最終話 魔王先生


 ――数か月が経った。



 一台の荷馬車が、砂利道をゆっくりと走っている。長閑な日和だった。

 この辺りは、先の魔族大侵攻の爪痕が目立たない。

 フラーネ・アウタクスは、荷馬車の振動で目を覚ました。くるまっていた毛布からもぞもぞと抜け出す。背伸びをひとつ。


「おはよう。フラーネ君」


 御者台から声をかけられ、フラーネは慌てて居住まいを正した。


「おはようございます、ガルモサ様。すみません、お見苦しいところを」

「いやいや。気にしなくていい。何せ休暇中だからね。お互いに」


 朗らかに答えたのは、リツァル蒼騎士団騎士団長、ガルモサ・コンティエイスその人である。他に供の者はいない。


 ――数か月前。ブロンスト南西の山体崩壊に端を発した魔族の大侵攻は、周辺の土地に大きな傷跡を残した。ブロンストの街が何とか無事だったのは、現場に駆けつけた勇者や賢者、リツァル蒼騎士団の奮闘によるところが大きい。

 おかげで騎士団長のガルモサは、戦場と遜色がないくらいに忙殺された。落ち着いたのは本当につい先日のことである。


 フラーネはすまなそうに言った。


「しかし、本当に良かったのですか。せっかくの休暇なのにおひとりで御者を買って出るなんて。私なら自分で御者を手配しましたのに。何なら徒歩でも」

「偉大なる勇者殿への、これは感謝と敬意の印だと思ってくれたまえ」

「私はもう勇者ではありません」


 その言葉どおり、フラーネは平服姿だった。勇者の証である鎧も剣も、すべて返上している。彼女の宝物である木剣――聖剣チェスターだけがかつての名残だった。


「次の選抜闘技大会にも出場しません。参加候補者の指導は最後まで続けますが」

「ううむ、残念。勇者が在籍することは我が騎士団にとってこれ以上ない誉れだったのだがねえ。フラーネ君の指導は少々独特だから、次の勇者がリツァルから無事生まれてくれるかどうか……」

「ガ、ガルモサ様! それはあんまりな言いようです!」

「あっはっは」


 気持ちよさそうに笑っていた騎士団長は、ふと、表情を改めた。


「君が勇者を辞するのは、リェダ殿のためかい? 

「……!」


 フラーネがサッと緊張する。ガルモサはゆっくりと振り返った。赤銅色の瞳が元勇者を見つめる。


「ガルモサ様。どうしてあなたがそのことを。先生さんの正体は、誰にも口外していないはずです」

「……フラーネ君。確か、君と初めて公式に面会したときも、同じように緊張した表情をしていたね。その後も、何かと君は私を避けていた」


 突然の話題変え。フラーネは戸惑った。騎士団長の言っていることは自覚がある。

 だけどどうして今、その話題を出すのだろう。


「実は、君の直感は正しかったのだよ。私は魔族の血を引いている。正確には、母方の祖父が穏健派の魔族だったんだ。フラーネ君は私に流れる魔族の気配を、無意識のうちに感じ取っていたんだろうね。生粋の勇者として」

「……え。ええっ!?」

「ここだけの話だよ?」


 悪戯っぽく口の端を上げる騎士団長。


「この瞳の色は正真正銘、魔族由来のものだ。おそらくステラシリーズを使えなかったのも、私に魔族の血が流れていたせいだろうね。ま、そうはいっても私自身は自分を人間だと思っているがね。自分で瞳の色を冗談として扱えば、案外、周りは深く気にしないものさ」


 二の句が継げられず、パクパクと魚のように口を動かすフラーネ。どうして騎士団長ともあろう者が、部下もつけずに御者を申し出たのか理解した。


「私がリェダ殿を魔族だとわかったのは、まあつまりそういうことだ。同族が同族を理解するのにそれほど苦労はしない。もっとも、彼は私と違って純血で、それでいて特殊な存在だったようだが」

「で、では、どうして騎士団に勤めることを認められたんですか。あんなにあっさりと」

「フラーネ君を見ていて、悪い魔族ではないと確信していたからね」

「私を? 先生さんじゃなく?」

「どうやら私は、魔族としての力がない代わりに、魔族を嗅ぎ分ける力に長けているようでね。フラーネ君が勇者装備よりも大切にしている聖剣……それが強大な魔族の手によるものだと薄々理解していたのだよ。そして、これぞ勇者の中の勇者と言えるような少女を育て上げた人物が、根っからの邪悪とは考えられない。親近感が湧こうというものだ」


