第32話 運の尽き


 ――わらわれた。

 禿とくとう魔族は直感で、そう思った。


 黒ローブ男の表情は仮面で隠れてわからない。

 だが、間違いなく嗤われた。

 それも、ただの嘲笑ではない。侮蔑と、怒りと、憐憫と、そんな諸々の負の感情を込めた笑み。

 まさに、強者がはるか高みから弱者を見下ろすような――。


「だ」


 禿頭魔族の頭部に、激怒の血管が浮かぶ。


「誰に向かって言っているッ、この雑魚どもめッ!!」


 制裁だと? ふざけるな!

 逆上した禿頭魔族は、大地を蹴った。柔らかな農道が派手な土埃を上げる。


 五メートルそこそこの距離。力を取り戻した禿頭魔族にとっては至近と同義である。

 黒ローブの眼前へ巨岩のように立ち塞がる。

 突進の勢いのまま、氷魔法で強化した腕を突き出した。

 あやまたず、黒ローブ男の左胸に突き刺さる。


 ――突き刺さったように、見えた。一瞬だけ。


 右手の氷はほぼすべて黒ローブ男に埋まっている――いや、違う。に阻まれて無残に砕けてしまっていた。ほぼすべてだ。その無残な姿は、まるで、自らが仕留めた騎士の成れ果てを思わせた。


 右拳も、巻き添えを食って破砕していた。


「ぐ、おおおおっ!?」


 痛みが右腕から全身へと駆け巡る。

 激痛と同じくらいの困惑で、叫び声を上げる禿頭魔族。


 その、さらに血管が浮き上がった顔面へ。

 黒ローブ男が右拳を振り抜いた。


 ごぎゃ――不揃いで不格好な骨粉砕の音を聞く。


 そのまま、まるで背後から荒縄で引っ張られるように後方へ巨体が吹っ飛んだ。

 一回、二回、三回――大きく跳ねて、四回。巨体が地面に叩き付けられる。


 柔らかな農地が幸いした。

 同時に不幸でもあった。


 激痛にのたうちながらも、からだ。


「――――ッ!」


 禿頭魔族は詠唱した。顎が破壊された状態では通常の半分ほどの精度に過ぎなかったが、それでも鋭い氷塊の槍を複数生み出すことに成功する。


「――――ッ!」


 怒声も込めて、次々と詠唱を繰り返す。

 氷の槍は紫電をまといながら、夜の空気を切り裂いて直進した。


 狙いは、ほぼ正確。

 黒ローブの二人組の元へ着弾する。


 しかし。


 ……なぜだ。なぜだ! なぜ防がれる!?


