離間工作
カルニラ軍が続々と国境に集結し、侵攻準備を整える中、チザーレを密かに支援するケルンテン辺境伯領の領都セロヴェルクでは、ベルンシュタイン辺境伯が自らの屋敷でとある男と歓談していた。
「わざわざ厳しい国境警備を掻い潜ってここまで馳せ参じてくれたことに感謝しているよ、
ベルンシュタインはそういってワインが注がれたグラスを揺らし、僅かに口に含む。芳醇な葡萄の香りと深い味わいを楽しむ彼に対して面前に座る、彼に“隊長”と呼ばれた男は若干の呆れ顔でそれに答えた。
男は大隊規模の傭兵隊を率いる、ベテランの傭兵隊長である。ケルンテン辺境伯領内の小貴族の家に生まれたが、次男坊であり家督を継がなかったため放浪の旅の果てに傭兵として戦場に身を投じることを選択した。
しかし、傭兵というのは戦乱あっての職業である。今でこそ大陸から離れたロレンティス島のプレタニケア王国で起きている4つ巴の内乱や、大陸南西部の都市国家連合体であるモナルキア自由州同盟での内紛、そしてしばらく前まで続いていたアルマニア=ワラシア戦争など『稼ぎ口』はいくらでもあるが、そうでない時期がないとは限らなかった。
その時は決まって故郷へと帰り、学生時代の悪友であり――今では辺境伯家の当主の座を継いだベルンシュタインの下を訪れるのが彼のささやかな楽しみであった。尤も――今回彼がケルンテン辺境伯領へと戻ったのは、旧交を温めるため、というわけではなかった。
「全く、傭兵稼業を初めてもうじき20年になるが、ここまで無茶を言われたのは初めてだ。辺境伯閣下」
「そう堅いことは言わず。十分に報酬は積んだだろう?」
「それは、確かにそうだが」
男はそう言って、渋々といった様子で頷く。そしてワインがなみなみと注がれたグラスを手に取り一気に呷る。そして大きく溜息を吐くと、再び口を開いた。
「万が一露見すれば俺の部下は全員、物理的にクビになっちまうな。化けて出られて『お前のせいで、お前が殺したようなもんだ』なんて言われた日には、おちおち酒場にも行けやしねぇ」
「おや、そんなことを言うとは珍しい。自他問わず命に無頓着なのが君たちだと思っていたのだが」
「俺だって長い間過ごせば多少の情くらいは湧く。それに、命に無頓着なことが絆に無頓着なことにはそのまま直結せん」
「それは失礼。しかし、露見することはないだろう。君たちは金で売った忠誠を疑われることを激しく嫌う。あの侯爵とて、それは承知の上で大金をはたいて雇ったのだろうからね」
「まぁ、な」
男はそう言ってグラスを置き、そしてベルンシュタインの方を見た。
「それより、俺は何で辺境伯閣下がこんな大金はたいてまであのチザーレの小僧に入れ込んでいるのかわかりゃしねぇ」
「同じようなことは散々言われたよ。ただまぁ、一つ言えるとすれば――『高度に政治的な』理由だということだ」
「『政治』の話か、雇い主も同じことを言っていたな。俺たち傭兵は政治とか難しい話は分からんが、少なくとも俺たちが使われる裏にはそういう話がくっついてると」
「そういうことだ。君たちは金になる情報には耳聡いから既に聞き及んでいると思うが――我らが北方の憎き友人が刻一刻と不安定化している。もしかの帝国が倒壊すれば、我が国は暫く自由に行動することが可能になる」
「……そのタイミングで、ピストリアとの連絡路を打通する。その足掛かりとしてチザーレの協力は必須であり、逆に言えば目の上のたんこぶであるカルニラには滅んでもらわないと困る」
顎を撫でながら男はベルンシュタインの言わんとすることを要約する。それに対して、ベルンシュタインは頷くことで肯定の意思を示した。
シェーン諸邦連盟――というよりも、ツェスライタニア王国のリカルディ家が支配するピストリア自由公国はヴィターリ半島西部に位置し、諸邦連盟のヴィターリ進出の足掛かりとして前線拠点の役割をも担うはずであった。
しかし、ピストリアを獲得して程なくして帝国によるヴィターリ侵攻が行われ、ピストリアは侵攻こそ免れたもののオストヴィターリ帝国弁務官区とトランサピルナ自治公国という帝国傀儡国によって囲まれることとなり、諸邦連盟のヴィターリ進出政策は頓挫した。
かつてのエガラント辺境伯領を中心とする紛争地帯を奪還する、というのが諸邦連盟にとって最優先の政策であった。しかし、それと同様に重要であるのがヴィターリ進出である。ヴィターリ半島には天然の良港や優良な資源を産出する地帯を多く擁するだけでなく、更に半島中央部には聖教会の総本山であるパラティーノ法王領が鎮座する。『ヴィターリを制するものが、大陸を制する』と言われるほど、ヴィターリ半島を掌握することは列強にとって重要であった。
「ついでに――個人的な理由を言えば、リリーのためというのもあるがね」
「ご令嬢の?それはまた一体どういうことで」
「そろそろ娘も半人前からは卒業するほどの年だ。領内でぬくぬく学ばせるのではなく、外の空気を吸わせねばならんと思っていてね」
「可愛い子には旅をさせよ、とは言うが……辺境伯閣下ほど我が子を溺愛する親もいないだろうと思っていたんだがな」
「褒め言葉と受け取っておこう。ともかく、我が娘には政の才があると私は信じている。しかし、残念なことにこの国では未だに女性を政治の場へと出すのは忌避される風潮がある。改革の風は少しずつ吹き始めてはいるが、保守派の抵抗もまだまだ根強い。経験を積ませるためにも、外国へとやる必要がある」
「それならばピストリアにでもやれば良さそうなもんだが」
男の指摘に、ベルンシュタインは若干の驚きを露わにする。
「……傭兵をやめることがあったら、うちへと帰ってきてもらいたいほどだ。実際、君の言う通り前まではピストリアへと娘をやるつもりだった。マティルデ公女殿下と娘は貴族学校時代の学友、悪いようにはされまい、と思っていたからね。しかし、ピストリアも実質的には我が国とそこまで変わらない。それならば、全くの異国であるチザーレへと送った方が、娘にとっても有益だろうと思ってね」
「それだけ聞くとまさに立派な父親だが、実際は――ご令嬢をチザーレの大公へと嫁にやり、乗っ取ろうとしているんじゃないか?」
「はは、全く君は鋭いな。だが、流石にそこまでうまくいくとは思えんね。あの大公は相当頭が切れる、以前会った時にそれとなく提案してみたが、にべもなく断られたよ」
ベルンシュタインはそう言ってから、再びワイングラスを傾けて一息つく。そして再び口を開いた。
「……まぁ、ここでこんな話を続けてもしょうがないな。ともかく、この戦争に『我ら』が勝利しない限り、娘をチザーレにやることも、そして我が国がヴィターリを掌握する計画が全て白紙になりかねない」
「そうだな。では、そろそろ俺は発つとしよう」
「よろしく頼んだよ、
ベルンシュタインは退室する男を見送り、椅子にもたれかかった。
「……よろしく頼んだよ、大公殿下」
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