第28話 罪なき者たちへの所業


 エテルオ孤児院の二階には来客用の個室がある。

 客室の扉付近では、孤児院の子どもたちが何事かと集まっていた。見かねたティアロナが別部屋へ移動させる。


「フェム……」


 寝台に寝かされたフェムの傍らには、リートゥラがひざまずいている。

 妹同然の少女の手を、祈るように握っていた。


 フェムは相変わらず薄目を開けたまま、微動だにせず横たわっている。呼吸もゆっくりで、ともすれば人形に見えてしまうような生気のない姿だった。リートゥラの呼びかけにも反応しない。


 ティアロナが戻ってきた。リェダは彼女にリートゥラたちを任せ、部屋を出る。

 来客用個室から廊下を進む。ちょっとした談話スペースになっている広間で、老夫婦と商人が並んで腰掛けていた。

 リェダは対面に座る。

 すると老夫婦が揃って頭を下げた。


「突然、お邪魔して申し訳ありません」

「いえ」


 リェダは短く応える。

 夫はアストール、妻はテルスアと名乗った。

 フェムの父方の祖父母なのだという。


 リェダは彼らの顔色をうかがった。焦り、不安、戸惑い。それらの感情が重なり合い、ひどく青ざめている。テーブルの上に置かれたお茶には、手を付けていなかった。

 なにから話すべきか迷い、混乱しているようだ。


 リェダはちらりと馴染みの商人を見た。人の好い老商人は、自身が把握している情報を口にした。


「ブロンストの商人ギルドで一休みをしていたら、このご夫婦が突然やってきてね。自分たちを荷馬車で運んで欲しいと頼み込むんだ。よく見ればフェムの嬢ちゃんを抱きかかえている。いちおう、医者なら呼べると言ったんだが、『違う、自分たちが行きたいのはエテルオ孤児院だ』っておっしゃってね。ちょうど定期便の時間だったし、荷馬車に乗せて連れてきたのさ」


 商人は茶を口に含んだ。


「……詳しく事情は聞けていない。だが、フェム嬢ちゃんの様子を見て、もしかしたらリェダの旦那の噂を耳にして来たのかと思ったのだよ」

「そ、そうです!」


 老婦人――テルスアが顔を上げた。


「子どもたちの不可思議な病を治してくださるエテルオ孤児院の院長先生。孫を救えるのはこの方しかいないと」

「それは単なる噂だ。ブロンストでも眉唾物とされているのではなかったか」


 淡々とリェダは言う。テルスアは言葉を継げず、視線をうろつかせた。

 老商人が軽く肩をすくめ、リェダの膝を叩いた。


 リェダは息をひとつ吐く。言葉を選びながら、口を開いた。


「すまない。俺にとってもフェムは他人ではない。あなたたちと同じく、動揺している。……それで、なにがあったか、話してもらえるだろうか」

「……」

「俺は知りたいのだ。あれほど明るかった子が、どうして数日のうちに変わり果ててしまったのか」


 しばらく無言が続く。老商人は腹を決めたのか、席を立たずに状況を見守っていた。


 やがてアストールがカップを手にした。茶を一息に飲み込み、大きく息を吐く。

 周りに目をやり、リートゥラたちの姿が見えないことを確認してから、語り出した。


「三日前、息子一家が何者かに襲われました。いつも真面目で遅刻などしたことのない息子が無断欠勤したのを同僚の方々がいぶかり、家まで様子を見に来たのが発見のきっかけだったそうです」


 アストールの視線がテーブルの木目に向く。


「奇妙な現場でした。貴重品の類は手つかず。物盗りの犯行じゃなかった。ただ……息子夫婦と孫だけが……っ」


 夫の言葉を聞くなり、テルスア婦人が両手で顔を覆った。アストールは妻の肩を抱きながら、さらに言葉を絞り出す。


「息子夫婦は、氷漬けにされていました。寝室で……。寝ているところを、襲われたそうです。そして孫は、フェムは……ベッドに横になったまま動かなくなっていました……」

「氷漬け。それは、まさか」

「はい。水属性の魔法です。非常に強力で、ブロンストに駐在している王国の魔法使い様でも手が付けられないそうで……いまだ、解放には至っていません。生死は……不明、です」


