第18話 フラーネの動機


 ――それから数十分後。

 エテルオ孤児院からやや離れた林の中である。


 リェダは狩りの道具を手に、獲物を探していた。

 隣には鎧を着込み、大剣を装備したフラーネの姿がある。


「フラーネよ」

「はい?」

「いくら肉が欲しいからって、二人きりで狩りに行こうだなんて急すぎるだろ。曲がりなりにも、お前はしゅひんなんだぞ」

「えへへえ」


 なぜか嬉しそうに笑う勇者。


 ――ティアロナとともに料理の仕込みをあらかた終えた頃、子どもたちとのたわむれを切り上げたフラーネがやってきて、「リェダ先生さん。狩りに行きましょう」と言ってきたのだ。

 リェダに美味しい肉を食べてもらいたいという理由らしい。


「お前が土産に持ってきた干し肉だって、じゅうぶん高級品だったぞ。王都の職人にわざわざ作ってもらったとか言ってたな」

「私、王国に認められた勇者ですから!」

うとい俺でも、そういうのが職権らんようっていうのは知っている」

「まあまあ。リェダ先生さんのことだから、あの干し肉はぜんぶ、孤児院の子どもたちに振る舞うつもりだったでしょう? 私も孤児院にいたからわかります。めったにないご馳走ですもんね」


 職権濫用と責められても、フラーネは頬を緩めたままだ。


「だからこそ、リェダ先生さんだけに振る舞いたいんです。リェダ先生さん、お肉好きなのにぜーんぶ皆に分けちゃうんですもの。いつも皆を優先してくれる先生さんのために、とびっきりの肉料理を。そのために私、この三年間、王都の料理人さんに教わりました。肉マイスターの称号は伊達ではありません」

「初耳だぞ勇者。ティアロナが凄い形相していたのに、ゴリ押しして俺を引っ張り出してきやがって」

「ティアロナ先生はああ見えて、皆を無視して意地張れるほど子どもじゃありません。それだけ優しいの、私知ってますから。せっかくなので思い切り甘えました」


 そう言ってのけるフラーネに、リェダはため息をついた。

 本当にたくましくなった。王国に認められるにはこれほど計算高くないといけないのだろうか。


 これまで何通も届いた手紙を思い出す。多少の愚痴や弱音はあっても、彼女は前向きに、ひたむきに、充実した毎日を過ごしているとリェダは感じていた。

 人間の上流社会がどういったものかを元魔王は知らないし、興味もない。ただ、大事な教え子が今も変わらず笑っていることがなにより重要だった。

 こういうのを、水が合うというのだろう。


 リェダは言った。


「フラーネが王都の暮らしに満足しているようで、よかったよ」

「満足?」


 ――不意に。


 周囲の空気がわずかにピリついた。落ち葉が、埃のようにわずかに舞う。

 元魔王にとって、その程度の威圧感は脅威ではない。ただ首を傾げた。


「どうした?」

「リェダ先生さん。私は今の状況に満足していません。ちっとも」


 リェダは目をまばたかせた。

 これが人間の上昇志向というやつか。しかし、これ以上どこを目指すというのだろうか。この国の王? リェダは自らを省みる。とてもおすすめできない。

 だが、可愛い教え子がそれを望むなら、背中を押すことにやぶさかではない。


「お前を応援しよう」

「それですっ!」


 指を突きつけられた。フラーネの柳眉は逆立っている。醸し出す怒りの雰囲気。どう考えても同意ではなく否定の台詞だ。わけがわからない、とリェダは思った。


 フラーネはリェダの正面に立つと、彼の両手を握った。


「リェダ先生さんは、私を応援しなくていいんです」

「……は?」

「私が不満なのは、。王都の誰も。――私を勇者にしてくれたのは、リェダ先生さんなのに」


 教え子の剣幕に戸惑うリェダ。


 そのとき、彼は眉根を寄せた。獣の気配を感じたのだ。複数。予想よりも大きい。

 ようやく遭遇できましたか――とフラーネがつぶやいた。


「エテルオ孤児院に来る途中、この辺りを下見しておいたんです。孤児院から距離があるから、リェダ先生さんの普段の狩り場からも離れていると思って。そうしたら、ちょうどいいサイズのウルゾス剣牙狼の群れを見つけました。きっと、山から獲物を探して下りてきたんですね」


 ウルゾス。主に国境山岳地帯に棲息する大型の狼。警戒心が強いので人里を襲うことはないが、ひとたび牙を向くと手が付けられない。――リェダが聞き及ぶ情報だ。

 こちらから討伐するなら手練れの冒険者がパーティを組むか、騎士団が動くのが常という。


 フラーネがリェダから離れる。


「リェダ先生さんは、私を応援しないでください。その代わり、ご自身を誇ってください。勇者を見いだし育てた人間だと。私は、あなたを皆へ認めさせるために勇者となったのです」


 歩を進める。枯れ枝を踏もうとお構いなしだ。ウルゾスの群れもこちらの存在に気づいたらしい。動きが止まる。


 フラーネは腰に手をやると――あろうことか、大剣を鞘ごと地面に落とした。精緻な紋様の逸品、おそらく勇者の称号とともに授けられたであろう大剣が、まるで不要品のように雑に扱われる。


 その代わりに勇者フラーネが握ったのは、鍔のないシンプルな木剣。

 昔、リェダが彼女に与えたものだった。

 彼女が木剣に付けた名は確か――聖剣チェスター。

 フラーネが放つ魔力に呼応して、木剣に込められた魔法が活性化する。それはリェダが【無限充填】で木剣を作ったときよりも、さらに洗練されていた。


「私の強さは、リェダ先生さんの強さ」


 空のように蒼く長い髪が、ゆらりと動く。顔だけ振り返った勇者の瞳は、ギラギラと輝いていた。


「見ていてください。あなたの勇者が、どれほどのものになったか」


 そのために、あなたとここに来た――。

 つぶやきを虚空に残し、フラーネは突撃した。


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