第37話 姉妹連携の先で


 フラーネが雄々しく名乗りを上げたとき。

 彼女のすぐ後ろで、エル・メアッツァはじっと状況を観察していた。


 エルは夜戦の訓練を受けていない。月明かり程度では、夜目に限界がある。

 だが彼女には、魔力と魔法に対する優れた感性と知識があった。

 そのふたつが、エルの本能に最大級の警戒を呼びかける。


 ――なに、今の。


 エルは目を凝らす。

 ローブをまとった二人組の魔族。そこから数メートル離れた場所に、巨大な窪みを見た。暗くて詳細はわからない。


 天才賢者は、この窪みを作った魔法の一端を目撃していた。闇夜よりさらに暗い、巨大な球体魔法。あまりにも暗く大きかったため、その魔法の存在と危険性に気づいていない味方も多かった。その証拠に、勇者の号令さえあればすぐにでも飛び出しそうな勢いである。


 間違いない。闇属性の古代魔法だ。それも、凄まじく上位の。

 直感した。あの魔法、私にもできない。


「……」


 懐の人形をぎゅっと握る。

 魔法を使ったときのように、温かかった。無意識のうちに、魔力を流していたのだ。


 エルは勇者を見た。そのときのフラーネの横顔を見られたのは、すぐ側に控えていたエルだけだ。

 勇者フラーネは凜々しかった。同時に、額から頬へと汗が一筋つたっていた。

 エルは知った。フラーネもまた、この短い時間で感じ取ったのだ。五十メートルほど先にいる魔族。彼らが只者ではないことに。


 魔族たちはこちらを振り返ったまま、動こうとしない。

 距離があり、かつ暗いために、エルには相手がどんな姿か判別できなかった。

 この状況でも攻撃を仕掛けてこない意図は、わからない。


 エルは人形を取り出した。腹を決める。


「フラ姉」

「ええ」


 一言で通じた。

 認識は一致。


 ――あの魔族に、手加減は無用。


 エルは人形を両手で握りしめる。フラーネは木剣の柄に手を掛ける。


「――『聞け。そして震えよ。其は汝のための鼓動なり』――」


 詠唱。早い。魔力を込めた言葉が滑らかに、かつ一語一語明確な意図を持って紡がれていく。

 それだけでも一流の技量。

 加えて、彼女が肌身離さず持ち歩く人形が、となって魔法を構築、増幅させていく。

 人形はエル自身。

 人形の力を組み合わせることで、魔法の威力と効率は倍加する。


 エルが練り上げるのは、火属性でも水属性でもない、古代の属性。


「土属性魔法――【岩壁封牢ガロジェ】」


 大地をエルの魔力が高速で疾駆はしる。

 直後、魔族の周囲に幾重もの岩壁がそそり立つ。ちょうどかまどのように覆い被さり、魔族の逃げ道を塞ぐ。

 その高さ、約十メートル。

 壁の厚さは、一枚あたり二メートル。

 腕力では、まず破られない。


 魔族たちは、突如そそり立った岩壁をぐるりと見回した。狼狽えているのか、それとも強度を見極めようとしているのか。

 いずれにせよ、それは勇者にとって『隙』となる。


「ステラシリーズ」


 フラーネは木剣を構えた。

 切っ先が一気に燃え上がる。

 勇者の絶技。火属性のそれは、あらゆる魔族を飲み込み蒸発させる。対多数の切り札。


「――【灼熱のステラ・ヴェールフ】」


 一歩、踏み込む。

 燃え上がる木剣を、突き出す。


 その瞬間、一振りの剣は巨大なドラゴンのあぎとと化した。


 木剣の切っ先からはあり得ないほどの超巨大な火炎がほとばしる。

 月明かりを跳ね返す輝き。白い。凄まじい熱を帯びている証だった。


 エルは、同時に発動させていた防御魔法で隊全体への衝撃を遮る。それでも、ローブの裾や髪を激しくたなびかせるほどの余波が押し寄せてきた。


 灼熱のステラ・ヴェールフ。


