戴冠式

 目覚めがいい朝だ。まだ日が地平線から出るか否かという時間帯に起きた俺は、もぞもぞとベッドから抜け出すと、身支度を整える。今日何をすればいいのかは正直よく分かってないが、少なくとも寝室で引き籠りライフを謳歌できるほど気楽な一日は待っていないだろう。ということで、扉を開けて、外を出ようとする。すると――


「おはようございます」

「わわっ」


 扉を開けた瞬間、扉のそばで待ち構えていたらしい女性に声を掛けられ、思わず頓狂とんきょうな声を出してしまう。


「……びっくりした。それで、君は?」

「あっ……粗相をいたしまして申し訳ありません、ご無礼をお許しくださいまし。私は、バロンドゥ子爵家から宮廷に召し抱えられたテレノ・バロンドゥと申します。殿下の身の回りのお世話をさせていただくために参りました」


 ペコリと一礼する女性は、よくよく見たらさほど年恰好は変わらない様子であった。薄い紫髪にどちらかと言えば華奢きゃしゃと言える体格、白基調のエプロンドレスを身にまとったその姿はまさに――『メイド』と言うべきものであった。……この世界でもメイドの服装は前世とさほど変わらないらしい。


 しかし、メイドのような使用人と言えばやはり卑しい身分を想像させるが、彼女の口上によれば子爵家の子女だそう。お国柄、というやつであろうか。帝国の宮廷で皇族の身の回りの世話をしていたのは卑しいとまでは言わないまでの爵位持ちの貴族の子女なんてことはなく、言ってしまえば没落貴族が身売りのような形で宮廷に奉公に出していた者たちが担っていた。


「よ、よろしく。それで、どうして扉の前に?」

「……?先ほど申し上げた通り、私めは大公殿下のお世話を……」

「え、いや俺はもう支度できているけど……」


 どこか嚙み合わない会話に、お互い困惑するしかない。その奇妙な沈黙状態が続くこと十数秒、何か言わないといけないと俺が目を泳がせていると――廊下にガルベスが現れた。


「おや殿下、もうお出でになられていました……か」


 素早く俺とテレノを見たガルベスは、合点したようにうなずく。これは不味い。


「いや大尉、違うんだ」

「大公殿下、まだお若いでしょうしお気持ちは分かりますがまだ殿下は叙任式も済んでいない身、そういったことは諸々の面倒を解決してからですね……」


 明らかにからかっているとわかる表情でガルベスが俺のことをあおってくる。横を向けばテレノは必死になって首を振っているが、その顔には若干の恐怖が浮かんでいるのが見て取れた。そりゃいきなりこんなイカついおっさん出てきたらビビるわ。


「あまりからかわないでくれ、大尉。俺はともかくこの娘は大尉に会ったことがないんだぞ」

「おや、これは失礼。小官は大公殿下と共に帝国から送られた、ガルベス・シルパス大尉であります。以後お見知りおきを、お嬢さん」

「お初にお目にかかります。テレノ・バロンドゥと申します。こちらこそ以後お見知りおきを……」


 さっき俺にしたのと同じように、ペコリとテレノが礼をした。それにガルベスは首をわずかに縦に動かし応える。軍人らしい無駄のない動きだ。


「それで大尉、俺はこれから何をすればいいんだ?寝室でおちおちしていられないだろうなというのは承知しているが、どこに行って何をいいのかも分からんもんでな」

「それを伝えに参ったのですよ。一緒についてきてください」

「分かった」


――――――――――


 ガルベスについていった先には、案の定というべきかドミトリー伯がいた。あと司教らしき人も一緒である。ついでに言えば、テレノも俺たちについてきてる。


「お待ちしておりました、大公殿下。昨晩はよくお眠りになられたでしょうか」

「うむ、問題なく眠れた」

「それは良かったです。……さて、早速本題に入りますが、殿下には今日戴冠式にご出席いただきます」

「戴冠式……か」

 

 戴冠式。要は新しい皇帝だの国王だのがその座に就いたときに、それを正式に認証する儀式のことだ。小さな公国であったとしても、その儀礼的な手順を踏むというのは変わらないらしい。しかし、反乱が起こっているのにそんな悠長なことしてる暇があるのかね?


