第17話 彼らにとっての勇者


 勇者。

 それはナタースタ王国において、特別な功績や実績を挙げた者に贈られる称号。

 広い王国内において、両手で数えるほどしか存在しない。

 ゆえに、『勇者』の名において為された約束は、周囲にとっても本人にとっても、重い――。


「うわあ、すごい! あのベッド、まだ残ってるんだ! 懐かしー」

「フラーネお姉ちゃん、後で木登りしようよ木登り」

「木登り? ふふん、甘いわよ。私なんか昔、壁登りしたんだから。こう、するするーっと鐘楼までね」

「確か鍛錬とか言って無茶した奴だろ? 後でリェダ先生とかにすっげー怒られてたじゃん。まだそんなことやってんの姉ちゃん。勇者のくせに」

「な、なによその疑念の目は。私はちゃんと勇者としての職責をまっとうしてますぅ」

「うっそだあ。絶対、脳みそに筋肉詰まってんじゃん。勇者っぽくねえよ、大人なのに」

「むむっ! さっきちゃんとそれっぽく挨拶してみせたでしょ! あなたたちだって、すごいって顔してたのに。もう、見てなさい。このフラーネさんの絶技を見れば――!」

「あーっ、おねえちゃん私の人形踏んでるー! せんせーが作ってくれたのにぃ、うわーん!」

「ああああっ、ごめんねごめんね! リェダ先生さんが作ってくれた人形なら命の次に大切な宝物だもんね! ああ、埃が埃がっ」


 ――フラーネ・アウタクスが来訪してわずか一時間。


 孤児院の子どもたちは二階で大はしゃぎしていた。その中心に勇者フラーネがいる。まったく違和感がない。


 一階のキッチンで昼食の仕込みをしていたリェダは、懐かしさを噛みしめていた。


「あいつが孤児院を出るまで、こんな感じだったな」


 出会った当初は塞ぎがちだったフラーネ。リェダが木剣を与えてからは、すっかり元の明るさを彼女は取り戻した。

 どうやら、三年経った今でも変わらないようだ。

 機嫌良く包丁を動かしていた手を、リェダはふと止めた。


「魔力を抑えろ、ティアロナ」

「申し訳ありません……!」


 ぜんぜん申し訳なく思ってない口調で、元部下は応えた。黒い魔力がかすかに、湯気のごとくにじみ出ている。

 彼女にしては珍しく、わかりやすい怒りの表明だ。


 リェダは肩をすくめた。

 どうも昔から、ティアロナとフラーネはそりが合わない。理由はリェダにはわからなかった。


 キッチンにはふたりだけ。リェダはさり気なく、【無限充填】でティアロナに偽装魔法を重ねかけする。そのころには、ティアロナもいくぶん気持ちを落ち着かせていた。

 怒りの魔力放出の代わりに、る。


「孤児院に平穏と安定をもたらすという約束はなんだったのですか」

「本人に言え」

「……やめておきます」


 無用のいさかいを生むだけだと思ったのだろう。賢明な判断だった。


 野菜を切る音、皮をむく音、調味料の容器が棚から出されたり戻されたりする音が続く。

 ただでさえ十三人分の食事を作るのは大変だが、今日はフラーネのために、いつもより豪華なものにする予定だった。手伝い当番の子も、今回は免除。フラーネとの久しぶりの再会を楽しめとリェダは言ってある。


「リェダ様」


 ティアロナが言った。院長と呼ばなかったことに、かすかに眉を上げる。


「フラーネは、本当に勇者となったのでしょうか」

「あの装備一式は、ただの貴族やギルドでは用意できないだろう。刻まれた紋章は王国騎士団のもので間違いない」


 ちらりと振り返る。

 リビングのソファーには、脱いだ鎧がそのまま放置されていた。精緻な細工がほどこされた大剣も隣に立てかけられたまま。あの一式でどれだけ値が張るのか想像もつかない。

 リェダは声を落とした。


「仮に我らが本気を出したとしても、あの鎧に傷を付けるのは骨かもしれぬ」

「本当に憐れなことこの上ないです。あの鎧が」


 ティアロナの嘆息混じりの台詞に、リェダは苦笑した。


「ま、装備のことを俺たちが考えてもせんいだろう。あれはあの子のものだ。俺たちが使うわけではないし、俺たちがあれをどうこうすることもない」

「本当にそうでしょうか」


 リェダは皮むきの手を止めた。

 隣の元部下に、静かに尋ねる。


「なにが言いたい。ティアロナ・デサナト・ネネライダ」

「勇者とはなにかを、忘れてはならないと考えます。陛下」


 ティアロナは手を止めない。視線もそちらに向けたまま。


「勇者とは、数多の人間から選び抜かれた精鋭。その剣は、その魔法は、使。陛下もご存じでしょう」

「ああ。知っている」


 リェダも仕込みを再開する。


魔族ゴミクズどもの狼藉は王国全体に広がっている。奴らは腐っても魔界の住人だ。こちらの一般人がたやすく撃退できるものではない。そのために王国には騎士がいて、その上に勇者の称号を受けた者たちがいる。魔族を蹴散らすために」

「勇者の存在は、魔界にいた私たちの耳にまで入ってくるほど。その実力、侮ってはなりません」

「……」

「リェダ様。勇者は危険な存在です。それはあなた様もご存じのはず。フラーネは今――」


 リェダは遮った。


「俺が知っているのは、三年前と同様、底抜けに明るく、少々扱いに困る俺の教え子だ」

「リェダ様……」

「お前だって、さんざん文句言ったり怒ったりしながら、フラーネに基礎魔法の手ほどきをしてやったことがあるだろう。『昔取った杵柄だ』とかもっともらしいことを言って。俺は知っているぞ」

「そ、そんなことは、私は知りません。忘れました」


 ぷいと顔を背ける。

 仕込みの音に、数分前までの穏やかさとリズムが戻る。


「あの子はフラーネだ。昔も今も変わらぬ」

「……承知いたしました。あなた様のお心のままに」


 スッとティアロナが身体を寄せてくる。

 まるでむつごとささやくように、けれど言葉の中身は鋭く。忠実な元部下は言った。


「しかし、重々お気を付けください。我らの正体、そして我らの活動のこと。フラーネに知られるわけにはいきません」

「ああ。わかっている」

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