決心

 カルニラ侯国首都ピサーノ、その中心部に位置する侯爵宮殿にて、マイナルド・ドレスラー・フォン・カルニラは重大な会議に出席していた。


「侯爵閣下、しばしお待ちください。まだ出席者が揃ってませぬゆえ」

「……うむ、承知した」


 副官の言葉に頷き、上座に座るマイナルドは静かに目を閉じる。その時彼の脳裏に浮かんでいたのは、自らが治めるカルニラのことであった。


 大陸におけるカルニラ侯国の評判は、どう贔屓目に見積もっても『軍部と密接に繋がった君主による権威主義的政権の圧政下にある』がせいぜいと言ったところだ。そもそも国土自体が豊かではなく、鉱物資源などにも恵まれなかった。その上で唯一の強みであり、諸邦連盟に加盟していた時代に諸邦連盟海軍部隊が駐留していたオロール港は今では隣国チザーレのラグーナ港に対し貿易競争で敗れ、維持費による損失を垂れ流す置物と化した。


 一般的には軍を用いた暴政を敷いていると言われるマイナルドとて、己が望んでこのような政治を行っているわけではなかった。父親が死に、侯爵位を受け継いだその時には既に侯国はどん詰まりの状況に陥っていた。


 カルニラ侯の反乱当時は16歳と若年であったマイナルドは軍人として前線に出征し──右目を失って侯爵領へと帰還し、父に対して即刻の休戦を申し出た。しかしそれは一蹴され、失望した彼は密かに同志を集め、父に対してクーデターを起こすことを計画した。


 無益な戦争で兵士や民を死なせることを良しとしなかったかつての彼の計画は──南東の大国カルケドン帝国による干渉で頓挫した。国際社会の駆け引きによって。カルニラ侯爵領はカルニラ侯国として、独立“してしまった”。戦争で失った多くの人命と、荒れてしまった広大な土地、莫大な戦争借財を残して独立した侯国に、善政を敷く余裕はなかった。


 独立後に急死した父の跡を継ぎ侯爵となったマイナルドは、もはやかつてクーデターを計画し民を救おうとした彼ではなかった。既に侯爵就任時、侯国で最も権力を持つ集団は軍部となっており、また諸邦連盟との情勢的に軍の増強を止めるという選択肢は既になくなっていた。


 しかし、それでも曲がりなりに国家が形を成し、諸邦連盟による大規模侵攻を受けることもなくやってこれたのは、諸邦連盟に対する対抗勢力を育てるという観点から建国時から多大な支援を続けてきたカルケドンあってのことであった。


 だが、その頼みの綱であったカルケドンも、皇帝の代替わりや宮廷クーデターによって、露骨にカルニラに対する関与を減らしている。辛うじて外事大臣らが親カルニラ派であることで、カルケドンがカルニラの独立を保証した文書の破棄こそされていないが、もし彼らが失脚すれば諸邦連盟はカルケドンの黙認下でカルニラへと侵攻するであろう。


 マイナルドは頭を振った。国民生活を犠牲にして養成した軍部と彼の一世一代の賭けの時は、刻一刻と近づいている。この会議は、そのために開かれているのである。


「……侯爵閣下、ノイラート総領事が到着されました」

「ようやく来たか。すぐにここに参るよう申しつけよ」

「承知いたしました」


 侍従の知らせに、マイナルドは大きく息を吐いた。ノイラート駐帝国総領事からは既に手紙で『ヴィルヘルム第三皇子から極めて重要な書類を預かっている』という旨が侯国上層部に伝えられており──そして、誰もがその書類の中に記された内容を察していた。


 程なくして、会議室の扉が開かれ、ノイラートが姿を現す。彼は部屋に入るとすぐにマイナルドの方を向き、深々と敬礼した。


「遅くなって申し訳ありません、侯爵閣下。既に急使に持たせた書でお伝えしているとおり、ヴィルヘルム第三皇子殿下より侯爵閣下へお渡しするようにと書類を預かっております」