 ということを思っていたら、ドミトリー伯がそれに答えてくれた。


「左様でございます。本当であればもう少し入念な準備をして行うものなのですが、いかんせん我が国は非常事態下にあり、殿下には一刻も早く執務についていただかねばいけない故、このような急な日程となってしまいました」

「なるほど。事情は承知した」


 じゃあ戴冠式すっ飛ばせばいいじゃんというツッコミをしたいところだが、すんでのところで押さえて頷いておく。礼儀作法で飯は食えんと言いたいところだが、新大公の就任というビッグイベントにおいて、たとえ中身がない儀礼的なものであったとしても、それを飛ばすことは許されないのだろう。


「幸いというべきか、総主教猊下げいかは何とかお招きすることが叶いました」

「ハンス新大公殿下、お初にお目にかかります。北ヴィターリ大司教区総主教、テオデリア・フォン・クレンカロと申します。本日は、殿下の戴冠式に御同席させていただく運びになり、誠に光栄であります」

「こちらこそ、お目に掛かれて光栄であります、猊下」


 クレンカロ総主教に頭を下げられ、こちらも取り敢えず会釈を返す。そこまで年を食ったようには見えないが、宗教関係者特有の威厳と言うかオーラはありありと感じ取れた。


「おほん、式において殿下は基本的に座っていただくだけで構いません。総主教猊下が殿下に公国の王冠を被せる戴冠の儀の際には、猊下の前にお立ち頂き、神の名の下にその責務を全うすることを誓っていただきますが、殿下にしていただくことはそれだけでございます」

「承知した。一応身支度は整えてきたのだが、これで構わないだろうか?」


 一応聞いておく。身支度をしたといっても、着ているものは帝国からの道すがらで着ていたものほとんどそのままなのだが。


「大丈夫でございます。それでは殿下、もうそろそろ開始の時刻が迫っておりますので、こちらへお越しください」


――――――――――


 荘厳な装飾が施された宮殿の大広間で、戴冠式は始まった。が、進んでいく式のほとんどは祝辞だのなんだので、本当に俺が出る幕はなかった。


「続いて、新大公殿下のご戴冠でございます。ハンス親王殿下、こちらへ」


 いよいよだ。俺はドミトリー伯の導きに従い、壇上(?)に上がり、クレンカロ総主教の前でひざまずいた。


「ハンス・エリック・フォン・ロレンス=ウェアルス。そなたはこの国のために、何をなすことを誓いますか」

「国家の繁栄を願い、また民の安穏たる営みを支え、神の祝福をあまねく人々に与えるという責務を果たすことをここに誓う」


 ドミトリー伯に用意されていた台詞をそらんじる。


「よろしいでしょう。神の御名の下に、ハンス・エリック・フォン・ロレンス=ウェアルスを、ここにチザーレ公国の大公として認めます」


 クレンカロ総主教が俺の頭に水を注ぎ、冠を被せる。これが戴冠式のいわばメインプログラムだ。ここからは宰相やら貴族の代表やらのスピーチが続いたが、正直言ってそれは余興でしかなった。


 あと、この水が結構な量で、総主教が量を間違えたのか元々こんなもんなのかは不明だが、戴冠式の間俺はびっしょびしょのまま過ごさないといけなかった。幸い結構な部分が撥水性のある素材で出来ていた上着(というより正装としての服)はそこまで濡れなかったのだが、その下である下着がかなり濡れて不快な感触を俺にもたらしていた。


 ともあれ、戴冠式は何事もなくそのまま進み、そのまま閉式を迎えた。そして、この式を以て俺は正式に、この国チザーレの王――いや大公になったのだ。

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