第40話 コミュ障天才賢者


 ――それから数日後。


 フェムは心身共にだいぶ元気を取り戻した。

 孫娘を心配し、しばらく孤児院に滞在していたアストール夫妻は、一度ブロンストに戻ることになった。

 フェムと、そしてリートゥラも一緒である。

 ふたりを正式に引き取るに当たって、色々とやっておきたいことがあるのだという。


 彼らが孤児院を発つ日には、ささやかながらパーティを開いた。

「すぐにまた会える」とリートゥラは笑っていたが、涙を浮かべてもいた。

 リェダもティアロナも、ただの孤児院の先生として、教え子たちの無事と幸せを祈った。


 そして今。

 リートゥラがいなくなった孤児院は、いつものように子どもたちが遊んでいるものの、どこかもの悲しい、切ない空気に包まれている。


 ――予定にない来訪者が現れたのは、そんなときであった。


 院長室で書き物をしていたリェダは、ふと顔を上げた。

 ほぼ同じタイミングで、扉がノックされる。年長の子が、少しためらいながら顔をのぞかせた。


「先生。ちょっといい?」

「どうした」

「あのね。孤児院の外に、なんか変な人がいるみたいなんです」


 報告を聞いた瞬間、リェダの表情がわずかに強ばる。

 ……さっき感じた気配はそれか。もしかして、もう騎士団に突き止められたのか。


「すぐに行く。他の子どもたちは中に入っていなさい」

「は、はい。ただね先生、危ない感じとはちょっと違うんだ。いや、危ないのは危ないんだけど」


 要領を得ない説明。リェダも戸惑った。騎士団が大勢押しかけてきたわけではなさそうだが。

 正面扉の内側では、子どもたちが顔を並べて外をうかがっている。こそこそと話し合っているが、どうも怖がっているのとは違う。

 ティアロナはこの場にいない。今朝からブロンストへ出かけている。昼前には戻ることになっていたが、少し遅れているようだ。タイミングが悪い。


 リェダは子どもたちを下がらせてから、孤児院を出た。

 視線を巡らせる。


 居た。


 孤児院に繋がる道沿いの木、その陰。半分身体を隠すようにしゃがみ込んで、こちらをちらちらと伺っている。全身をねずみ色のローブで覆い、さらに両手でフードをつかんでいた。

 子どもたちの言葉は正しかった。なるほど、確かに危ない。

 だがリェダは、その人物の気配に馴染みがあった。肩の力を抜く。


「そんなところで何をしているんだ。エル」


 反応は劇的だった。

 ねずみ色ローブの人物はぴょんと立ち上がると、その勢いのまま数メートル浮き上がった。土埃とわずかな魔力が立つ。

 ごつっ、と痛そうな音がした。

 そこそこ太い枝に頭頂部をぶつけ、そのまま地面へ。頭を押さえながらうずくまる。


 ため息をつき、リェダはねずみ色ローブに歩み寄った。

 側まで来ると、どこか懐かしい単語が聞こえてくる。


「むりやばい……むりやばい……むりやばい……」

「だいぶ激しくぶつけたな。ほら、見せてみろ」


 フードをのけて、ふわふわとボリュームのある黒髪を撫でる。コブはできていないようだが、念のため簡単な癒やしの魔法を発動させた。

 眠そうな瞳を潤ませながら、盛大なドジをかました『むりやばい』娘が顔を上げ、言った。


「パパぁ……」

「よしよし。久しぶりだな、エル」


 リェダは微笑みながら、あたかも数年ぶりに教え子の顔を見たように、ごくごく自然な仕草で言った。




 百年にひとりの天才賢者、エル・メアッツァ。

 彼女を迎えた孤児院内は、一種、異様な雰囲気に包まれていた。


 彼女はフラーネと四年ほど一緒に孤児院で暮らしていた。今いる孤児院の年長者には、エルのことを知っている子もいる。

 だが、フラーネが訪ねてきたときと比べ、子どもたちの空気には雲泥の差があった。


 ねずみ色ローブを脱いだエルは、地味な私服姿だった。緩やかで豊かな髪、整った鼻梁びりょう、ティアロナに勝るとも劣らないボディライン。

 孤児院時代のイメージのまま大人になったのがフラーネであれば、エルはすっかり大人の女性へと変貌したように映る。


 実際――。


「ね、ねえ先生。この人、もしかしてエルお姉ちゃん?」

「ああ。そうだ。目元なんか面影があるだろ」

「いや、そう言われればそうだけど……えぇー……?」


 年長でエルと面識があった子のひとりがうろたえている。

 エルの年齢は今年で十五。

 孤児院の年長者とはひとつかふたつぐらいしか違わない。

 リェダにしてみれば、『ここ数年で大きく成長したな』くらいの感想だが、他の子は違った。見知らぬ大人の女性が突如として現れたようなものだ。


 加えて、エルの態度も子どもたちをドン引きする要因となっている。


「むりやばい……むりやばい……むりやばい……」


 さっきからこの口癖を繰り返している。聞きようによっては呪詛を吐かれているとも感じる。

 小さな子に至っては、怖くて半泣き状態。

 周囲とうまくコミュニケーションが取れないところは、相変わらずのようだとリェダは思った。


「とりあえず、お茶を飲んで落ち着け」

「……うん」

「それにしても、突然訪れるからびっくりしたぞ。フラーネといいお前といい、俺を驚かすのが好きなようだ」

「フラ姉も? そっか」


 エルの表情が和らぐ。

 フラーネと親しげな様子を見て、子どもたちは少し警戒を解いた。

 リェダはさらに助け船を出す。


「そういえば、さっき外で飛び上がってたアレ。風の魔法か?」

「あ、うん。私、馬に乗れないから。風と土の魔法を融合させて、歩きやすくしてた」


 さらりと告げる天才賢者。

 孤児院にも本好きの聡明な子はいる。エルの告げた魔法が、いわゆる古代魔法に属するものだと知って、にわかに瞳を輝かせた。


「じゃあ! エルさんって、本当にあの『百年にひとりの天才賢者』さん!?」

「あ、はい。そう呼ばれて、ます」

「うわっはぁ! すごいすごい!」


 ひとりがエルに興味を示すと、途端に皆が殺到し始めた。

 子どもたちの圧倒的なパワーにもみくちゃにされる。その中心から、「むーりーやーばーいー」というか細い悲鳴が漏れ、リェダは微笑ましい気持ちでお茶をすすった。


 しばらくして、騒ぎが落ち着いた頃。

 心なしかヨレヨレになっているエルに新しいお茶を差し出しながら、リェダは本題に入った。


「それで、今日はどんな用件なんだ? 顔を見せに来ただけでも、俺は嬉しいが」

「はい。あのね」


 エルはお茶に手を出しながら言った。


「魔族に氷漬けにされた人たち、治したよって報告、です」

「何だって?」


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