懐かしの味

「今日の夕食は、一風変わったものであると聞いております」

「ほう、そうなのか」


 廊下を歩きながら、テレノがそう話しかけてくる。


 君主になってから劇的に変わったものの一つに、食事がある。いや、帝国にいたころから食事がやたらと豪勢になったとかそういった変化自体はあった。しかし、木っ端皇子だった頃は――言ってしまえば何食ってもよかったし腹を下しても家の医者が顔面蒼白になって、その後に親にこっ酷く叱られるくらいのものだったが大公になるとそういう訳にもいかない。


 まず一番デカいのは、すぐに食事にありつく、という行為自体が出来なくなった。国家によって違いはあるが、大体君主の料理というものは幾人もの毒見役を経た上でようやく口に入る。食材自体はとてもいいものを使っていることは分かるのだが、悲しいかな、アツアツでいただくという行為とは久しく無縁である。


 ストレスと胃痛にまみれた君主ライフの中で、食事は唯一の楽しみといってもいいので、その満足度が提供速度で損なわれるのは非常に悲しいことである。


 一度テレノを通じて料理人に毒見役スキップで食事を食べれないか打診したことがあるが、『もしもそれで殿下に万が一のことがあれば死んでも死に切れません』と丁重に断られた。今考えると、仮にそれで俺が死なずとも何か良くないことが起きようものなら責任を負わされるのは料理人たちである。


 俺の快適さのために彼らに胃痛を強いるというのは流石にどうかと思ったので、以降はあまり強くは言わないようにしている。幸いなことにメニューのバリエーション自体は豊富だし、味もとてもいいのでそれで無理やり満足するようにしているわけである。


「なんでも、遥か東からの舶来品を使って作るものだとか」

「へぇ、それは楽しみだ。どんなものなんだろう」

「私もよくは存じ上げていないのですが……」


 話しているうちに、食事を取る部屋へと到着する。よくある饗宴を行うような広間とは違い、俺自身の要望で食事を摂る場所は個室となっている。


 敬礼をしてくる衛兵に対し軽く手を挙げて感謝の意を表わすと、そのまま部屋の中に通される。個室というには些か、いやかなり広い場所なのだが、その中には中心に据えられた大きなテーブルと少々の調度品だけという質素なもので、椅子も俺が使う用の一脚と賓客と会食する際の賓客用のもう一脚しかない。


 しかし、この部屋は密かな俺のお気に入りでもある。執務室は常に書類の山が積まれて仕事のことが常にちらつくし、そうでなくてもある程度広い部屋には衛兵が詰めているので気が休まらない。しかしこの部屋はそういった煩わしさが一切なく、ただ目の前の食事だけに集中することが出来るからだ。


「すぐに運んでまいります。今しばしお待ちください」

「あぁ、頼む」


 そう言うと、テレノは深々と頭を下げてから部屋の外へと出て行く。テレノの背中を見送ると、俺は食事の準備が出来るまで暫しの間窓から差し込む光と室内の調度品を見るでもなく眺めていた。壁に飾られた、前大公を描いたらしい絵を何となしに眺めながら、今日起きたことを振り返る。


 帝国駐留軍の問題だけかと思っていたら、クリスハルトからの使者によって帝位継承争いが不穏化しているどころかそのとばっちりがこっちにまで来ていることが判明。更にはとどめといわんばかりに隣国の反政府組織と繋がりがあるらしい謎の集団による爆破事件の報告まで飛び込んできた。


「はぁ……」


 今日何度目か分からないため息を吐く。自分的には最善を尽くそうと努力しているはずなのに、なぜか問題は解決させるどころか雪だるま式にどんどんと増えてくる。そしてそれを解決するために多くの人員を割かないといけなくなると日常の行政が立ち行かなくなり……と、この悪循環をなんとかしたいのだが一向に改善の兆しが見えてこない。


 不幸中の幸いなのは、起きている問題の所管自体は分かれており、各行政庁の負担は分散していることだろうか。目下最重要としているラグーナ問題は農商務府、カルニラ軍による国境での軍事活動は軍務府、反政府組織などについては内務府、帝国駐留軍の問題は主に外務府。


 行政改革をやってなかったらこれが全部俺が処理しなければならなかった可能性があると考えると肝が冷えるどころか凍りそうな勢いである。


『殿下、失礼します』


 ノックの音とテレノの声が響き、俺は一旦思考を中断して部屋の入り口の方へ顔を向け、入るように伝える。飯を食う時に仕事のことを考えるのは厳禁である。99%飯が不味くなるので、取り敢えずいろんな問題のことは頭から消し去って飯に没頭することに決意し、彼女を迎えた。


