆、元気に暮らせています」

「俺の力じゃない」


 リェダは微笑んで答えた。養親に代わり、リートゥラが口を開く。


「そんなことないですよ、リェダ先生。フェムを助けてくれたのは間違いなく先生ですし、エルさんが手を差し伸べてくれたのも、先生がいたからです。おかげで、こうして皆揃ったんです。お父さんとお母さんも」


 お父さん。お母さん。

 そう口にしたときのリートゥラの顔を、リェダは感慨深く見つめた。どうやら彼女は心の垣根を完全に乗り越えたらしい。

 リェダはかつての教え子の頭を撫でる。懐かしい感触に、リートゥラも目を細めた。


「そういえば、リートゥラ。一家揃ってどうしてここに」


 リェダはたずねた。

 リートゥラは義両親――今はもう、本当の両親も同然か――に視線をやった。アンゲルたちはうなずき、表情を改めてリェダに言う。


「実は、ブロンストの近くで魔族が大量発生したと通達がありまして。できるだけ街を離れるよう、指示があったのです」

「……! ブロンストは今どうなっている?」

「私たちが避難を開始したときは、まだ被害は発生していませんでした。うちには子どもも老齢の人間もいましたので、早めの避難を、と」


 アンゲルはもう一台の荷馬車に目をやる。そこにはフェムの祖父母の姿があった。リェダと目が合うと、彼らもまた深く頭を下げる。


「親族の伝手を頼り、ここリツァルに避難してきたのですが、先生たちもこちらに移転されたと聞いていましたので、まずはご挨拶にと」

「わざわざ……。そこまでせずとも、家族の避難を優先してもらって構わない。ただ、おかげさまで子どもたちは嬉しそうだ。礼を言いたい」


 いえ、とんでもない――と再び頭を下げてから、アンゲルは目に力を込めた。


「実は避難の直前、我が家に勇者フラーネ様がおいでになって。畏れ多いことに、私たちの見舞いをしてくださいました」


 騎士団の歓迎会があった日、リートゥラたちに会いに行くとフラーネが言っていたことを思い出す。


「そこで、リートゥラが勇者様からお話を聞いていたのです。『先生が新天地で苦労しているようだ。もしリツァルに来ることがあれば、力になってあげて欲しい』と」

「フラーネが……」


 ふと、リートゥラがじっと見上げていることに気づく。聡明さをたたえる瞳が、リェダの葛藤を貫いてくるようだった。リェダは少しだけ、視線を外した。

 世話になった男のわずかな仕草に、アンゲルは敏感だった。


「先生、もしや今、何かお困りなのではないですか? 我々に何かお手伝いできることがあれば、おっしゃってください」

「何を言うか。あなたたちは避難してきた人たちだ。助けが必要なのはあなたたちの方だろうに」


 リェダが言っても、アンゲルたちは真剣だった。

 そのとき、孤児院の年少の子が声を上げる。


「せんせーね、すごくつよいの。だからフラーネおねえちゃんたちを助けてほしいの」


 それを皮切りに、孤児院の少年少女たちが口々に同様のことを訴え始めた。


「私たち孤児院の子がいるから、先生がここを離れることができずに悩んでいるの。本当は先生だって、今すぐにでもフラーネさんやエルさんを助けに行きたいと思ってるはず。私たちが自立できないばっかりに、先生の足枷になってる」


 リートゥラに代わって年長となった少女が、皆の言葉をまとめる。

 リェダが否定の言葉を口にする前に、アンゲルとデアナの夫妻が手を握ってきた。


「先生。私たちに孤児院の面倒を見させてください」

「何だって」

「ご覧のとおり、我々は当面の生活ができるだけの持ち合わせがあります。そちらのご負担にはなりません。大人の目も四人分あります。それに、リートゥラもフェムも、孤児院の子どもたちとはずいぶん親しくさせていただいた。おこがましいことかもしれませんが、我々以上に適任はおりません」

「……」

「お願いです。どうか我々に機会を。あなた方にご恩返しする機会を与えてください。お願いします」


 三度、頭を下げてくる。

 その場の全員の視線が、リェダに集まった。


 元魔王とともに魔界で多くの敵を屠ってきたティアロナは、目元に苦笑を浮かべた。

 元魔王は心の中で告げた。


 ――まさか我々が、純粋な報恩に救われるとはな。


「願ってもないこと。エテルオ孤児院の皆を、よろしく頼みます」


 リェダもまた、頭を下げた。

 必ず帰ってくる――とは、言えなかった。


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