公国の状況

 日が暮れる寸前にメディオルムに到着した俺たちを、街の人々は歓迎ムードで迎えた。チザーレは帝国に従属して長く、故に統治もかなり緩い制度が取られていると聞いてはいたが……農民反乱で国が危機に陥っているような状態とは思えない雰囲気だ。


 宮殿にたどり着いた頃には日は沈んでおり、そのまま少数の側近を連れて宮殿の執務室まで案内された。


「ハンス殿下、わざわざこのような状況の中、ご足労いただき何と言ったらよいのか……。既にお聞きになっておると思いますが、我が国は今危機に瀕しており……」


 俺の横に控えているのは、公国宰相のヘレナス・ドミトリー伯爵。大公亡き後の公国の政治を一時的に担っている……ということらしい。


「分かっている」

「……皇帝陛下は何と仰っておりましたでしょうか」

「残念であるが、我が国はチザーレに大規模な援軍を送ることは出来ないと。俺が連れてきた150人ほどの兵隊、これが帝国の出せる最大限の援助と考えていただきたい」


 帝国は現在隣国とかなり大規模な戦争中であり、属国とはいえ小国に過ぎないチザーレに軍を出す余裕はない。つまり――俺は公国軍と本国から連れてきた護衛の兵士だけで今この国に跋扈する反乱軍を鎮圧しないといけない。前世で多少は好きだった世界史知識を総動員して考えると、もし反乱軍に負けた場合、多分俺やそのほか公国の要人たちに来る未来は宮殿の前に吊られるか首と体が泣き別れかのどっちかだろう。


 それは防がないといけない。間違いなく最高クラスに当たりの来世を引き当てたのにガキの間にそれをむざむざ失うような真似はしたくないし、そもそも痛い死に方だけは絶対に嫌だ。


「左様ですか……分かりました」

「うむ、すまないな」


 ……声色だけ聞けば残念そうに聞こえたが、一瞬安堵の表情をドミトリー伯が見せた気がする。――気のせいか。


「……手間を掛けさせて申し訳ない。宰相閣下、軍の責任者を呼んできてもらえないか。寝る前に国の状況を少しは確かめておきたい」

「はっ、すぐに呼んでまいります」

「うん、よろしく頼む」


 ドミトリー伯が執務室を出ていく。すると、傍らに控えていたガルベスが声を掛けてきた。


「此度の戦は、大変なものになりそうですな」

「……大尉に勝てるビジョンはあるか?」

「さぁ。我々が戦うべき敵の情報・味方である公国軍がどの程度役に立つか・この国の人々がどれほど帝国に協力的か……情報なくてはいくら聡い将軍といえど、戦の勝敗など分からぬものです。まして兵卒叩き上げの小官は言うまでもないでしょう」

「それもそうか。早急に公国軍の責任者と対策を考える必要があるな」


 ええ、とガルベスが頷いた瞬間、失礼という声と共に執務室のドアが開いた。視線をそちらにやると、ドミトリー伯と共に軍服に身を包んだ長身の男性が部屋の中に入ってきているところだった。


「挨拶が遅れて申し訳ありません、ハンス大公殿下。私はチザーレ公国軍司令官臨時代理のベネト・クルリアス中佐と申します」

「よろしく中佐。固い挨拶は抜きにして本題に入ろう。まず……司令官はどちらに?」

「司令官は、先の事件で死亡しました。副司令官も同様です。なので私が臨時で代理を務めております」


 "先の事件"が何を指すのかは、言われなくても分かった。


「なるほど、事情は承知した。それで、勿論中佐はよく理解していることだとは思うが、この国では今反乱が起きており、俺の大公としての最初の職務はこれを鎮圧することだと解釈している」

「はい、その通りでございます。……宰相閣下に言われて資料をお持ちしております。ご覧になりますか?」

「あぁ、机に広げてくれないか。如何せん俺は戦のイロハも分からぬ素人なもので、中佐やここに控えているシルパス大尉の知見がないと資料を読み解くのにも一苦労しそうでな」


 親指で後ろにいるガルベスを指しながら言うと、クルリアス中佐は持っていた資料を丁寧に執務室の机に広げた。ガルベスが失礼と言いながら俺の前に出て資料を流し見する。


「ふむ……中佐殿、いくつか私から質問させていただいてよいでしょうか?」

「ええ、私に応えられる範囲なら何なりと」

「公国軍の現有戦力は歩兵2200および騎兵450と書かれておられるが、これは限界まで拡張した上での兵力でしょうか?それとも、戦時徴兵などの手段でこれより拡張が望めるのでしょうか」