 テレノの他に数人の給仕が連れ添って部屋に入り、彼女が持ってきた料理をテーブルの上に並べていく。牛肉の赤ワイン煮込みやほうれん草とベーコンのグラタンなどの料理が並べられるが、テレノの言っていた『一風変わったもの』の正体が何であるかはまだ分からない。


 そうこうするうちに、最後の皿がテーブルの真ん中に置かれる。蓋が開けられると、僅かな湯気と共に白いものが顔を覗かせた。覚えのある匂いに、思わず喉がなる。


 盛り付けられているそれは―――コメだった。いや、日本でよく見かけるモチっとしたジャポニカ種ではなく、恐らくは細長いインディカ種に近い種類だと思うが、それはまぁいい。


「おぉ……」


 感動のあまり声が零れる。コメは、前世では日本人である俺にとってのソウルフード。そして、この世界に来てから『スマホ弄りたい』と並んで最もよく抱いた欲求の対象である。前世の体はコメと麺で出来ていたと言っても8割くらいは過言ではない。もはや会うことはないと思っていたが、まさか再会できるとは……


「あ、あの、殿下?どうなさいましたか?」


 1人で勝手に感動しているのに対して、テレノは不思議そうな目でこちらを見ている。確かに、日本人的には目の前のコメとの再会は感動ものではあるが、これは自分の事情転生してきたが絡んでくるのでそう易々と説明することはできない。一先ず、質問に対してなんでもないとだけ答えて、料理を食べ始める。


 はやる気持ちを抑え、まず最初に肉料理から口にする。前世ではどちらかというと魚を好む嗜好だったのだが、生魚を食べるという文化があまり浸透していないこっちの世界に来てからは、主菜は殆ど肉料理である。


 美味しい肉には酒が欲しくなるが、悲しいかなこの世界の俺はまだ16歳。あんまり飲むとこの後に多大な影響が出てくるので、賓客を迎える時やパーティの時のみに飲むのがせいぜいである。


「お味はいかがでしょうか」

「あぁ、美味しいよ」

「それは何よりでございます」


 笑顔でそう答えると、テレノは安堵の表情で胸を撫で下ろす。冗談抜きでここの宮廷料理人は優秀で、何なら帝国の料理人よりも上手まである。食材の良さと料理人の優秀さが組み合わさったおかげでこっちに来て以来美食に困ったことはない。


 そして、本日のメインといっていいコメにスプーンを伸ばす。当然ここに箸を使うという文化はないので、スプーンを使って米粒を崩さないようにして口に運ぶ。コメといっても白米そのままではなく、エビやキノコなどが混ぜ込まれた、前世的に言えばピラフに近いものである。インディカ種の使い方としては全く間違っていない。


「……!」


 口に入れたその瞬間、口の中にコメ特有の甘みが広がり、次に混ぜ込まれたスパイスの香ばしい香り、そして最後にエビやキノコの旨味が押し寄せてくる。いつも食べていたコメとは違い粘り気はあまりないが、パラパラとした食感がまたアクセントとなっている。


 夢中で食べ進めてると、あっという間に完食してしまう。その様子を見ていたテレノは、少し驚いているような表情をしている。考えてみれば彼女らからすればコメは明らかに未知の食材、それでここまでガツガツ食べるのだから驚くのも無理はないだろう。


「美味しかった。ところでこれはどういった経緯でここに……?」

「宮廷に食材を献上している御用商人の1人が、ラグーナでこの穀物を偶然入手したそうで、是非殿下に食べていただきたいと献上されたものです」

「そうか……」


 ラグーナで入手した、という言葉を聞いて、俺は顎に手をあてて考え込む。この世界でも食べれることが分かってしまった以上、恐らく定期的に禁断症状的な何かが出て来そうな気がする。


 しかし、ラグーナ経由で仕入れるとなると絶対に面倒なことになるのは目に見えている。早いうちに問題を解決して輸出入を滞りなくするつもりだが、結局輸入品となるとどうしても高くつく。


 どうにか栽培できないだろうか?前世だとイタリアでもインディカ種のコメを栽培していた記憶もあるし、多分気候的に似ているチザーレでも栽培できないことはないのだろうが、俺のエゴで農民に負担を強いるのはどうかと思うし……


 転生以来の悲願を達成すると同時に、極めて個人的な新たな問題が発生したことに頭を抱えつつも、他の料理も無事完食し俺は夕食の時間を終えるのであった。

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