 ステラシリーズでも、最大の火力と効果範囲を持つ大技。敵味方関係なく、射線上の存在を容赦なく消滅させる、火属性の大砲だ。

 王立魔法研究所の室長、そして賢者として、嫉妬すら覚える超威力。


 対象はエルの土属性魔法で逃げ場がない。さらに隙を見せていたところへの一撃。

 火砲が岩壁ごと魔族たちを飲み込む。

 光と熱と衝撃に耐えながら、エルは目を細め、見た。標的をその場に留め置くために創り上げた頑強な岩壁が、根元から吹き飛び蒸発していく。


 フラーネが気合いの声を上げた。

 木剣を振り下ろす。

 極太の火柱として束ねられていた絶技が、無数の火球に分散する。

 そのひとつひとつが、使い手の意志に従い一点に殺到する。

 無情なる追撃だった。


 静かだった農地に数十秒間、炸裂音が響き続けた。


 ――夜が戻る。


 絶技がまき散らした熱気は、まだ周囲にくすぶっている。

 白煙がもうもうと上がっていた。

 数秒、数分と時間が経つうち、徐々に視界が晴れていく。歴戦の蒼騎士たちは、各々の獲物を手に油断なく構え続ける。


 やがて、白煙が去った場所に大きな窪地が見えた。

 魔族の姿は消えていた。

 動く者はない。


 勇者フラーネが木剣を腰に納める。その仕草を見た騎士たちが、一斉にどきを上げた。


「我らの勝利だ! 魔族は討伐された!」

「勇者フラーネ様! 賢者エル様! 万歳!」


 フラーネは振り返って、仲間たちの歓声に手を挙げて応えた。そして、騎士と魔法使いたちに、現場周辺の検証を命じる。即座に馬を駆り、皆が動き出した。

 周囲から人影がなくなる。


 エルはフラーネの隣に立った。


「……逃げられた」

「逃げられたわね」


 どちらともなくつぶやく。

 エルは感じ取っていた。灼熱のステラ・ヴェールフが着弾する直前、魔族たちが居た場所で魔力が瞬間的に高まったこと。

 おそらく、フラーネも手応えがないと感じたのだろう。


 勇者は眉間に皺を作った。


「エル。あなたは気づいてた? 私たちが到着する直前まで、何者かが争っていた気配があった」

「うん。嫌な魔力を感じて、すぐに消えた。少し前まで、別の魔族がいたんだ。きっと」


 エルはいつもの無表情で告げる。


「推測だけど、仲間割れしてたんだと思う。魔族同士で争って」

「同感。だけど、だからこそわからない」


 フラーネは首を横に振った。


「彼らはいったい、何者だったの? ここで、何をしていたの?」

「……」


 エルは静けさを取り戻した戦場と、現場検証を続ける仲間たちを見つめた。

 そして、フラーネの裾を引く。


「フラ姉。とりあえず、皆と一緒に現場を見た方がいい」

「わかった。エルは?」

「……もう少し、ここにいる」


 フラーネは少し怪訝そうにしたが、賢者の言葉に従い、馬に乗って農地を駆けていった。

 エルはその場に座った。

 視線は検証現場と、そのすぐ隣にある窪地。

 おそらくエルたちが到着する前にできたと思われる窪地は、エルとフラーネが古代魔法と絶技で創り出したそれよりも、わずかに大きく見えた。


 手にした人形には、まだ魔力が残っている。

 掌の上で、人形は落ち着きなく歩き回っていた。

 動揺。不安。そして――興奮。


「私やフラ姉よりも、きっと強い……なのに、反撃せずにされるがままだった。まるで――パパやししょーみたいに」


 人形をぎゅっと握る。


「――確かめたいな。このが、気のせいだったのかどうか」


 エルは立ち上がった。


 ――その後。


 現場検証の最中さなか、壊れた納屋から魔族の通り道――『接穴』が発見され、エルたちの手で無事に塞がれた。


 魔族の遺体は、見つからなかった。


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