 禿頭魔族は心の中で叫んだ。

 渾身の氷魔法は黒ローブ男の手前でことごとく霧散する。氷が砕ける瞬間、虹色のきらめきを見た。


 防御魔法。

 奴はいつ詠唱した。

 あの仮面は、詠唱の口の動きを隠すためか。

 だが、おかしい。あまりにも、。あれだけの魔法を使っているのに、魔力の高まりを感じないのはどういうことだ。


 禿頭魔族の頑強な肉体は、徐々に打撃のダメージから回復する。やや痛みが落ち着き、怒りで沸騰した頭に思考が戻ってくる。


 ――これ以上は、面白くない。


 こちらは『宝玉』によって力を増している。にもかかわらず、奴は俺の攻撃をあっさりと防いでいる。

 俺はまだ、全力は出していない。そう、出していない。

 だが、全力を出せばこちらが負う傷も相当なものになると直感した。

 それこそ、人間世界で手に入れた力をほとんど手放すくらいに。


 思い出せ。なんのために宝を手に入れたか。

 魔界において、さらなる愉悦を得るためだろう。魔王として、君臨するためだろう。

 今ならまだ、それができる。俺ならできる。


 禿頭魔族は思考を切り替えた。奴らは敵ではない。帰還を妨げるだ。

 障害物はどかせばいい。


「――――――ッ、おおっ!!」


 一際長い詠唱を織り込み、魔法を発動させる。

 夜の農地に、風が吹いた。

 明らかに意思を持った風が、まるで蛇のようにうねりながら地表を這う。黒ローブたちの足下でとぐろを巻くと、そのまま空中に持ち上げた。


 よし。今のうちだ。

 納屋までの道が一直線に見通せる。

 身体の感覚が戻った禿頭魔族は、全力で駆けた。黒ローブたちの下を通過し、納屋にある接穴せつけつへ――。


「うぐっ!?」


 ――たどり着けなかった。


 ちょうど黒ローブ男の足下の辺りで、禿頭魔族は派手に倒れ込んだ。

 全身を痙攣させながら、悶絶する。口から泡を吹いた。意味不明な単語をうめき声としてあげる。


 血走った目で、禿頭魔族は見た。

 黒ローブ男の隣に浮かぶ奴。そいつの手がこちらに向けられ、わずかに輝いている。


「さて。不用意に受けた傷の痛みを、何倍にも増幅された感想はいかがか?」


 女の声だった。どこまでも冷たい。声だけで氷漬けにできそうなほどに。


 ――精神魔法。


 砕けた右腕が、黒ローブ男に殴り壊された顎が、地面に叩き付けられた全身が。あり得ないほどの痛感を主張し、禿頭魔族を苦しめる。

 いっそ、自分の手で神経という神経をえぐり取って、投げ捨てたい欲求にかられる。


 黒ローブたちがゆっくりと地面に降り立った。男の片足が、禿頭魔族の顔を踏みつける。

 降り注ぐ、冷たく煮えたぎった怒りの視線。


「苦痛の邪魔など無粋な真似はせぬ。さあ、


 なにを――と思った直後、黒ローブ男の手が容赦なく胸に突き立てられた。

 魂を引きずり出される感覚。

 禿頭魔族はおうの状態で、黒ローブ男が手にしている白い火の玉を見た。


 ――感じる。あれは、これまでに俺が喰らってきた魂の塊だ。

 全身から急速に力が抜けていく。


 こんな、呆気なく。

 俺は運が良かったのではなかったか。

 すべてが、怖ろしいほど順調に進んでいたのではなかったのか。


 ――!?


 黒ローブ男が腹を蹴り上げる。禿頭魔族は力なく、十数メートル先まで転がった。仰向けに倒れる。


魔族ゴミクズよ。お前、だいぶ魔法がお気に入りのようだな」


 遠く、声が聞こえる。


「そんなに好きなら、見せてやろう」


 遠く、声が聞こえる。声だけだ。詠唱らしき文言は聞こえない。

 なのに。

 わずか数秒後に、禿頭魔族の視界いっぱいに、巨大な黒い球体が出現した。

 でかい――という一言では済まない。何十メートル、いやもっと。夜よりもさらに深く怖ろしい漆黒が迫ってくる。


「闇属性魔法――【圧殺闇架デストルク】。堪能して、け」


 禿頭魔族は、もう動けない。

 凄まじい魔力が込められた闇魔法は、対象を無慈悲に押しつぶす。

 顔だけ、黒ローブ男の方に向ける。


「なん……なんだ……貴様らはッ、なんなんだァーッ!!」


 絶叫は、そのまま断末魔になった。

 【圧殺闇架】は押しつぶす。すりつぶす。肉片の一欠片まで吸い取って、こんぱくすら残さず消滅させた。




 ――静けさを取り戻した農地。

 黒ローブの二人組は回収した魂の塊を懐にしまい、踵を返す。


 そのときだった。


「止まりなさい!」


 凜々しくも若々しい女の声が響き渡る。

 足を止めて振り返った黒ローブの魔族たち。

 そこから五十メートルほど離れた街道に、ずらりと人影が並んでいた。

 先頭に、声を上げた女が立つ。月明かりが、彼女の青い髪を浮き上がらせた。


「我が名はフラーネ・アウタクス。勇者の名にかけて、魔族を討つ者。覚悟せよ!」


 リツァル蒼騎士団、そして稀代の強さを誇る勇者の到着だった。


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