『不明』と口にしたときのアストールは、目をぎゅっとつむっていた。彼自身、生存が絶望的だと感じ取っていることがうかがえた。


「私たちの住まいもブロンストです。連絡を受け、私たちは駐在所に向かいました。そこで、息子一家と対面を……。状況もそのとき教えていただいたのですが、正直、半分も頭に入ってきませんでした。どうして息子たちが……そればかりでした」

「あの子たちはただ平穏に過ごしていただけなの! いったいどうして!」


 気持ちの溢れたテルスアが叫ぶ。夫はうなずきながらテルスアの肩を撫で、落ち着かせた。

 リェダは無言で続きを促す。


「フェムは生きていました。しかしご覧の通り、まるで抜け殻のようになってしまって。いっさい反応を見せません。医者も見てくださいましたが、身体には異常は見られないと。まるで魂が抜き取られたようだとおっしゃっていました。丸二日、手を尽くしていただきましたが、状況は変わりませんでした……」


 駐在所からはその後、『身体に異常が見られない以上、いつまでもこちらで預かっておくわけにはいかない。祖父母の元で安静にしていれば、もしかしたら何か反応があるかもしれない』という説明があった。元より離ればなれになることに強い不安を感じていた老夫婦は、これを承諾。自宅に連れ帰った。

 だがやはり、フェムが明るさを取り戻すことはなかった。


「途方に暮れた私たちは、ふと思い出しました。息子夫婦から、リェダ先生、あなたのことを聞いていたのです。とても信頼できる、慈悲深い方だと。そして、原因不明の子どもを治したのはどうやら本当らしいと」


 そして藁にもすがる気持ちでエテルオ孤児院を目指した――とアストールは締めくくった。

 リェダは瞑目した。しばらく思考を巡らせる。


「……ありがとう。話しづらい話題だったろうに。感謝する」


 一礼した。


「あなたたちも疲れているはずだ。今日はこの建物で休むといい。客室に簡易ベッドを運ばせる。他にも何か入り用のものがあれば言って欲しい。善処する」

「リェダ先生……ありがとうございます。それで、その……フェムは、治りますか?」

「治す」


 力強い断言に、老夫婦のみならず商人の男性も目を丸くした。

 リェダは言った。


「もはやフェムは他人ではない。リートゥラの『妹』であれば、俺にとって身内同然である」


 アストールとテルスアは顔を見合わせると、夫婦揃って、深く、深く頭を下げた。


 ――客室に案内し、アストールたちを落ち着かせた後。

 リェダは談話スペースで老商人と向かい合っていた。


「旦那。さっきはご夫婦の手前、言えなかったんですがね」


 商人は声を潜めた。


「ここのところ、ブロンスト周辺で奇妙な事件が頻発してるんです。家が突然燃える、けいの冒険者が行方不明になる、狼が群れごと不審死する――ってな具合です。そこに加えて、魔法ときた」


 これも商人ギルドで耳にしたんですが、と前置きする。


「この事件、もしかしたら魔族が絡んでいるんじゃないかと言われていましてね」

「……魔族」

「ええ。王国の討伐隊にも依頼が出されたそうで。ブロンストは近年、魔族の被害からは縁遠かったですからね。情報は公にされていなくても、じわじわと動揺が広がっているようです」

「そうか」

「そうか……って、旦那」


 呆れた商人だったが、すぐに自分の認識を改めた。

 リェダの横顔が、これまで見たことがないほど険しいものだったからだ。


 孤児院長は、言った。


「さて。どうしてくれようか。この所業」


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