第14話 魔王リェダの記憶(9) 遺言


「俺のため、だと?」


 衝撃のあまり、エテルオから手を離してしまう。

 それからリェダは、自らの顔を撫でた。そして耳を触った。偽装魔法によって、見た目は人間にしか見えなくなっている。

 リェダは声の調子を低くした。


「……俺に、なにをした」

『怒るか、やはり』

「誤魔化すな。貴様の悪い癖だぞ、エテルオ! 俺になにをした。どんな力を使った。それとも……召喚魔法は、それほどまでに負担が大きいものだったのか」


 お前の命を刈り取るほどに――という言葉を、リェダは飲み込んだ。

 エテルオはしばらく沈黙したのちに、語った。


『確かに、召喚魔法の負担は大きい。また、お前さんたち魔族は召喚魔法に馴染みが薄いから、命にかかわると勘違いしても無理はない』

「勘違いだと?」

『ふふふ……儂を見くびらないで欲しいぞ、リェダ。お前さんひとり召喚するのに生命を賭けていたら、命がいくつあっても足りないわい。、孤児院の子どもたちを路頭に迷わせるような真似ができるか』


 つまり召喚魔法が直接の原因ではない。

 リェダは先ほどのエテルオの言葉を思い出した。『儂は、リェダーニル・サナト・レンダニアを人間世界に留め置くために、すべての力を使った』――と。


『リェダ、覚えておるか。儂がお前さんを召喚したあのとき。儂はお前さんに聞いたな。、と』

「そういう話もしたかな」


 言いながら、記憶を掘り起こす。

 孤児院に戻る道中。通常、人間世界にやってきた魔族は能力の著しい制限を受けるが、エテルオの召喚魔法の力によって、ほぼ以前と同じ状態でいられたこと。

 あとは、そう――強いてあげるなら、魔界に居た頃よりも気持ちが落ち着いていただろうか。


『お前さんを召喚したとき、儂は別の魔法をお前さんに施していたのだ。今、このときまでずっとな』


 リェダが何かを言うより早く、院長は指示を出した。執務机にある鍵で、戸棚を開けろと。

 いぶかしみながら、元魔王は言われたとおりにした。開いた戸棚の奥に小箱がある。

 それを手に取った瞬間、リェダは感じるものがあった。


「これは、まさか」

『開けてみよ』


 一呼吸置き、小箱を開く。

 中には、群青色に輝く結晶が収められていた。大きさは親指の先ほど。

 魔族であるリェダは直感した。これは――『宝玉』である。


 エテルオの声がする。


『儂はその宝玉を通して、お前さんにふたつの魔法をかけ続けていた。ひとつは、お前さんの力を一部封印した上で、この世界に繋ぎ止めておく魔法。そしてもうひとつは、お前さんの心を穏やかにする精神魔法だ』

「心を……穏やかに、だと?」

『闇の牢獄に囚われたお前さんの心は、もはや自分自身では修復できないほど壊されていた。その状態のまま人間世界で生きれば、遅かれ早かれ、お前さんは暴走していただろう。身体の方はなんともないかと尋ねたのは、魔法がきちんと作用し、お前さんの心が保たれているかどうかを確認する意味もあったのだ』


 問いかけたときのお前さんは、憑き物が落ちたような顔をしていたぞ――とエテルオは言った。リェダは自分の顔を再び撫でた。


「……もし、その魔法がなかったら」

『何かのきっかけで、ここの人間を皆殺しにしていた可能性もある。儂も含めて。そしてお前さん自身も崩壊していただろう』

「なんということだ」


 リェダは小箱をとじた。額に当てる。大きく、大きく息を吐いた。

 エテルオが、初めて遠慮がちに声をかけてきた。


『……やはり、儂を恨むか。お前さんの心を弄んだと言われれば、反論できない』

「いや。そんなことはない。むしろ……安心した」


 院長が怪訝そうにする気配。リェダは枕元に戻った。

 エテルオの手を再び握る。


「お前がかけてくれた魔法で、俺は自分の心を取り戻せた。それだけじゃない。子どもたちと接して、新しい気持ちに、信念に、気づくことができた。もし、その機会が永遠に失われていたと考えると、背筋が凍るのだ」


 子どもたちと出会う機会。彼らを羨ましいと感じる機会。彼らを護りたいと思う機会。

 それらの機会を与えるために、エテルオは自らの魔力を使い続けてきたのだ。命尽きるまで。

 孤独だった元魔王のために。


 院長の名を呼ぶ。


「一度しか言わない。お前は俺を救ってくれた。お前は俺の――恩師だ。エテルオ。ありがとう」


 それはリェダが初めて、心から師と仰ぐ者を見つけた瞬間だった。


 エテルオの身体はもう反応しない。手は冷たいままだ。エテルオの声も、しばらく聞こえてこなかった。

 先生は泣いているのかもしれない、とリェダは思った。ふと、頬に違和感を覚え顔に手をやる。水滴が指の腹についた。リェダも、泣いていたのだ。初めてのことだった。


 どのくらい、そうしていただろうか。


『リェダよ。そろそろお別れの時間だ』


 やや疲れたような、それでいて清々しさを感じさせるエテルオの声だった。


『最後に、お前さんに話しておくべきことがある。遺言だと思って欲しい』

「……ああ。聞こう」

『儂が死ねば、いずれ魔法の効果も切れる。そうなれば、お前さんをこの人間世界に繋ぎ止めておくことができなくなり、強制的に魔界へと送還されてしまうだろう』

「……!」

『案ずるな。宝玉にはありったけの魔力を込めておいた。すぐには送還されない。だが』


 エテルオは済まなそうに言った。


『宝玉の魔力は、もって五年ほど。つまりお前さんがここにいられるのは、あと五年だ。そこで頼みがある』

「孤児院のこと、か」

『そうだ。人間世界で生きていられる残りの期間を、孤児院の子どもたちのために使って欲しい。これが儂の最期の望みだ』

「その遺言、確かに受け取った」


 リェダはエテルオの――恩師の手を強く握りしめた。

 頬を流れる涙を、今度は拭わない。


「俺は、先生の後を継ぐ。残された時間を、孤児院の子どもたちのために使おう。あの子たちを護ると誓おう。我が名にかけて」

『頼んだぞ、リェダ』

「ああ。任せておけ」


 エテルオはもう一度、頼んだぞ、とつぶやいた。

 最後の魔力が、彼の身体から、消えた。




 ――こうして。

 魔王リェダーニル・サナト・レンダニアは、孤児院の院長リェダとして生まれ変わった。

 彼は恩師の遺言を胸に、子どもたちを護り続けている。


 だが、時は経つ。


 リェダに残された時間は、確実に終わりに近づいていた。


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