 フラーネは天を仰いだ。自分が文字通り死にそうなほど衝撃を受けた事実に、この騎士団長はずっと早い段階から気づいていたというのだ。

 ガルモサは前を向いた。


「これは完全に私の推測だが、私が魔族の血を引いているように、フラーネ君は勇者の血を引いているのではないかと思っている」

「……え?」

「この世界には、勇者を輩出する一族があるという。穏健派の魔族が隠れて暮らしているように、今はどこにいるのか定かではないが、もしかしたらフラーネ君は、その一族の出身なのかもしれないね。だから、本能から魔族に敏感なのだ」

「私が、リェダ先生さんを憎んでいたとでも?」


 フラーネの口調が低くなる。ガルモサは首を横に振った。


「そうは思わない。しかし、リェダ殿が特別な存在だったのは確かだ。君は勇者として、ひとつの奇跡の中にいたのだと私は思う。勇者と魔王。相反するふたつが手を取り合える奇跡だ」


 目的地を目指し、荷馬車は街道を曲がる。

 ガルモサは言った。


「だからこそ、君は勇者を続けるべきだと思う。私はね。待っているよ」



◆◇◆



 湖のほとりで、フラーネはガルモサと別れた。それからは徒歩で進む。

 ゆっくりと歩きながら景色を眺める。湖の静けさは記憶のまま。道を挟んで反対側の林は、だいぶ荒れている。しかしこれでも、まだ被害は少ない方だ。

 フラーネが向かっているのは、かつて自分が育ったエテルオ孤児院である。


 建物が見えてきた。孤児院は変わらずそこにある。

 小道の先に人影がふたつあった。フラーネに気づくと、手を振ってくる。フラーネは手を振り返した。


「エル! リートゥラ!」


 百年に一度の天才賢者エル・メアッツァと、孤児院を卒業したしっかり者の少女リートゥラである。ふたりとも、フラーネと同じように動きやすい平服姿であった。

 笑顔で再会を喜ぶ三人。ふと、フラーネは孤児院の前庭を見渡した。


「あれ、子どもたちは?」

「皆、疲れちゃったみたいで。今日は少し早めのお昼寝」


 リートゥラが苦笑しながら答える。


「エル姉さんの荷物、なかなか片付かなくて……」

「むりやばいの極み……ほんとごめん」


 エルがしょんぼりする。孤児院の建物を研究施設として使っていたため、彼女の私物や地下書庫から引っ張り出された蔵書で散らかり放題だったのだ。

 フラーネは腰に手を当てた。


「エルらしいと言えばらしいけど……いくら研究に熱中してたからって、片付けの期限は護った方がいいよ。リツァルから皆が戻ってくる日は、あらかじめ決めてたんだから」

「おっしゃるとおり……」


 エルの肩で人形ががっくりと崩れ落ちていた。フラーネはリートゥラと顔を見合わせ、小さく笑い合った。


 ――エテルオ孤児院は、つい先日、リツァルから再びここ、湖のほとりの建物に移った。

 魔族大侵攻が終結し、後処理も一通り終わって、安全が確保されたためだ。街の暮らしよりも、元のこの場所が良いと子どもたちが口を揃えたことも大きい。


 それともうひとつ。子どもたちには明かしていない大事な理由がある。

 リートゥラが言う。


「私は皆の様子を見てくるね。姉さんたちはどうするの?」


 しっかり者の年長者は、たびたび孤児院の手伝いに来てくれるようになっていた。

 フラーネはエルと顔を見合わせる。静かに答えた。


「お墓参りに行ってくるよ」

「お墓……そっか。わかった。じゃあ戻ってきたら、皆でお茶にしようね」


 手を振って、リートゥラと別れる。


 それからフラーネとエルは、連れだってエテルオ孤児院の裏手へ向かった。

 湖側と違って、こちらの方は倒木が目立つ。抉れた地面に、エルが何度か足を取られる。


「エル、大丈夫? まだ身体の方、戻りきってないんだ」

「うん。でも平気。日常生活には障りなし」


 エルは答えた。

 今の彼女はフラーネと同様に、賢者の肩書きを返上していた。魔族大侵攻の後遺症が癒えるまで療養するため――と伝えている。


 やがて目的地が見えてくる。

 戦闘の後も生々しい荒地。突き出た岩の合間に、魔法陣の痕跡がある。

 魔法陣のほとりに、先客がいた。ひざまずいて祈りを捧げる人物がふたり。


! !」


 フラーネの声かけに、顔を上げる彼ら。傍目にはただの見目麗しい男女にしか見えない。偽装魔法はしっかりと効果を表している。

 いつもの、穏やかな笑みが出迎えた。


「よく来たな。フラーネ」

「はい! もうここは、私の家みたいなものですから」


 喜色満面で答えると、ティアロナがつぶやく。


