賽は投げられた

「――以上です。これは公爵閣下の憶測も含んだ情報であることをご留意いただきたいのですが、帝国はかつてないほど危機へと瀕していると言えるでしょう」

「そうか、帝都でそんなことが……」


 ケルンテン辺境伯領軍の部隊の展開も終わり、カルニラ軍迎撃の準備も整ってきたところで、俺は帝国から帰還したレルテスらを迎え、帝国駐留軍に付いての交渉結果を聞こうとした。――しかし、帰還した彼らから齎されたのは、俄かには信じがたい知らせであった。


 交渉中に起きた、帝国陸軍による戒厳令発令及び帝都封鎖――そして、その背景として、皇帝の身に何かが生じた可能性が高いということ。帝国軍全部隊に対して所在地からの禁足令が出されるという徹底ぶりから、暗殺未遂の類の事件が生じたのではないか、というのがクリスハルト従兄の考えだそうだ。


 帝都防衛総督を務めるのはオスカーである。もしも彼が命じて陸軍を展開させ、帝都を固めたとのであれば一気に帝国の情勢は動くことは想像に難くない。


「……それで、進駐軍の件については、完全に白紙と?」

「はい。ある意味では、当初の目的は果たした、と言えますが――」

「その代償が、帝国の崩壊となれば、あまりに割が合わないがな」


 俺は頭を左右に振った。話を聞く限り未だ最悪の事態――すなわち皇帝陛下崩御には至っていないようだったが、もし仮にこのまま事態が推移すれば、帝位継承を巡る内戦だけではなく、各地の独立を狙った勢力による泥沼の独立戦争すら帝国領内で巻き起こるだろう。


 しかし、それでも腑に落ちない部分は多い。もし仮にクリスハルトの言う、暗殺未遂事件の類が何者かの手によって惹起されたとして、一体それは誰が仕組んだものなのだろうか。評判だけを聞けば、策謀家として鳴らすヴィルヘルムが帝位簒奪を目論んだ――という筋書きになるのだろうが、それにしたってメリットの欠片もない。『オスカー対ヴィルヘルム』というはっきりとした対立構造が組み上がっており、双方に殆どの主要貴族や軍部隊が付くことが分かり切っているのならばともかくとして、未だ旗色をはっきりさせていないものも多いはずである。


 そんな中で皇帝暗殺未遂を起こしたとなれば、日和見諸侯の多くは――下手をすれば今ヴィルヘルムに忠誠を誓っている連中の一部すらも――オスカーに付くことを表明する可能性だってあるだろう。それを考えれば、内戦への引き金を引くリスクはあまりに高いと言わざるを得ない。同じことは、オスカーにも言える。


 思索の渦へと引き込まれそうになった俺を引き戻したのは、ボルジア伯の声であった。


「しかし、殿下。これではっきりしたことが一つございます」

「……申してみよ」

「帝国軍の禁足は、それ即ち帝国軍による対外干渉が当面の間不可能になったということ。つまり――カルニラが我が国を攻める上で最後の障害は、既に取り払われてしまったということです」

「……そうだな。カルニラがヴィルヘルムと結んでいるとすれば、当然この情報はあちらにも伝わっているだろう」


 と、いうよりもこちらよりも早く伝わってる可能性すらある。軍の報告に基づけばカルニラ軍は概ね展開を完了しているとのことであり、今か今と出撃命令を待っていたとしても何らおかしくないのである。


「……しかし、嘆いていても仕方がない。少なくともヴィルヘルム派の帝国軍部隊によってわが国が占拠されるという最悪の事態は回避された。後顧の憂いなく戦うことが出来るだけでも、我が国にとっては大きなことなのだ」

「殿下の仰る通りです。我々が不在の間、何か大きな動きがありましたでしょうか?」


 ボルジア伯からの質問に対して、俺はケルンテン辺境伯領軍に関することや住民避難についてのことなどをかいつまんで説明する。


「なるほど。既に軍は準備が出来ているという認識でよろしいでしょうか、大公殿下」

「その通りだ。公国軍も、辺境伯領軍も既に展開を終わらせている。住民の避難も順調に進んでおり、出来る限りの準備は既に整っている」


 俺がそう言うと、ボルジア伯は納得したように頷いた。


「軍部隊の方は準備が出来ているようで何よりです、殿下」

「あぁ。……そうだ、軍務卿に頼みたいことがある」

「はい、何でございましょうか、閣下」

「我が国の正規軍は既に配備が済んでいるのは先に伝えた通りだが……貴族の私兵部隊は未だ招集が完了できていない。卿の指揮の下、軍務府で招集を行ってほしい」


 俺はボルジア伯が帰国した際に、彼に頼み事をしようとしていたことを思い出し、話題をそちらへと切り替える。公国が、そして名目上俺が指揮権を保有する軍隊である公国正規軍の部隊については公国軍の判断で招集することが可能であるが、評議会軍を始めとする各貴族の私兵部隊は正規軍の指揮下にないため、軍務府の決定を経由しない招集はシステム上不可能となっている。


