第16話 称号
「まったく。魔界にいたころとはずいぶんと変わったな。あいつも」
執務机の椅子に背中を預け、ひとりリェダはこぼした。
まあ、それも悪くない。変わることは、悪くない――と彼は口元を緩める。
一方で、ティアロナが言っていたことは確かに懸案である。いつ宝玉の魔力が尽きて魔界に送還されるかわからない以上、子どもたちの今後を考えておくのは必要だ。
リェダは執務机から書類を一式取り出した。これまでに集めた引取候補のリストだ。近隣の商工ギルド、子どものいない家族など。王都の学校という項目もある。中には、すでに巣立った元教え子たちの名前もあった。
教え子には、立派に出世して自らの屋敷を持つ者もいるのだ。
「おっと……」
書類をめくった拍子に、手紙が床に落ちた。元教え子から届いた、近況を知らせる手紙だ。
こうして律儀に手紙をくれる子もいれば、完全に関係を絶ってしまった子もいる。
全員、リェダにとって大事な子どもたちだ。
リェダは手紙を手に取り、しばらく遠い目をしていた。
そのとき、院長室の扉がノックされる。
リェダはこれまでの経験から、ノックの仕方と気配でだいたい誰が訪れたのか把握できる。
「リートゥラか。入っていいぞ」
「失礼します。リェダ先生」
礼儀正しくお辞儀をして室内に入ってくる少女。落ち着いた雰囲気をまとっている。綺麗な金髪を、『お世話の邪魔になるから』という理由で短めに切っている。
リートゥラは十四歳。現在、エテルオ孤児院の最年長であり一番の古株だ。リェダよりも孤児院で過ごした時間が長い。現院長のリェダがどうしようもなかった時期も、彼女は知っている。
「どうした、なにか――」
「先生、到着されましたよ」
リェダは目を
孤児院には不釣り合いなほど
「到着? なにが?」
「聞かれてないんですか?」
年長少女が驚きに目を丸くする。よく見れば、普段よりもそわそわしているようだった。
リェダは院長室の窓を振り返る。いつもと変わらぬ外の景色。だが、妙に騒がしいことに気づいた。
院長先生が本当に知らないと気づき、リートゥラが珍しく声を上げて笑った。
「もうっ、姉さんらしいなあ」
リートゥラに実姉はいない。彼女が『姉』と呼ぶのは、すでに孤児院を巣立った元教え子のことだ。
「おい、まさか」
「皆、大はしゃぎですよ。早く顔を見せてあげてください、リェダ先生」
手を引かれ、院長室を出る。
リビングを抜け、玄関へ。その頃にはだいぶ声も大きく聞こえていた。
「おー、すげー! 姉ちゃんすげー!」
「かっこいいー!」
「ねえねえねえ! それホンモノ? それホンモノ? 触らせて触らせて!」
「きれいなおうまさんだー」
玄関扉を開け、外に出る。
――瞬間、前庭広場に太陽が舞い降りたとリェダは錯覚した。
爽やかな陽光を、滑らかな鎧が反射した光。
蒼の長髪が絹布のようになびく。
腰には美しい
リェダは肩の力を抜いた。
「おかえり。フラーネ」
その一声で。
大人の女性としてはまだ初々しい秀麗な眉目が、昔のようにぱぁっと華やいだ。
「ただいま戻りました! リェダ先生さん!」
子どもたちに囲まれながら、リビングに向かうリェダとフラーネ。ティアロナはキッチンから茶を持ってくる。簡単につまめるものもセットだ。
「早いものだ。お前が孤児院を出て、もう三年くらいか。すっかり大人びたな」
「いやあ、えへへ」
照れたように笑いながら、テキパキと鎧を脱いでいく。手慣れた様子に子どもたち――特に男の子連中が「おおー」と目を輝かせていた。
「私、もう十八ですから。立派な女性です。リェダ先生さんと並んでもぜんぜん
「そういうところは子どもっぽいわね」
すかさずティアロナが言った。
彼女はリェダの隣に腰掛け、カップを持つ。お洒落なマスクをくいとずらし、優雅に茶を口に運んだ。
その仕草は洗練された女性のもの。
褐色赤髪の美人を、フラーネはじっとりと睨んだ。
「ティアロナ先生も! お久しぶりですっ!」
「ええ」
短く答えて、また茶を口に。子どもたちがひそひそと、「ティアロナ先生、怒ってる?」と話し始めた。
一方のフラーネは鎧を脱いだラフな格好でソファーに座り、頬を膨らませている。まとわりついてくる子どもたちを撫でたり膝に乗っけたりして、茶を飲む余裕はなさそうだ。
リェダは足を組んだ。
「驚いたぞ。連絡もなしに突然来るから」
「ごめんなさい。驚かせようと思って」
「まあ、いい。元気そうで安心した」
皆も大喜びだしな、とリェダは言った。子どもたちは満面の笑みで応えた。
フラーネは膝の上の子を撫でながら、辺りを見回す。「孤児院の建物は変わってないな」とつぶやきつつ、少しだけ、表情を陰らせた。
「やっぱり三年経つと、顔ぶれは変わっちゃいますね」
「そうだな。今、ここには十人いる。お前を知らない子もいるから、仲良くしてやってくれ」
「もちろん」
そう言ってフラーネは、遠巻きに見ている子たちに向けて笑顔で手を振った。
その子のひとりが、意を決して尋ねた。
「あ、あのっ! もしかして、フラーネ・アウタクスさん……ですかっ!?」
「え? あ、はい。そうです」
「う、うわぁ……本物だよ。うわぁ」
口をぱくぱくさせ、頬を紅潮させるその子。
フラーネは苦笑した。
「私の名前って、こんなところまで知れ渡ってるんですね」
「ここにも時々、商人が来る。噂話程度なら、そのときに聞くんだ」
それに、とリェダは言う。
「フラーネ。お前、ここを出てからも山のように手紙を出してきただろ。嫌でも皆に伝わるよ。ま、だからこそ大騒ぎになったんだがな」
「いやあ、お恥ずかしい」
頭をかいたフラーネは、ふと居住まいを正した。
柔らかだった雰囲気に鋭さが宿る。
フラーネにまとわりついていた子どもたちも、彼女からいったん離れて大人しく座った。
「エテルオ孤児院院長、リェダ殿。本日は急な来訪にもかかわらず歓待いただき、このフラーネ・アウタクス、心からの感謝を申し上げます。私の目が届く内は、本孤児院に平穏と安定をもたらすとお約束しましょう」
それは、ティアロナが茶を飲む手を止めるほどの、洗練された、堂々とした口上だった。
フラーネ・アウタクスは、リェダを真正面から見つめ、言った。
「――『勇者』の称号にかけて」
万感の思いを込めて、言った。
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