第30話 緊張と安堵の愉悦


 ――『過去見の水晶』が、昨日の光景を映し出す。



「ここか」


 禿とくとう魔族はつぶやいた。

 彼の目の前にあるのは、騎士団の旗が掲げられた建物。ブロンストの駐在所であった。


 ――夜である。だんらんが終わり、そろそろ眠りに就こうかという時間帯。


 禿頭魔族は、全身を覆う黒いローブをまとっていた。無論、の民から奪ったものである。それでも、彼の巨体を完全に覆い隠すことはできない。

 魔族は、完全に力を取り戻したにもかかわらず、盗賊の真似事のように闇に潜んで行動していた。

 口元を覆う黒い布の下は、愉悦で口角が上がっている。


 魔族は、己の身の安全をあまり意に介していなかった。

 ただただ、こうしている方が愉しかったのである。


 人間たちの暮らしぶりを遠目に観察するのは悪くない娯楽だった。もし見つかったとき――そのときの人間の顔を想像すると、笑声が漏れてしまうほどである。

 仮にけいの者たちに囲まれたとしよう。それはそれで、我が身がどこまで耐えられるか知る良い機会だ。


 ――禿頭魔族は、駐在所の裏口に立った。当然、鍵がかかっている。少し力を入れると、錠は機能を失った。

 音を立てないよう扉を開け、巨体を中に滑り込ませる。


 この駐在所は、禿頭魔族にとって人間世界最後の目的地であった。

 建物の中から、宝玉の気配がする。

 最後の探索を目一杯堪能するため、禿頭魔族は駐在所内に置かれた諸々を観察しながら進む。


 その足取りがふと止まる。

 彼はするりと暗がりに移動した。


 数秒後、壁の向こうから馬蹄の音が聞こえてくる。金属同士がこすれ合う音もかすかに耳で拾う。

 足音が駐在所の前で止まり、馬のいななきがした。


 誰かが――おそらく騎士が複数人、駐在所に入ってくる。

 通路の向こう側だ。禿頭魔族からは相手の姿は見えない。だが、話し声は聞き取れる。


 このように。


「到着が遅れてすまない。橋の腐食に馬の足を取られてな。通りすがりの商人とともに応急処置をしていたのだ」

「お疲れ様です。しかし、聞きしに勝る世話焼きというか――いえ、失礼」

「はは。いいさ。よく仲間からからかわれている。それに、橋は人々にとって生活の要だ。そこを護るのは騎士の義務だと私は考えているよ。――さて、さっそく事情を聞きたい。魔族が現れたというのは本当か」

「まだ確証はありませんが、おそらく間違いないでしょう。あ、どうぞ。報告書をお持ちします」


 どうやら、禿頭魔族がいるところから壁一枚隔てた向こう側が会議室だったらしい。

 資料をめくる音とともに、ふたりの騎士が話し合う声が漏れ聞こえてくる。


 魔族の仕業と思われる痛ましい事件が複数件、起きていること。

 数日前に報告を受けた『リツァル蒼騎士団』の一隊が近くまで来ていること。馬に乗っていた騎士は、本隊に先行して状況を確認するために派遣されてきたこと。

 リツァル蒼騎士団の一隊には、S級自由騎士の称号を得た勇者も同行していること。


「……ツェーリ男爵領事件?」

「申し訳ありません。別の資料が紛れていましたか」

「いや、構わない。むしろ今回の魔族出現と関係があるかもしれない。見てくれ。現場から宝玉と思われる赤い鉱石を回収したとある。それは今、ここに?」

「ええ。厳重に保管してあります。ただ、わからんもんですな。俺も見ましたが、ただのくすんだ赤い石にしか見えない。いったいぜんたい、魔族の奴らはどうしてこんなもんを」

「我々にはただの石でも、魔族にとっては力を大きく高める宝なのだそうだ。それを求めて、いや、やってくる個体を、私は何体も見てきた」

「何体も……それだけ多くの魔族を打ち倒してきたということですな。いや、さすが。西のリツァル蒼騎士団です」

「本隊が到着するのは明日以降になるだろうが、ここの警備も増やす必要があるな。手配してもらえるか」

「はっ。承りました」


 騎士たちのやり取り。

 禿頭魔族は暗がりに身を潜めながら――わらった。

 あやうく笑声まで漏れそうになる。


 彼は心から思った。俺は本当に運が良い――と。

 今、このとき、このタイミングでこの場所に居て、情報を耳にできた。

 困難、至難の一歩手前。緊張感と安堵感の狭間。なんと愉快な感覚か。


 ――少し、魔が差した。


 禿頭魔族は一歩、暗がりから抜け出る。

 会議室にいた騎士たちの反応は早かった。

 話し声がぴたりと止まり、次いで移動する気配がする。特に騎士団から派遣されたという男は素晴らしかった。金属鎧を身につけているはずなのに、ほとんど音がしない。


 禿頭魔族は、廊下の奥で鷹揚に構えていた。

 すぐに、騎士たちが現れる。


 魔族は、わざとフードを少しだけたくし上げた。

 赤い目で騎士を見る。


 何奴――といった無駄なすいはなかった。

 彼らは目配せすると、手練れの騎士が無言で突撃してくる。流水のように無駄も隙もない動き。屋内の狭い空間で可能な攻撃を知っている。

 素晴らしいと禿頭魔族は思う。


 敬意を表し、騎士の剣を右腕一本で受けた。

 剣先が皮膚を貫く。肉をえぐる。


 ……が。


「おい。蒼騎士団とやら」

「……っ!」

「最後の最後で失望させるな。手練れを自認するなら、せめて


 がっちりと刃を腕に食い込ませたまま、禿頭魔族は言った。


 騎士の判断は早かった。ぴくりとも動かせない長剣を諦め、予備の短剣を抜く。

 だが、禿頭魔族の行動はそれよりも早かった。

 即座に発動させた氷の魔法を左腕にまとう。氷塊の鉄槌と化したその手で、騎士を上から叩き潰した。


 一撃。

 呆気ないという表現が相応しい、圧倒的な力量差だった。

 からん、と鎧の残骸が転がる。


 残された方の騎士は、自分の役割を必死に全うしようとした。応援を呼ぶため踵を返す。


「――が、ふっ!?」


 その胴体を、巨大な氷の槍が貫く。

 左手にまとった氷塊を鋭い槍に変化させ、飛ばしたのだ。

 壁に縫い止められた騎士は、四肢をだらりと下げる。


 決着は静かに、短時間で、拍子抜けするほど簡単についた。


 禿頭魔族は自分の顎を撫でた。


「まあ、すべてがすべてうまくはいかぬか」


 血だまりをまったく気にせず踏み越えて、駐在所内を歩く。

 そして、倉庫と思われる部屋から目当ての箱を見つけると、少し力を込めた。

 厳重に保管してあるはずの『宝玉』は、魔族の手に落ちた。


 禿頭魔族は目を細めながら赤い宝玉を見つめる。それから、集中し、魔力を宝玉に流した。

 魔族の魔力に共鳴するように、赤い石から黒い靄がにじみ出す。


「おお……。おおっ……!」


 感極まったような、声。


 禿頭魔族の外見には、ほとんど変化がない。

 だが見る者が見れば、この魔族の全身から溢れ出す魔力の強さ、そして量が、一回り以上増大したことを知るだろう。


 念願の宝玉を手に入れた禿頭魔族は、言った。


「俺は本当に、運が良い!」


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