第27話 兆しと結果
――エテルオ孤児院。院長室。
この日も気持ちの良い晴天だが、少し風が強かった。
執務机で書き物をしていたリェダは、小さくガタガタと鳴る窓を見た。
「院長。今日は子どもたちを早めに屋内にいれますか?」
自身も書類に目を通しながら、ティアロナが言った。
「今日は風が強いです。小さな子は風邪を引いてしまうかもしれません」
「そうだな」
うなずきながら、なおも外を見続けるリェダ。
ティアロナは話題を変えた。
「リートゥラとロフェ一家との交流。順調のようですね」
三日前、馴染みの商人に頼んでブロンストまで行ったリートゥラ。
ロフェ邸での出来事を嬉しそうに話す彼女を、リェダとティアロナは微笑みながら聞いたものだ。
リェダは書類に視線を戻す。今、ティアロナと一緒に作成している書類が、まさにリートゥラの里親関連のものだった。
結構、かかってしまったなとリェダは思う。それはティアロナも同感だったのか、書類をパラパラとめくりながら目を細めて言った。
「やはり、過去のしがらみがあると難しいのですね。人間社会というものは。こればかりは魔界の方がシンプルです」
「ま、否定はできない」
他の子どもたちを里子に出すなら、ここまで書類に気をつかう必要はなかっただろう。
だが、リートゥラはエテルオ孤児院でも特異な出自の持ち主だった。
あの子のフルネームはリートゥラ・レティ。普段、リートゥラは口にしないが、その家名はかつて、没落して取り潰しになった貴族に由来している。リェダはその事実を、存命中のエテルオから聞いていた。
そして、今回里親に名乗り出たロフェ家は、貴族時代のレティ一族に仕えていたのだという。
リェダとティアロナは、ロフェ家の主アンゲルから密かにそのことを打ち明けられている。
リートゥラとフェムが出会ったのは偶然だが、我々にとってはこれこそ運命だ――以前、面談したときに夫妻は泣きながらリェダに言っていた。
かつての主従関係が関連していることは、リートゥラやフェムには伏せている。過去に関係なく、心から家族になりたいと夫妻が考えているためだ。リェダもティアロナも、その意思を尊重している。
……が、その代わりに書類関係には頭を悩ませることになった。
「リートゥラには俺の方が世話になってきた。せめて、あの子が憂いなく新しい人生を歩めるようにしたい」
「そうですね。あの子には本当に苦労をかけてきましたから」
ティアロナはうなずいた。
彼女もリートゥラのことは特に気にかけ、慈しんでいる。態度の違いがフラーネと比べて顕著だ。
予想外に長くかかってしまったが、書類関係もそろそろまとまりそうだ。
リートゥラがロフェ家の一員、フェムの正式な姉となる日は秒読み段階である。
「今からお祝いの準備を始めましょうか。……ところで院長」
「なんだ」
「先ほどから外を気にされていますが、なにかあったのですか?」
「んむ……」
リェダにしては歯切れの悪い返事だった。
「ここのところ、妙な気配を感じるのだ。不快でありながら、どこか懐かしい空気を」
「懐かしい? まさか」
ティアロナが眉間に皺を刻む。そこには警戒と、困惑がある。
「お言葉ですが、私には魔界や魔族の気配は感じられません。確かなのですか、リェダ様」
「俺も戸惑っている」
リェダは言った。
魔族の出現――これまでも何度かあったようだが、リェダはその気配を事前に察知できなかった。
ツェーリ男爵に化けていた魔族は、エテルオ孤児院の子に実害が出たから動いたもの。
相手が接近すれば話は違うが、この広いナタースタ王国のどこかで出現した魔族の気配など、感じ取ることはなかったのだ。少なくとも、エテルオによって人間世界に召喚されて以降は。
ティアロナが執務机まで歩み寄ってきた。彼女は身を乗り出すと、声を落とす。
「リェダ様。それはもしや、リェダ様の力が戻ってきた証拠なのではないですか。魔界において、及ぶところなしと言われた魔王リェダーニル・サナト・レンダニア陛下。その力と感覚が、再びあなた様の身体に」
「……」
「もしそうだとすれば、リェダ様に残された時間は――」
リェダは片手を挙げて遮った。
「今更、皆まで言うな。たとえ『その時』が来たとしても、最後の瞬間まで我は先生の遺志を貫く」
「リェダ様……」
かしこまりました、とティアロナは離れた。
そのとき、院長室の扉がノックされた。気配とノックの間隔からリートゥラだとわかる。
「失礼します、先生。今日は風が強かったので、外で遊んでいた子どもたちを、念のため中に入れさせました。そのご報告を」
「ありがとう、リートゥラ。俺たちも同じことを考えていた。助かったよ。それにしても、今日は機嫌が良さそうだな」
リェダの言葉に、普段落ち着いた少女はうろたえを見せた。
「えっと。……浮かれて見えますか? 私」
「他の子たちも言ってるわ。リートゥラお姉ちゃん、ずっとにこにこしてるって」
「やだ。恥ずかしい……」
頬に手を当てる年長の少女。
もし場所と状況が違えば、深窓の令嬢らしい
リェダとティアロナは顔を見合わせ、揃って微笑みを浮かべた。
「そろそろ、いつもの商人が来る頃だ。予定にはないが、ブロンストに行ってみるか?」
「えっ? でも」
「近いうち、ロフィ夫妻と話をしておきたいと思っていたところだ。俺も行く」
「けれど、三日前に顔を見せたばかりで……急におしかけたら迷惑では」
「リートゥラ」
ティアロナが肩に手を置く。
「あなた、アンゲル氏から言われたのではなくて? 家族になるのだから、かしこまらなくていい――と」
「あぅ。そう、です」
「なら、会いたいときに会うことから始めましょう。
やや嫌そうに眉を上げながら言う保護者の女性に、リートゥラはくすりと笑った。
――外で、馬のいななきが聞こえた。
来たようだな、とリェダは席を立つ。ティアロナ、リートゥラとともに部屋を出た。
孤児院の玄関で、来訪者を出迎える。
やってきたのは顔馴染みの商人――だけではなかった。
リェダにとっては初対面の老夫婦。
そして。
「……え」
老婦人の腕の中で、薄目を開けたままぐったりとしている少女――フェムだった。
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