「まったく。毎度毎度、調子のいいことを」

「ティアロナ先生も相変わらずみたいでよかったです」


 視線が交錯する。隣でエルが「むりやばい」と嘆いていた。


 それからフラーネたちは、リェダの隣に並んだ。彼らの前には、新しく作られた小さな墓がある。

 魔族大侵攻によって破壊されてしまったエテルオの墓であった。

 しばらく皆で祈りを捧げる。

 穏やかな風が、墓前に供えられた花を揺らす。フラーネは目を開け、隣のリェダを見た。


「先生さん。お身体は大丈夫ですか」

「ああ。もうだいぶ良い。お前たちのおかげだよ」


 リェダは答えた。フラーネは大きく息をつく。


 ――数か月前のあの日。

 リェダが消滅し、絶望に打ち震えたフラーネ。その彼女に立ち上がるきっかけを与えたのは、大賢者エルだった。エルは、リェダがくれた人形を拾い上げ、言った。


『パパを……もう一度召喚しよう。私たち三人で』


 魔王リェダーニル・サナト・レンダニアを人間世界に留め置くことはできなかった。

 だが、エテルオが行った召喚魔法を、もう一度再現することができたなら――?

 賭けではあった。

 研究はした。やり方も学んだ。ただ、エルひとりでは難しかった。

 しかしあの場には大賢者の他に、稀代の勇者と、魔王の右腕がいた。リェダの帰還を心の底から望む者たちが、三人も揃っていたのだ。


 そして――彼女たちは賭けに勝った。

 無論、いくつかの代償はあったが。


「先生さんは、私たちが側にいないと駄目なんですから。じゅうぶん、注意してくださいよ」


 フラーネが指を立て、したり顔で言う。リェダは「わかってるよ」と微笑んだ。そして感慨深そうにつぶやく。


「しかしまさか、お前たち三人が俺の『新しい主』になるとはな」


 ――リェダを再び人間世界に。

 召喚魔法はフラーネ、エル、ティアロナが力を合わせることで発動した。その際、召喚主としての立場も三人それぞれに付与されたのだ。

 フラーネたちが全員揃って初めて、リェダを人間世界に留め置く力が安定する。

 そのせいか――彼女らが揃わなければリェダの活動範囲は大きく制限されるようになってしまった。


 エテルオ孤児院が元の場所に戻された、もうひとつ大きな理由。それは復活したリェダが、召喚魔法陣から離れることができなくなったためだった。


 だが、リェダはそのことを不幸とは思っていない。むしろこれ以上ないほどの幸運だと考えている。

 もう永遠に戻ってこないと思っていた日々が、再び帰ってきたのだから。


 フラーネ。エル。ティアロナ。

 三人の顔を、魔王リェダーニル・サナト・レンダニアはじっと見つめた。そして、深く頭を下げる。


「ありがとう。そしてもう一度言わせてくれ。――ただいま、お前たち」

「おかえりなさい」


 声とともに、三人は抱きついてきた。リェダは彼女らの身体を強く、思いを込めて強く抱きしめ返した。

 どのくらい、そうしていただろうか。


「さてティアロナ先生? そろそろ先生さんから離れてはいかがでしょうか?」

「最後にのこのこやってきた娘が、何を言っているのかしら?」

「私は私でやることがあったんですぅー! 先生さんを思う気持ちは負けませんー!」

「私はあなたが生まれる前からずっと陛下のお側で支えてきたのよ。フラーネ、あなたは本当、まだまだなの。わかる?」

「あの……ふたりとも。超絶むりやばいからやめて」


 ぶつかり合う元勇者と元部下。その間でオロオロする元賢者。

 リェダから離れてもなお言い争いを続ける彼女らを、魔王は苦笑して眺めていた。


 エテルオの墓を振り返る。

 供花が、笑うように揺れていた。


「エテルオ先生。我はもうしばらく、この世界で生きられそうだ。先生の遺志、引き続き継がせてもらって構わないだろうか」


 かつて魔界において最強の魔王と怖れられた男は、これまで長く生きてきて初めて、心から実感した。深く苦しい孤独感から解放されたのだと。


「誓おう。魔王としても、先生としても生きると。それが、我をこの世界に喚んだ者たちの願いならば」


 また、風が吹く。『頼んだぞ』と恩師に言われた気がした。

 リェダは応えた。


「任せよ。魔王先生ここにあり――だ」









魔王先生 が あらわれた! ~孤児院を開いた最強魔王、子どもたちを酷い目に遭わせた連中へ鉄槌を下す~ 了

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