「ご苦労であった。その書類は?」

「こちらでございます、閣下」


 ノイラートが差し出した書類をマイナルドは受け取り、中身をあらためる。


「……」


 居並ぶ臣下らが息を呑んで見守る中、数分ほど彼は書類に目を通し──それを机の上へと置いた。そして臣下らをぐるっと見回し、口を開いた。


「……我が国が隣国に対して侵攻したとしても、現在の帝国は介入する余力はない。帝国は、事実上我が国の行動を黙認するであろう」


 書類の内容を簡潔にまとめたマイナルドのその言葉に、主に軍部の関係者は納得した顔で頷く。その中の1人であり、国境部隊司令官の任にある人物が立ち上がった。


「父上──いえ、侯爵閣下。我が軍は既に準備が出来ております。国境部隊は私の指揮の下戦意旺盛であり、命令さえ頂ければ一月とかからず敵の都を落とし、劇的な勝利を閣下へと齎して見せましょうぞ。閣下、戦争勃発となれば、一番槍はこのヴァルト・レスティニア・フォン・カルニラへお任せください」


 その人物──マイナルドの次男であるヴァルト・レスティニア・フォン・カルニラ大佐はそう熱弁した。それを遮るように、別の人物が口を開く。


「しかしヴァルト殿下。貴殿は侯爵閣下の後継者であろう。斯様な人物が前線に立てば、万が一ということもある。侯国の未来を背負っているからこそ、勇にはやることは得策ではないと存じますぞ」

「レクスラー准将閣下。私が最も嫌うのは臆病者であると謗られることなのだ。あろうことか国家の存続よりも民の生活なぞを優先せよと嘯き、国家へと奉仕せず離宮にずっと引きこもっている我が愚兄のようにね。心配なさらずとも、私は蛮勇の士になるつもりはない。生きてここピサーノに凱旋して見せようとも」


 ピサーノのカルニラ軍総司令部付のレクスラー准将の言葉に、ヴァルトは厳しい目つきで彼を睨みつけながら反駁した。


 マイナルドには既に亡き妻との間に2人の子がいる。1人は目の前で軍服を纏い、軍部の一員としてキャリアを積み、将来の後継者とも目されている次男のヴァルト。そして──マイナルドの政策を批判し、軍備縮小と諸邦連盟との交渉による和解を目指すべきだと度々諫言したがためにピサーノの郊外にある離宮へと幽閉されている、長男のポレリス。


 軍部が主導権を握る現状において、当然ヴァルトが後継者とされていることは何の違和感もない事実であった。


「……我が息子よ、絶対に死なぬと天に誓えるかね?」

「当然であります、侯爵閣下。この身は全て侯国の繁栄のために尽くすためにあります。天に誓って、生きて閣下に勝利を持ち帰ってみせましょう」


 手を胸に当てて高らかに宣言する我が子を前にして、マイナルドは一抹の不安を感じ取った。しかし、チザーレ軍がカルニラ軍よりも遥かに兵員数が少なく、また先の内乱で弱体化しているという事実が、その不安を払拭する。


 統治者として的確かどうかはともかくとして、ヴァルトに軍略の才がないことは決してない。数年前にカルケドンに軍事留学して実際に戦列に加わった際も、華々しいとまでは言えぬものの兵をよく指揮し、己が損失を少なくするためによく立ち回ったという評判であった。


「……分かった。それでは先鋒の任をヴァルト・レスティニア・フォン・カルニラ大佐に任せることとする。異論あるものは?」


 マイナルドの言葉に異を唱える勇者は、会議室にはいなかった。


「非常な名誉を賜り、感謝いたします。侯爵閣下」

「うむ。期待しておるぞ。……さて、帝国の干渉の可能性が潰えた今、一刻も早く国境を越える必要があると考えているが、どれほど準備は進んでいるのかね?」

「はっ、それについては私の方より報告させていただきます」


 チザーレ侵攻作戦の作戦立案を担当しているベルガー将軍が書類を持って立ち上がり、説明を始めた。


「まず、ヴァルト殿下……いえ、ヴァルト大佐が指揮する国境部隊3個大隊は既に展開を完了しており、命令の下達次第すぐに行動が可能になっております。更に領内警備のために駐屯していた5個大隊も駐屯地を離れ西部国境へと集結を開始しており、こちらも数日中に行動が可能となります」

