傭兵と民兵
翌日。軍との打ち合わせのために、俺は公国軍司令部を訪れていた。半数近くの要員は前線司令部へと移っていたが、軍務府との連絡の都合上、メディオルムの中央司令部にも司令部要員は残留していた。
「大公殿下。お待ちしておりました、こちらへ」
「うん、ありがとう」
ヴィットーリ少佐と共に現れた俺を、高級将校達が出迎えた。彼らは俺を見ると一斉に立ち上がり、敬礼の姿勢を取る。それに手を挙げて応えた後、俺は着席する。既に準備されていた書類が手渡され、俺はそれに黙々と目を通した。
この時代、前線の情報がすぐに後方の司令部に入ってくるなんてことは滅多にない。資料にも、本当に必要最小限のことしか書いておらず、情報の精度という点ではお世辞にも高いとはいえなかった。しかし、それでも必要な情報は揃っている。カルニラ軍の動向や、公国の前線部隊の大まかな位置などだ。
「結論から申し上げますと、我が軍は順調に作戦行動を行っております。敵軍に出血を強いながら後退を続けておりますし、件の『義勇軍』についても、問題なく共同作戦行動をとれているようです」
「それは結構なことだ。しかし、予想は出来ていたが、カルニラ軍がほぼ全軍を前線に投入してくるとはな。国内に残っているのは多くても2000人ほど、国境警備すら回っていないのではないか」
「そのことですが、恐らくは外部から傭兵隊を雇い入れたのかと。カルニラ侯爵の統治は国内でも不評を買っている以上、国内に駐屯部隊を置かずに出征するのは些か疑問が残ります」
「なるほど、傭兵か。それだけ戦争につぎ込める金があるとは、全く我が国からすれば羨ましい話だ」
俺は頭を振った。カルニラ侯爵からすれば戦争に負ければ全てを失う以上、全てを戦争に擲つしかないというのは理解できる。理解できるのだが、しかし恐ろしいという感情を拭い去ることは出来なかった。国家予算の中身が一体どんなことになっているのか、考えるだけでも恐ろしい。
前世と比べれば、時代状況を考えれば国家の統合と国民軍の編制が進んでいるこの世界でも、まだまだ傭兵の仕事は多い。小国には自前の軍隊を持たずに傭兵と封建領主の私兵で軍隊を構成している国は多いし、戦時となれば帝国でも局所的に傭兵隊を雇い入れることもある。
農民上がりの徴募兵に愛国心を期待して戦わせるよりも、その道のプロである傭兵に金を約束して戦わせる方が信用できる場面は多い。侵略戦争だとその傾向が強く、大陸諸国の中でも鉄の規律を持つ国民軍で知られる北方の雄ベルナドッテ王国ですら侵略戦争時には勝手に逃散する兵隊が割とよく出てくると聞く。なので特に死傷率が高いことが予見される危険な作戦には傭兵隊を投じるというのが通例となっている。
そのまま将校たちによる説明は続き、書類には一通り目を通し終えた。そのまま解散の流れになり、俺が退室しようと立ち上がったその時だった。部屋に、扉を叩く音が響き渡る。入室してきたのは、一人の若い士官であった。その士官は慌てた様子で敬礼すると、口を開く。
「会議中失礼いたします。軍司令部に、入隊を志願する市民が押し寄せています。如何いたしましょうか」
「……何?」
予想だにしなかった言葉に、思わず俺は聞き返す。ふと周りを窺えば、他の将校たちも一様に困惑した表情を浮かべていた。
革命によって成り立つ、国民の国民による国民のための共和国ならばいざ知らず、君主と貴族階級が存在するこの国で、一般市民が軍に積極的に入隊を志願する理由などほとんどない。それが分かっているからこそ公国軍は徴兵制を取らず、貴族の子弟を中心に軍を構成し、富裕市民の次男三男がそれを支えることで軍の質を保っているのだ。
先の内乱での反クーデターデモのように平和的な運動や農民反乱軍のように領主による煽動があったならばともかく、自発的に戦闘に身を投じることは彼らの望むところではないはずなのだ。
「詳しい内容を」
「はっ、昨日行われた大公殿下のご演説に感化されたのか、『大公殿下のお言葉通り、これは我々の戦争でもある。後ろで見ているだけなのは耐えられない、自分も前線で戦わせてほしい』といったような内容の市民が大挙して押しかけております」
「あー……」
それを聞いて、俺は内心頭を抱えた。そういうつもりでいったのではないのだが、確かに振り返ってみればそういう意味で取られてもおかしくない文言であった。慣れないことをぶっつけ本番でするもんではない。ちゃんと原稿を用意させればよかったと後悔するが、今更もう遅い。
本来であれば兵員不足が解消される……と喜ぶべきところなのだろうが、事情はそう単純ではない。彼らを正式に公国軍に入隊させて、一定期間の訓練後に戦場に送り出すならともかく、今の公国軍にそんな余裕はない。というか訓練を施す部隊も予備隊として前線に赴いているため、そもそも訓練の施しようがない。
そんな状態で、取り敢えず武装だけさせて送り出すとなると、事実上彼らは『民兵隊』として戦場に赴くことになる。戦史を少しでも齧れれば明らかになることではあるが、戦場において愛国心に駆られた民兵隊ほど厄介で、そして――残酷な集団は存在しない。フランス革命時にテュイルリー宮殿を襲ったマルセイユ民兵隊が、国王を守ったスイス傭兵を虐殺したことが、その最たる例であろう。
なるほど防衛戦争において彼らはその愛国心によって撤退せずに踏みとどまり、その戦闘能力を発揮することがないとは言えない。完全な軍事的合理性だけを考えれば、民兵隊に一定の戦術的価値を見出すことは不可能ではない。
しかし、民兵隊はまずもって指揮系統が不明瞭であるという問題がある。要するに部隊で何か問題が起きた時の責任の所在が分からず、更に隊員の略奪行為や犯罪行為を抑止もしくは鎮圧するシステムに不備があることが多いのだ。だからこそ、愛国心に駆られた個人が好き勝手に動くことは軍隊組織にとって極めて大きな問題となりうるのである。
しかも、戦時に編制された民兵隊は地雷と同じようなもので、適切に編制し適切に解体しないと終戦後国家の統制を離れた武装組織として自立してしまう危険性があるし、国家や領主による武力――要するに武器――管理の原則を著しく阻害する存在でもある。
そんなことを考えていると、ヴィットーリ少佐が口を開いた。
「市民の行動を無碍にするのは些か危険に思います。元より兵隊の動員権限は軍務府にありますし……一先ず軍務卿閣下にこの話を伝えることが肝要かと思います」
「確かに。我らのみで決することは出来んか。大公殿下、市民に対してはこちらから説明をいたします」
「……そうだな。ヴィットーリ少佐、ボルジア伯にこの件に伝えた上で、すぐに対応を協議したいと伝えてくれ」
「はっ、かしこまりました」
俺はヴィットーリ少佐に言伝を頼み、会議室を後にした。
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