第34話 百年にひとりの天才賢者


 その後、フラーネは騎士の拠点施設に呼ばれた。

 顔馴染みとなった女騎士とともに建物へ向かう。簡単な打ち合わせをしながら連れだって歩く。


「フラーネ様。本日はこの村で一泊し、明朝出発する予定となっております」

「私は今すぐでも構いませんよ」

「蒼騎士団から一名、先遣としてブロンストに向かわせます。フラーネ様はどうかお休みください」


 騎士では珍しい眼鏡をかけた女騎士は、怜悧な視線を勇者に向けた。


「連日の奮迅ぶり。今のフラーネ様に必要なのは休息です」

「……わかりました」


 うなずく。

 どことなく雰囲気がティアロナに似ている。フラーネは内心、眼鏡の女騎士が苦手だった。

 もちろん、そんなことはおくびにも出さない。

 それに、女騎士の言うとおりこれまで少々張り切りすぎた自覚はある。


 ナタースタ王国西部は比較的魔族の報告が少ないが、人々の脅威は魔族だけではない。フラーネは手勢を率いて各地を回り、人々に仇なす災獣や野盗の類をことごとく殲滅してきた。


 ――リェダ先生さんと久しぶりに会ったからなあ。やっぱり気合いの入り具合が違うよね。


「フラーネ様?」

「なんでもありません。今日は休みましょう。私の我が儘に付き合ってくださった皆さんには感謝しています」


 フラーネはにっこりと笑った。

 すると女騎士は敬礼した。


「我々にとって、勇者様に付き従うのは最高の誉れ。騎士団長から派遣命令を受けたときには、騎士になって良かったと心から思いました」


 ……その割には表情が一切変わらないのは、この方の性格的なものなのかしら……?


 にこにこ笑いながら、フラーネは首を傾げた。


 リツァル蒼騎士団において、フラーネは偶像アイドル的な扱いである。彼らはフラーネによく従い、フラーネをよく褒めた。あまり居心地の良いものではない。だが、それが『勇者』になった者の定めだと思えるほどには、今の立場に慣れてきていた。


 拠点施設に入る。

 久しぶりに屋根のある部屋でゆっくり休もうかと考えていると、見慣れない集団を見つけた。


 施設の玄関ホール。ソファーが設えられた休憩スペースに、ローブ姿の男女数人が座って談笑していた。

 鎧も着ていなければ、剣もいていない。騎士ではなかった。


「王立魔法研究所の研究者たちです。魔族研究のため、今回の任務に同行すると報告を受けています。……フラーネ様?」


 女騎士は怪訝そうに勇者を見た。フラーネは応えなかったが、その口元は緩んでいる。


「そっか。


 フラーネはつぶやいた。


 魔法研究所の者たちがフラーネに気づき、一斉に立ち上がった。フラーネたちの元に歩いてくる。

 先頭を歩く女性が静かに礼をした。


「王立魔法研究所特務研究室、室長のエル・メアッツァです。このたびはよろしくお願いします」

「特務研究室……エル・メアッツァ……あ!」


 女騎士が口元に手を当て、驚く。


「『百年にひとりの天才賢者』! あなたが同行者だったのですか!?」

「すみません。報告書に名前はありませんが、で、私もここに」


 淡々と答える天才賢者。表情も態度も淡泊で、感情がほとんどうかがえない。

 だが、身につけているローブは確かに賢者を表す赤と青のライン意匠が施されている。


 大昔に失われて久しい古代魔法の研究で多くの成果を挙げ、若くして専門部署を任された才媛。『百年にひとり』の肩書きは伊達ではない。


 ゆるやかにウェーブした黒の長髪、フラーネよりもわずかに高い身長、女騎士から見れば動きづらそうな豊満な肢体、静かな態度――一目で大人の色気が伝わってくる妙齢の女性である。


 冷静な女騎士はしばらく二の句が継げないでいた。

 騎士として前線で働くことの多い彼女は、天才賢者エル・メアッツァを実際に目にするのは初めてだ。

 言葉を失ったのは、そんな有名人に出会えた衝撃だけでなく――。


「あの。失礼ですが賢者様のご年齢は確か……」

「? 今年でですが、なにか」


 眠そうな目でこくりと首を傾げるエル。それだけ見れば年相応の少女仕草なのだが。

 後ろで同僚の研究者たちが「うんうんわかります」とうなずいている。


 天才賢者エル・メアッツァは、知能的にも、肉体的にも、非常に早熟な少女だった。

 下手をすれば、この場にいるどの女性よりも大人っぽい見た目かもしれない。


 女騎士は自らを落ち着かせるため、眼鏡を外した。懐から布巾を取り出し、レンズを磨く。動揺を抑える彼女なりのルーティンだった。

 息を一つ。あらためて眼鏡をかけ直した彼女は、再び目を剥いた。


「エールーゥッ!」

「それやめてねえ。だめ。

「久々なエルの口癖ーッ!」

「むりやばいの極み」


 リツァル蒼騎士団の誰もが崇敬する最強勇者が。

 王国の誇る百年にひとりの天才賢者に。

 相好を崩しまくって抱きついたのだ。

 それこそ、過保護な母親が溺愛する娘と再会したときのように、これでもかと頬ずりをして。


 たっぷり十秒ほどかけて我に返った女騎士は、おそるおそる尋ねた。


「あの、フラーネ様。賢者様とは、いったいどのようなご関係で」


 すると勇者と賢者が同時に視線を向ける。


「私の自慢の妹です!」

「同じ孤児院出身です」


 これまた同時に告げた。


 温度差もはなはだしいふたりの口調に、女騎士はただ「はあ……」とつぶやくしかなかった。


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