第21話 肉マイスター


 孤児院に戻った頃には、昼食時間を少し過ぎていた。

 ティアロナはすでに子どもたちをテーブルに着かせて、昼食を食べさせている。年少の子どもたちの世話を年長の子と手分けしている様子を見て、リェダはすぐに代わる。


「遅かったですね」


 キッチンへ向かいながらティアロナが言う。スプーンでスープを飲ませながら、リェダは何でもないことのように答えた。


「狩りに手間取った」

「……ほう。それで院長の貴重な食事時間を奪ったと?」


 褐色冷静美人の槍のような視線が勇者フラーネに突き刺さる。一応、事実は事実なのでリェダはフォローしない。おかげでフラーネはうろたえていた。


「あ、フラーネ姉ちゃん。それお肉? すげえ。でっか」

「うわ……すごい切り口。っていうか、それ本当に解体したやつ? 切り方デタラメすぎない?」

「まほーだ、まほーだ」


 持ち帰ったウルゾスの肉に子どもたちが反応したため、フラーネは反射的に胸を張った。


「わたくし、勇者フラーネ。これからこの肉をリェダ先生さんに振る舞おうと思います! 我が究極の肉焼き技術を震えて見よ! ふははは」

「えー? せんせーだけー?」

「もちろん皆にも焼いてあげるけど、まずはリェダ先生さんから。あんたたち、いっつも先生さんから分けてもらってばっかりでしょ。たまには先生さんを労いなさい」


 ぶーぶー言う子どもたちを背に、フラーネはキッチンに向かう。

 面白がった子どもたちが彼女の後を追うので、リェダも仕方なく付いていった。


「ティアロナ先生、テーブル借ります。あ、作業はぜんぶひとりでやるので大丈夫です」

「お手並み拝見といきましょうか」


 なにやら不要不急の対立が勃発しそうなので、リェダはさりげなく両者の間に入った。身内で競うなど無駄なことを――と思いながらフラーネの作業を見守る。


 ――時間を忘れて見入ってしまう。


 王都で勉強したという話は誇張でもなんでもなかったようで、フラーネの包丁さばきは見事なものだった。手際といい、肉の状態の見極めといい、作業しながら語るうんちくの中身といい、もう立派な専門家だった。


「とても勇者に思えないわね」

「えへへえ」

「……褒めてないわ」


 ティアロナの嫌みにも勢いがない。普段キッチンに立つ者なら、彼女の技量を認めざるを得ないのだろう。


 こうして部位ごとに切り分けた肉を、フラーネはしばらくじっと見つめた。


「……うん。やっぱり今日はこれが、いい」


 そうつぶやいて一番小さな部位に下ごしらえをすると、あらかじめ熱していた鉄板の上へ。

 急にフラーネの表情が引き締まる。周りの声も完全に締め出したような真剣な顔だ。雰囲気の変化を悟った子どもたちが唾を飲み込み作業を見つめる。


 それから時間を置かず、今度は別の意味で子どもたちが唾を飲み込んだ。


「うまそうな音……」

「いい匂い……」


 うっとりとした声が漏れる。


 リェダは作業を見て少し首を傾げた。焼き具合に応じてひっくり返すのはわかる。だけど、肉を置く場所を変えたり、一度鉄板から取り上げて、また鉄板に戻して焼いたりするのはどんな意味があるのか、さっぱりわからない。


 そうこうしていると――。


「でき、ました。さあリェダ先生さん、お席へどうぞ」


 一仕事終えた顔でフラーネが言う。その通りにリェダは席に着いた。


 ――元魔王の彼にとって、食物そのものにはあまり興味がない。食卓の子どもたちが美味そうに食事する姿を見るのが好きなのであって、自分自身は美味かろうがかろうがあまり気にしていない。

 つまり、普段から味についてなにか言うことはない。


 そのリェダが、切り分けられた肉を食べて一言。


「うん。美味い」

「よっしゃ!」


 フラーネが拳を握る。リェダは続けた。


「これなら毎日食べてもいいな。本当に美味い」

「……院長。私も一口いいですか?」


 ティアロナが珍しくそう言ってくる。リェダが皿を渡すと、彼女はこれまた珍しく独り言を連発した。


「この焼き色……く」「う……口の中で溶ける」「……なんという甘さ」「これを……毎日、だと?」


 リェダは「意外に美食家だったんだな」とのんに元部下を見ていた。


 ――それからしばらく、キッチンは肉焼きの音と匂いと子どもたちの歓声で、いつになく賑やかだった。





 夜。

 小さな子どもたちが寝静まってから、エテルオ孤児院の院長室に大人たちが集まった。

 リェダ、ティアロナ、そしてフラーネである。


「小さい頃は『大人の世界』って感じで近づきづらかったんです。この部屋で先生さんたちとお話できるなんて、ちょっと嬉しい」


 フラーネは笑顔のまま、何度もソファーの座り心地を確かめていた。身体は成長したが、こういうところはまだ子どもっぽさが残る。

 壁際に立ったティアロナが、コーヒーのカップ片手に、大げさなため息をついた。


「そんな様子でちゃんとやっているのかしら」

「失礼な。普段は私、もっとちゃんとしてますよ。自慢じゃないですが、王都や騎士団の偉い人にも敬語を使われることだってあるんですから」


 ムキになって反論した後、フッと表情を緩める。


「まあ、そのですね。普段気を張ってる分、孤児院ここでは素が出せるというか。正直、自分でもびっくりしてるんですよね。ここまで昔みたいに喋れるなんて」


 フラーネは部屋の隅を見る。丁寧に磨かれた鎧一式と大剣が置かれていた。やっぱりアレは少し重いです、とつぶやく勇者の少女に、リェダとティアロナは顔を見合わせた。


「そこまで言うなら、戻ってくることも選択肢に入れればよかったのに」


 ティアロナが小声で言った。

 リェダは思う。元部下の言葉はフラーネを内心で思いやったからこそ。そして、孤児院の将来を見据えてこその言葉だったのだろうと。


 だがフラーネは「さすがにそれはできませんよ」と軽く笑った。


 リェダは話題を変える。


「日中は子どもたちがいるから詳しく聞けなかった。今日このタイミングで孤児院に寄ったのは、なにか事情があったのか? お前のことだ。事前に手紙くらい寄越しそうなものなのに」

「あー、ごめんなさい。本当はもっとまとまった時間を取って準備したかったんですが、ここのところ忙しくて。今日はたまたま近くで任務があったから、無理を言って丸一日、時間をもらったんです」

「……任務?」

「そりゃあもちろん」


 にこやかな顔で勇者フラーネは言った。


「魔族討伐ですよ」


 大人ふたりの間に、ほんのわずか緊張が走った。


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