 農商務府税務局からラグーナの反乱準備に関する情報が多く入っている以上、前線でカルニラ軍を迎え撃つ公国軍の代替として領土防衛のための部隊が必要となる。それに各貴族の私兵部隊を充てようという魂胆である。


「承知いたしました。当家が指揮下に於いている国境警備隊の一部も動員自体は可能ですが、いかがなさいますか、殿下」

「……本心を言えばすぐにでも動員したいが、オストヴィターリの政情不安の中国境を空にするのは些か危険が過ぎる。出動準備を整わせるにとどめておきたい」

「大公殿下のご意志、全て了解しました。すぐにでも準備を始めさせます。それでは、私はこれで失礼いたします」

「うむ、下がってよい。ご苦労であった」


 ボルジア伯は敬礼をすると、そのまま退室していく。それに続き、官吏らも続々と退室していくのを見送ると、俺は椅子から立ち上がって窓の外へと視線を移す。既に日は暮れかけており、暗闇に沈もうとするメディオルムの街には、ちらほらと明かりが灯っているのが見える。


 しばらく夕景を眺めた後に向き直り、一人残ったレルテスの方へと視線を向ける。


「……まずは、卿が無事に帰ってきてくれて嬉しく思っている、バロンドゥ宰相。よく戻ってきてくれた」

「勿体無いお言葉にございます、殿下」

「テレノも卿のことを心配していた。昨今の情勢を鑑みれば兄妹水入らず……とはいかないかもしれないが、せめて二人で過ごす時間を作ってみてはどうだ」

「お心遣い、感謝いたします。……ところで殿下、我々の不在時にケルンテン辺境伯の御令嬢がメディオルムここを出入りしていると聞き及びましたが、事実でしょうか」


 レルテスの問いに対して、俺は静かに頷いた。


「あぁ、そうだ。彼女は辺境伯領――というよりも、諸邦連盟の使者として我が国を勢力圏に取り込むために活動していると見るべきだろう」

「以前、ベルンシュタイン辺境伯が殿下に御令嬢との婚約を持ち掛けたとは伺っておりましたが……」

「あぁ。無論我が国としても諸邦連盟との同盟は望むところではあるのだが……」


 そこで俺は言葉を切り、リリーから聞いた諸邦連盟がチザーレに望む同盟締結の条件をレルテスに伝えるか逡巡した。数秒の思慮の末に「少なくとも、現時点では口外無用だ」と前置きしてから、俺は諸邦連盟からの同盟条件を伝える。将来の帝国内戦介入に参加する、という条件を聞いたレルテスは、少し驚いた様子ではあったものの、すぐに平静を取り戻して口を開いた。


「……それは、確かに極めて重大な問題となりますね。カルニラの侵攻がどう転ぶにしろ、我が国は軍事的に少なからず損害を負うことは避けられないでしょう。そのような状態で、内戦に陥ったとて巨大な帝国へと介入することは……」

「当然介入の主体は諸邦連盟軍やピストリア軍がなるのであって、我が国――というよりも俺はあくまでも介入を正当化する神輿に過ぎないだろうがな。しかし――上層部が真っ二つに割れかねない条件なのは間違いない」

「我が国への支援は感謝するべきですが、彼の国が我が国を国際社会における駒として扱いたいがための支援であるとすれば……」

「警戒せざるを得ない、だろうな」


 自らと同じ結論にレルテスが辿り着いたことに俺は安堵した。


「……しかしまぁ、今はカルニラのことを考えるのが先決だ。宰相府には職員が手配した、不在中の政府内部の動きをまとめた書類があるはずだ。それをも――」


 俺がそこまで言ったところで、ドアがノックされる。「こんな時間に誰が?」と思いつつも応対すると、血相を変えたヴィットーリ少佐が転がり込むようにして入ってきた。その顔色は青ざめており、額からは汗が伝っているのが見える。


「突然の訪問、失礼いたします!……大公殿下に至急お伝えしたいことが」

「何があった?」


 声を震わせながら答えるヴィットーリに対して、俺は努めて冷静に問い返す。俺の言葉を受けて、彼は大きく深呼吸をしてから口を開いた。


「東部に展開する部隊からの報告によれば――カルニラ軍と思わしき部隊が国境を越え、我が国へと侵攻を開始したとのことです!」

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