第35話 勇者と賢者の関係
それからフラーネは、彼女に割り当てられた部屋に向かう。
当然のようにエルを連れて、だ。
フラーネは頬に冷や汗を流していた。後ろを付いてくる妹分から、じっとりと睨まれているのがわかったからである。
あらかじめ教えられていた部屋の前に来る。最上階の角部屋、陽当たりも良い最も上等な一室だ。
「どうぞ……」
「……。お邪魔します」
やたら
勇者は辺りをうかがいながら慎重に扉を閉め、そのままソファーに飛び込んだ。
「あー……失敗したあ」
「フラ姉でも反省することがあるんだね」
「なにそれヒドイ」
「もう手遅れな気はする」
またじっとりとした視線を向けられ、フラーネはソファーに顔を埋めた。
エルは肩をすくめ、部屋を見渡す。
騎士団用の一番上等な部屋だけあって、一通り揃った調度類はどれも立派な作りだった。窓際の執務机など、かつて孤児院で過ごしていたときの院長室を彷彿とさせる。
「フラ姉」
執務机に細い指を這わせながら、エルは言った。
「パパは、元気?」
フラーネは上半身を起こした。ソファーに座り直し、柔らかな微笑みを浮かべる。
「相変わらず、エルはリェダ先生さんのことをそう呼んでるんだね」
「フラ姉こそ、パパのこと『先生さん』なんて呼び方、まだしてるんだ」
「もちろん。私にとって先生さんは唯一無二だからね!」
胸を張る。エルは表情を変えない。
フラーネは言った。
「元気だよ。つい最近、会いに行って来た。子どもたちも相変わらず元気」
「羨ましい。……で、ししょーは?」
「ティアロナ先生? さあ、元気なんじゃない?」
エルは片眉を上げ、フラーネの対面に座る。
「相変わらず仲悪い」
「仕方ないでしょ。向こうが突っかかってくるんだもの」
「ししょーが?」
じーっ……。
「……まあ、私も調子に乗ったところはあるけど」
勇者は折れた。
旗色の悪さを払拭するように、フラーネは立ち上がった。
「エル。お腹空かない? 私がとびっきりの肉料理を作ってあげる」
「お腹空いてない」
「リェダ先生さんのお墨付きなんだ。待ってて!」
「……話聞かない、むりやばい」
エルの訴えを無視し、フラーネは意気揚々と部屋を出ていく。
天才賢者はソファーに背中を預けた。フラーネが座っていた場所を見る。大剣が無造作に置かれていた。木剣はない。肌身離さず持っていったのだろう。
エルは賢者のローブの内ポケットから、小さなぬいぐるみを取り出した。両掌に乗るほどの大きさ、可愛らしくデフォルメされた女の子の人形だ。
孤児院にいた頃、パパ――リェダ院長が作ってくれたものだ。
エルは人形に魔力を通す。すると人形はひとりでに動き出し、エルの掌でくるくると踊り始めた。その様子を賢者は無表情に見つめる。
――人形は、エルの『表情』だ。だから敢えて名前を付けていない。人形はエル自身である。
孤児院時代、いやそれより前から、エルは喜怒哀楽の表情に乏しい子どもだった。そのために、周囲に誤解を与えることもしばしばあった。
『無理に表情を作る必要はない。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、つらいこと。この人形で代わりに伝えてみたらどうだ』
リェダの言葉を、エルは今でも覚えている。
コミュニケーションの苦手なエルに新しい道をくれた。
それだけじゃない。
この人形は感情を伝える手段だけではない。エルが賢者として魔法を使うとき、人形は大きな助けになっている。
リェダは自分を生まれ変わらせてくれた。
だから、たとえ一緒に過ごした時間が短くても、エルにとってリェダは『パパ』なのだ。
――実の両親は、もういない。
エルを孤児院に託して、力尽きてしまった。
今から七年前のことだ。
掌の上で踊る人形は、喜び、ウキウキの表れ。
素っ気ない態度を取っているが、エルはフラーネのことを家族として大切に思っている。再会できて、嬉しくないわけがない。
――扉が開いた。香ばしい匂いをまとって、フラーネが戻ってくる。
エルはそそくさと人形をしまった。
「調理早すぎ。むりやばい」
「おやおや~? さっき人形が踊ってたなあ~」
「むりやばい」
肉料理をテーブルに置くと、フラーネは妹分の隣に座った。密着するほどくっついて、にやにや笑いを浮かべたまま料理を食べさせてくる。
無理矢理にでも口にねじ込まれる美味な肉巻きを、エルは虚無顔で受け入れた。
「むりやぶぁ……もぐもぐ」
「まだまだあるよー」
フラーネは昔からこうだったなとエルはぼんやり考えた。なぜかエルにはやたらと構いたがるのだ。
見た目は大人な賢者に餌付けする勇者は、事情を知らない者が見れば非常にシュールなものに映る。実際、様子を見に来た眼鏡の女騎士は、すぐに回れ右で引き返していった。
「
「なに?」
口の中の肉をようやく飲み込む。
「……もしかして、私以上にぼっち?」
食器が悲しい音を立てて床に落ちた。
――結局、その日は落ち込む姉を添い寝して慰める羽目になった。
エルは自分のコミュニケーション下手を、少し呪った。
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