チザーレ=カルニラ戦争

演説

「いよいよ始まりましたな」


 カルニラ軍侵攻の報を受けた翌朝、宮殿大会議室では主要閣僚や軍幹部らを集めた緊急会議が執り行われていた。


「……タイミングとしては、最悪の中では最善といったところですな。軍部隊の展開自体はほぼ完了しているのがせめてもの救いと言ったところでしょうか」

「前線部隊は事前の計画通り小反撃を繰り返させながらコルテラ川沿いに構築した防御陣地へと敵軍を誘引中です」

「カルニラ軍の規模は?」

「仔細は不明ですが、概ね事前の予測通り7000名前後が前線部隊として投入されている模様です。但し後方にこれよりいくらか少ない規模の予備隊が控えていると見られます」


 軍からは引っ切り無しに報告が入ってくるが、意外にもその内容は想定していたよりもマシなものであった。部隊の一つや二つ壊滅してもおかしくはないと思っていたが、軍は当初の計画に従って撤退作戦を遂行しているらしい。


 それでもこちら側の不利は依然として変わらないのだが――不穏な報告が耳に入るよりも、マシな知らせを耳に入れる方が精神的には良いものだ。そのことは、閣僚らにとっても然りであったようで、会議室の雰囲気にはどこか安堵感のようなものが感じられた。


「……なるほど、状況は理解した。軍の損害が最小限に抑えられていることは理解したが、住民に対する被害はどうなのだ?」

「現状では特に報告されておりません。既に国境地帯へと残留している民は最小限でしたし、侵攻開始直後軍の護衛下で西方へと移動しているとのことです」

「それは重畳だ。住民に被害が出ないことは、国家防衛の次に優先されるべき事項であるからな」


 東部住民の避難も事前の想定通りほぼ完了しているようだった。俺が小さく安堵の息を吐こうとしたところで、会議室の扉が開く音が響いた。


「お話し中失礼いたします」

「……どうした?」

「開戦の報を受けて、宮殿前にメディオルム市民が押し寄せております」


 宮殿管理を司る官吏による報告を受け、俺を含めた一同の顔に困惑の表情が浮かぶ。この時代、市民が同じ場所に集うというのは――それ即ち暴動の類が起きていることを意味するといっても過言ではない。


 しかし、こっちから戦争を起こして反戦暴動が起きるならともかく、あっちから仕掛けられた戦争を遂行しようとしているだけなのに暴動を起こされてはたまったもんではない。頭を抱えそうになった俺に対して、官吏は更に言葉を続ける。


「市民は興奮状態であるものの、暴動の類ではないとのこと。……大公殿下、もしよろしければですが、彼らにお言葉を賜ることは可能でしょうか」

「……つまり、演説を市民に向けてやれと、そういうことか?」

「左様にございます」


 俺は少し思案した後、小さく頷いた。正直な話をすれば、俺は演説の類はあまり好きではない。とはいえ、外に出て演説をするというのは、国家元首に求められるスキルの一つである。戦時に国民を鼓舞するためにも、最低限演説ぐらいは出来ないと話にならない。


「分かった、やろう。準備は出来ているのか?」

「既にできております。演説用の原稿も一応できておりますが、いかがいたしましょう」

「……いや、大丈夫だ。俺の言葉で話そう」


 そう言って俺は立ち上がった。閣僚らに後を任せ、俺は官吏の先導に従い、宮殿のバルコニーへと移った。


――――――――――


 バルコニーから見下ろせる宮殿前広場は、幾千もの市民で埋め尽くされていた。俺がバルコニーに姿を現すと、市民の中からワッという歓声が上がる。それに続いて口々に俺の名を呼び、何かを叫ぶ声が聞こえてくるが、その殆どは聞き取れない。


 ……どこぞの総統フューラーの演説を思い出しそうになる光景だ。官吏が小さく『では、お願いします。殿下』とだけ言ってきたので、俺は小さく頷いた。小さく深呼吸をしてから、俺は眼下の聴衆に語りかけるように話し始める。


「……我が親愛なる公国の臣民諸君。諸君らも既に聞き及んでいるだろうが――卑劣なる隣国であるカルニラ侯国は、我が国への軍事侵攻という、不正義にして無謀な挙に打って出た!これは我が国の主権に対する明確な挑戦であり、到底容認出来るものではない!!」


 俺の言葉に、市民の間からは怒号にも似た歓声が上がる。銃後の市民が厭戦感情に吞まれていないというのは、国家が戦争を戦うにおいて重要な要素だ。……尤も、開戦間もない状況で厭戦感情が蔓延する国というのはそうそうないのだが。


「既に我が忠実なる公国国防軍は既に我が国の領土に侵入した敵国軍を迎撃しており、事前に用意されていた防衛計画を発動している。しかし諸君、この戦争は軍人のみが努力して勝利することが出来るものではないことを理解してほしい」


 俺はそこで言葉を句切ると、市民たちを見回した。彼らは俺の言葉を待つようにじっと押し黙っている。なるべく感情的にならないように、而して相手の心に響くよう意識しながら俺は再び口を開いた。


「公国軍は公国を守るために戦うのと同時に――諸君ら、前線の後ろに控える無辜なる臣民を守るために戦うのである。そして、同時に彼らは武器を、食糧を、そして――諸君らの支持と健闘を欲している」


 市民たちが俺の言葉に耳を傾けてくれているのを確認してから、小さく息を吸って再び口を開く。


「諸君、どうかこの戦争を第三者として捉えないで欲しい!この戦争は公国の戦争でもなく、あるいは私の戦争ではない。諸君ら自身の運命を賭けた戦争なのである!……我らが敵たるカルニラ侯国は、軍と結託し腐敗した独裁的な侯爵政府によって、民を抑圧し、その自由と尊厳を踏みにじることによって国家の体を成している。男は皆兵士となるために徴用され、女は軍隊が食むために奴隷のように酷使されている。私は、斯様な政府によって諸君らの自由と尊厳が侵害されることを決して望まない。そして――その思いは、諸君らも共有するところであると思う!」


 本心から発される言葉というのは、存外人の心を打つものである。カルニラをあまりに悪し様に言うのは少し気が引けたが、市民を戦争という過酷な状況に引っ張り込むためには多少なりとも大袈裟に言う必要がある。どっちにしろ軍事独裁政権であるのは変わらないので、誤差と言えば誤差である。


 その後も俺は、市民の戦意高揚に繋がるよう、慎重に言葉を選びながら演説を続けた。


「……我々は戦う!祖国のため、家族のため、そして――我々自身の自由と尊厳を守るために!私はこの戦争における諸君らの献身に期待するものである!」


 30分近くに及んだ演説を、俺はそう締めくくった。市民からは割れんばかりの拍手と、『大公殿下万歳』という歓声が上がった。


 拍手に応えながらバルコニーを離れると、一気に疲れが押し寄せてくるのを感じた。大観衆の前で演説するというのは、やはり相当なプレッシャーがかかるものだ。しかし、これも必要なことである以上、やらないわけにはいかない。今後もこういう機会がある可能性が高いという事実に内心で溜息を吐きつつ、俺は会議室へと戻った。

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