第31話 夜闇の遭遇


『宝玉』を手に入れた禿とくとう魔族は、上機嫌だった。

 何もかもが上手くいっている。順調すぎるほど順調だ。

 こうなると、人間世界へ多少の愛着すらいだくようになる。


 リツァル蒼騎士団とは、どれほどのものか。

 魔族の天敵とも言われる『勇者』とは、どれほどのものか。

 それを我が目で見たい気持ちが湧いてくる。


 だから禿頭魔族は、待った。

 本当ならさっさと納屋の『接穴せつけつ』から魔界に戻る予定だったのだが、ほぼ丸一日、ブロンストの街を影から眺めたのだ。


 ――確かに、騒ぎにはなっていた。


 翌日の午前中には、交代の騎士が駐在所に入り、無事、騎士ふたりの遺体は発見された。手練れの騎士が原形もとどめないほどに粉砕されたとあって、駐在所周辺は一日中、物々しい警備体制がしかれた。

 まだ犯人がいるかもしれない。ブロンストの街は、騎士や依頼を受けた冒険者によるけいが行われた。


 だが、所詮は現地のき者による急ごしらえの体制。

 警邏が目に見えて増えてきたのは正午を過ぎてからだ。

 誰も彼も、あの手練れの騎士には遠く及ばない。


「……飽きたな」


 禿頭魔族が密かに心待ちにしていたリツァル蒼騎士団の本隊と勇者は、どうやら到着までに間があるらしい。


 時間が経つうち、禿頭魔族は自分の中の人間世界への熱意が薄れていくのを感じていた。

 冷静な思考が戻ってくる。


 いかに手練れの騎士を一撃で仕留められたとはいえ、あくまで一対一。一対多で、魔法戦もあり、加えて勇者も参戦となれば、ただ愉しいだけでは済まないのが想像できる。

 その危険を冒すだけの高揚感は、もう禿頭魔族には残っていなかった。


 平和のうちに生きる人間というものが、危機をすぐそばにしてもいつもどおりの生活を続けようとする種族だとわかったのが、魔族にとって唯一の収穫だった。


 ――夜。


 結局、禿頭魔族はたいした危機感を覚えることもなく、ブロンストの街を抜け出した。

 暗闇に乗じ、接穴がある納屋へ向かう。


 途中、最初に魂を食った男の民家跡を見る。懐かしさすら覚えた。


 ……あのときはひ弱もいいところだった。力を取り戻した、いや、それ以上の力を手に入れたこの身体が接穴を通れるかどうか、それだけが心配だ。


「いや、どちらに転んでもいいか」


 くつくつと笑いながら歩く。

 接穴を通れない。それは魔王にも匹敵する力の持ち主であることを意味する。


「俺が魔王か。ふふ、悪くない」


 がぜん、楽しみになってくる。


 納屋が見えてきた。

 禿頭魔族は足を止める。


 ――納屋の前に、誰かいる。


 魔族は目を細めた。

 二人組。

 禿頭魔族と同じように、全身を黒いローブで覆っている。

 こちらの方を向いている。すでに気づいているのだ。


 禿頭魔族は口角を引き上げた。

 もしや。聞きしに勝るリツァル騎士団め。接穴を発見し、先回りして待ち伏せしていたのか。味な真似をしてくれる。それとも、これが噂の勇者とやらか?

 ブロンストでおあずけをくった分、禿頭魔族の愉悦は燃え上がった。最後の最後に、最高の土産が向こうからやってきた、と。


 ならば、こちらも相応の礼を尽くさねば。


 禿頭魔族はフードを取り、堂々とした足取りで納屋に向かう。


 しかし、近づくにつれ違和感が増してきた。

 二人組は、動かない。

 じっとこちらを見据えたままだ。


 周囲に伏兵の気配もない。ここは広い農地の一角。身を隠せる場所は極めて限られている。

 よほどの自信家か。それとも愚か者か。


 否が応でも高まる期待は、二人組から五メートルほどの距離に近づいたところで、もろくも砕け散った。

 フードを被った二人組の目が見えたのだ。自らと同じ、赤い目だった。


「……なんだよ、まったく。興醒めもいいところだ」


 失望半分、怒り半分の口調で禿頭魔族は言った。

 まさかここで同郷の魔族と出会うとは。場所から想像するに、同じ接穴からやってきた奴らだろう。

 苛立ちが加速する。人間世界にやってきたばかりなら、その能力に著しい制限を受けているはずだ。

 つまり、雑魚である。


 ここまでずっと続いてきた気分の良さを台無しにされたと思い、禿頭魔族はこめかみに青筋を浮かべる。


 赤い宝玉で高められた魔力を勢いよく放出した。人間相手では効果が薄くても、魔族ならわかる。今、己がどれほどの者を相手にしているか――必ず、伝わるはずだ。


「おい、そこの」


 禿頭魔族は言った。


「俺は今、とても機嫌が悪い。お前たちの存在自体が害悪だからだ。どこの誰かは知らん。今すぐそこにひざまずき、俺に許しを乞え。その上でひと思いに殺されるがいい。せめて、俺の気晴らしの役に立て」


 右手に氷の魔法をまとわせる。

 威嚇ではない。脅しでもない。禿頭魔族にとって、これは必要な『処置』。弱者は強者の慰み者にならなければならない。義務だ。当たり前のことだ。魔界での日常が、少しだけ早く戻っただけのことだ。


 禿頭魔族は、そう考えていた。


 黒ローブの二人組のうち、背の高い方が一歩進み出た。顔全体を隠す仮面を付けている。赤い目だけが禿頭魔族を静かに見据えていた。


「ずいぶんと愉しそうだな」


 男の声だった。恐れを一切感じない、淀みのない口調。


「これ見よがしに歩いてきた姿を見たぞ。ご機嫌で何よりだ。さぞ、人間世界を満喫したのだろうな」


 禿頭魔族は応えるのをためらった。


 こいつは何を言ってるのか。

 俺の魔法に、俺の魔力に、気づいていないのか。

 それとも、気づいた上で、こんな舐めた口を利いているのか。


 禿頭魔族は目をすがめた。いくら注意を向けても、黒ローブからは脅威と呼べるような魔力を感じない。ふたりともだ。


 徐々に、苛立ってきた。

 このような得体の知れない連中に足止めを食らっている。その事実が気に入らない。

 氷の魔法の強度を上げる。


「決めたぞ貴様ら」


 禿頭魔族は言った。


「全力で叩き潰してやる」

「それがお前のやりたいことか。いいだろう。では、我の希望も伝えよう」


 相対する黒ローブ姿の魔族は言った。

 背筋が凍るような冷たい口調で。


「滅べ。これは制裁である」


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