第29話 懇願を受けて
世話になった老商人を見送ったリェダは、キッチンへと向かう。
憔悴したアストールたちのため、簡単な食事を用意するためだ。
無言で手を動かす。その横顔は氷のように冷たい。
リェダの表情がぴくりと動いた。聞き慣れた足音を感じて、振り返る。
「リートゥラ、お前も休んでいろ。突然のことだったんだ。精神的に参っていてもおかしいことじゃない」
「ありがとう。先生」
うつむき加減に答える金髪の少女。リートゥラはそのまま、リェダの隣に立った。
「でも、お手伝いさせてください」
「しかし」
「いいの。なにか手を動かしている方が、少しだけ楽だから」
リェダは自分の手元に視線を戻した。
しばらくの間、静かに調理を続ける。
リェダよりも前から孤児院にいた彼女は、手際よかった。そういえば昔、リートゥラから料理を教わったことがあったなと思い出す。
「ねえ先生」
野菜の皮むきをしながらリートゥラが言う。
「三日前に私がフェムの家に行かなかったら、こんなことにならなかったのかな」
「違う。断言する」
リェダは告げるが、少女の口は止まらなかった。
「もし。もしあのときフェムの家に泊まっていたら、フェムだけでも逃がしてあげられたかもしれない。もし、私がもっと周りに気をつけていれば、もしかしたら怪しい人を見つけて通報できていたかもしれない。もし――」
「リートゥラ、もういい。よすんだ」
「もし、もし……こんなことになるなら」
リートゥラの目から大粒の涙がこぼれた。剥いた皮が床に落ちる。
「もっと素直にお父さんって……お母さんって……『ただいま』って、言っていればよかった……ッ!」
大きな口を開け、天井に向かって慟哭する少女を、リェダは抱きしめた。
――それから、しばらく後。
「ほら、リートゥラ。これを飲んで落ち着くといい」
「ありがとうございます。先生」
抱え込んでいた後悔をあらかた涙で流し終えたようだ。リートゥラはリビングの椅子に座ってカップを受け取る。温めたミルクを半分ほど飲んで、長く、息を吐く。
「……すみません、先生。結局ほとんど手伝えませんでした」
「いい。気にするな」
出来上がった食事は、すでに客室に運んでいる。ティアロナがアストールたちの様子を見ているが、そろそろ降りてくるだろう。
他の子どもたちは空気を読んで――主に年長者が下の子どもたちを抑えて――部屋で大人しくしている。良い子だとリェダは思った。
リートゥラの向かいに座る。自分用には熱めのコーヒーを淹れ、ちびりと飲む。
「あの。リェダ先生」
「どうした」
「リェダ先生なら……きっと、治せますよね。フェムのこと」
リェダはカップを置いた。
「大丈夫だ。フェムはきっと治る。また一緒に、リートゥラと遊べるようになる」
「私、ずっと見てきました」
孤児院長は少し首を傾げる。リートゥラはほんの少しだけ、微笑んだ。
「これまでも何度か、孤児院の子どもたちが不思議な病に冒されました。そのたびに、リェダ先生が治してくれた。不思議な病を、不思議な力で」
じっとリェダを見つめる。リートゥラの感情を、彼は読み取れなかった。信頼か、不安か、それとも――何かに気づいてそれを心の中に抑えようとしているのか。
リートゥラは居住まいを正した。そしてゆっくりと頭を下げた。
「どうか、フェムを救ってください。お願いします、先生……!」
◆◇◆
「リェダ様。リートゥラの様子は」
「ああ。落ち着いている。今は隣の個室で寝かせている」
――院長室。
リェダとティアロナは執務机を挟んで向かい合っていた。
「リートゥラは」
「はい?」
「リートゥラは、もしかしたら気づいているのかもしれないな。我々の正体に」
「……あの子は心優しい子です。そして、賢い」
ティアロナの言葉にリェダはうなずいた。
仮に気づいていたとしても、リートゥラはリェダを信頼してくれた。頼ってくれた。
その期待には応えなければならない。そうリェダは思った。
魔界にいたときは、決して抱くことのなかった感情であった。
「我々はすっかり変わってしまったな、ティアロナ」
「なんですか、今更」
「我らには人の魂を、子どもたちの魂を喰らって自らの力にするなど考えられない」
ティアロナは窓の外を見て、肩をすくめた。
「太陽が反対方向から昇ってもありえない話です」
「ああ、そうだな。まったくそのとおりだ。あらためて考えるのが馬鹿らしいほどの、奇妙な話だ」
リェダは執務机から立ち上がる。戸棚の鍵を手に取った。
「人間たちの間では、どうやらまだ、魔族が魂を食うことは一般知ではないようだ」
「彼らは魂を取り出すことも、魂をその身に取り込むこともできません。魂を抜き取られた人間が陥る各種の症状。それらを『原因不明』と考えるのも致し方ないことかと。まあ、魔族討伐を
「逆に言えば、そういう専門家が出てこない限り、野放しというわけだ」
リェダは戸棚に鍵を刺す。
「今回の所業をやらかした
棚を開ける。エテルオが遺した宝玉とは違う場所だ。
そこには両手で抱えられるほどの水晶玉が鎮座していた。ドラゴンの手のような物々しい形の台座に収まっている。
ティアロナは目を細めた。
「『
リェダは過去見の水晶を台座ごと執務机に置く。
かつて、恩師エテルオから譲り受けたもののひとつ。
これは『宝玉』ではない。だが、それに相当するほどの力を秘めた水晶玉だ。
過去見の水晶はその名のとおり、過去を見通すことができる。
対象者の過去の行動を映し出すのだ。
基本的には使用者の身近な存在のみ対象となるが、その者が密接に関わった別の人物を連鎖的に辿ることも可能だ。
かつてエテルオは、この水晶を『神具』と表現した。彼が全盛期のときに見つけ出したものだという。王国に献上しなかったのか、それともできなかったのか。今となっては知る由もない。
現在。リェダは過去見の水晶を、制裁対象を見つけ出す道具として使っている。
「ティアロナ、手伝え」
「仰せのままに」
ふたりで水晶玉に手をかざし、魔力を通す。
いかに巨大な魔力を秘めていても、元は魔族のふたり。人間世界の宝とは相性が良くない。
それでも、力を合わせれば数日程度は
水晶玉の中に、像が結ぶ。
明るい表情のリートゥラ、微笑ましいフェム一家との
「こいつか」
リェダはその目で、
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