「8個大隊が速やかに動かせる戦力ということか」

「左様でございます。更に『予備軍』の編制も進んでおり、既に2個予備大隊が即応可能な体制にあります。ヴェルデス隊長及びランデス隊長の指揮下にある傭兵隊も出動準備を完了しているとのことです」


 カルニラはこの戦争のために正規軍だけではなく、20歳以上の成人男子を強制徴募した『予備軍』を招集して出征する正規軍の代わりに領内警備を担当させている。更にはプレタニケアやモナルキアなどの紛争地帯で活動していた傭兵部隊を雇い入れた。


 軍部の誰もが、『勝てる』戦争だと認識していた。そしてこの戦争に勝ちさえすれば、次期皇帝候補であるヴィルヘルムの庇護の下に置かれ、帝位継承争いにヴィルヘルムが勝利した暁には帝国によって諸邦連盟の脅威から守られる。


 その目的のために、過剰なほどの戦力を投じたのである。マイナルドは現状思い通りにことが推移していることに満足を覚えつつ、鷹揚に頷いた。


「分かった。それでは、移動中の3個大隊が展開を完了した段階で、我々はチザーレに対して宣戦を布告する。既に諸君は了解しているものであると信じているが──この戦争は文字通り我が国の存亡を賭けた一戦である。敗北はそれ即ち国家の滅亡であると心得よ。その上で、諸君の奮闘に期待する。以上だ」

 

 マイナルドの言葉に、会議室にいた人間は総立ちで答え、『侯国の勝利のために!』と斉唱した。


──────────


「父上、少しよろしいでしょうか」

「なんだ、どうかしたか」


 会議を終え執務室へと戻る途中、素早く後ろについてきていたヴァルトに話しかけられる。父と子の間柄であるといえど、一端の軍人として執務に忙しい身であるヴァルトから話を持ちかけてくることなど久しくないことであった。


「少しばかし、個人的なお願いをしたく」

「……分かった。ついてこい」


 先程までの威勢の良さがどこへ行ったのかと思うほどの神妙な顔付きで話しかけてくることに些か違和感を覚えつつも、マイナルドはヴァルトを執務室まで連れてきた。そしてヴァルトをソファに座らせると、自らも向かい側へと腰掛ける。マイナルドは単刀直入に用件を尋ねた。


「それで、『お願い』というのは?」

「はい。チザーレの公女は、その……非常に美しいと聞き及びます。戦勝の暁には、彼女を私の妃として迎えたいのです」

「……ふむ」


 マイナルドはしばらく考え込んだ。チザーレのクレア公女が大変に美しいという評判は、彼も耳にしていた。しかし、それをヴァルトが求めてくるというのは些か意外であった。軍部に身を置いているということもあってか、王侯貴族にしては珍しくヴァルトには浮ついた話が殆どない。訓練で鍛えられた体に整った顔、少し驕ったところがあるものの根は真面目な性格と、何もしなくても女が寄ってくるような見た目をしているのだが、彼自身はそういったことにあまり興味がなさそうだったのである。


 だからこそ、意外であったのだが──彼は後継者として侯国を受け継ぐことになる身である。妃を見繕うというのは当然のことであった。その時に、チザーレの公女を娶れば、多少はチザーレ占領に対して――後付けであるとはいえ――名分が出来るであろう。


「……分かった。許そう」

「ありがとうございます、父上」

「だが、あまり斯様な――戦争に勝つことを前提にした話はするでない。不吉を呼び込むことにもなりかねん」


 マイナルドはそう釘を刺した。優位に胡座をかいたが故に勝てる戦争に敗れた先例は枚挙にいとまがない。


 『勝ってからのこと』を考えることがダメなこととまではいかないが、それで浮かれては話にならない。


 マイナルドのそんな気持ちを込めた忠告に、ヴァルトは真摯な態度で頷いた。そして、『失礼します』という声と共に踵を返し、執務室を去って行く。


 マイナルドはそんな息子の背中を見送りながら、胸の中に僅かな不安が芽生えているのを感じていた。

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