「常備軍の兵力です。勿論徴兵を行えばこれを上回るであろう兵力を動員できますし、国の所有ではない兵力も存在しますが……民の反感が反乱という形で表れている今徴兵を行うのは悪手かと……」


 ガルベスの質問にクルリアス中佐が答える。階級的には彼の方がガルベスよりも数段階高いはずなのだが、その強面と体格差に気圧されたのか自然と口調が敬語になってしまっている。


「ふむ……反乱軍の兵力は想定でも5000人以上。複数の地主に率いられており、比較的士気も高いと」

「とはいえほとんどの反乱軍兵士は農民です。幸い我が軍から脱走した兵が大挙して反乱に合流するような事態にはなりませんでした」

「それは幸いですね。もう一つ、メディオルムここの住民は我々……というより公国政府を支持していますか?」

「それについては問題ないと思っております。反乱を率いている地主たちは前大公に反感を抱いていますが、首都やそのほかの都市住民の多くは前大公、そして大公を支援していた帝国を支持しています」

「なるほど。都市住民の支持が得られているのは大きいですね。宮殿の守備兵は多少薄くして反乱鎮圧に回してもいいでしょう」

「既に公国軍の殆どは反乱軍の活動地域の近辺に展開済みです。作戦命令さえあれば動かせるはずです」

「私……というより新大公殿下が連れてきた兵隊もすぐに送らせましょう。数は少ないですが、実力は保証しますよ」


 俺は2人の会話を聞いているしかなかった。餅は餅屋、という諺が前世ではあったが、門外漢が口を出せる余地はなさそうだ。


 しかし、一つだけ気になることがあったので、それを聞いてみることにした。


「一つ、聞きたいことがあるのだが、質問してもいいだろうか」

「……どういたしましたか、大公殿下?」

「都市住民は前大公を支持して、農民……というよりも地主たちは反感を持っており、それが此度の反乱に繋がったという話だが、その――なんでこんな両極端な状況に?」


 それを聞くと、クルリアス中佐は困ったようにドミトリー伯に眼を向けた。


「それは私がお答えしましょう、殿下。前の前――つまり先々代の大公まで、この国は農業国でした。しかし、帝国本土の大学に通って商業の才を身につけてきた前大公によって、大学を作ったり、都市化を進めたりという改革が進められました。結局それはある程度成功してメディオルムは豊かな街になりました、が……商業の発展に熱中するあまり、農村に対する政策がおろそかになってしまったのです」

「しかしそれだけでは数千人規模の反乱に発展するとは……」

「いえ、それだけではないのです。殿下は、我が国に『沿海特区』と呼ばれる地域があるのはご存じでしょうか?」

「いや、聞いたことがないな」


 俺はドミトリー伯の質問に首をかしげる。帝都の学校にいたころにこのあたりの地理にやった朧おぼろげな記憶こそあるが、その記憶はほとんどの時間を寝ていたという情報しか俺に齎もたらさなかった。


「沿海特区――正式名称はラグーナ港湾都市と言いますが――というのは前大公が我が国の海岸部に作り上げた商業的な特別地域で、前大公殿下が最も熱心に取り組んでおられた事業でした。しかし、この特区を作るために土地を地主から取得することに失敗し、前大公は軍を使って無理やりその地域一帯から土地を接収するという強引な手段を用いてしまったのです」

「あぁなるほど……それで地主たちや農民たちも前大公に無理やり土地を接収されることを恐れて反感を募らせていったということか」

「その通りでございます」


 そりゃそうなるわなぁ……と納得せざるを得ない理由だった。しかしこの時代に商業特区とは……先見の明があるとかいうレベルじゃないぞ、前大公。


「なるほど、よく分かった。すまないな、大事な話の最中に割り込んでしまって」

「いえいえそんなことはないですよ、殿下。……ちょうど話が切れましたし、続きは明日にしませんか、中佐殿?」

「私は構いませんが、殿下はそれでよろしいでしょうか?」


 クルリアス中佐に振られ、俺は頷く。


「確かにそろそろ夜が深くなってきたな。時間はいくらでもある――とは言えないが、寝ずに消耗した状態であーだこーだと言うより、朝起きてから冴え切った頭で考えた方がいいだろう」

「承知いたしました、中佐は大尉を案内さしあげなさい」

「はっ、承知いたしました。大尉、こちらへ」


 ガルベスがクルリアス中佐に連れられて「では殿下、良いお眠りを」と声を掛けながら退出するのを見届け、ドミトリー伯は俺の方に向き直った。


「殿下の寝室は別の場所にございます故、私めが案内させていただきます」

「ああ、ありがたい。よろしく頼むよ」


 ドミトリー伯の先導で執務室を出て、廊下を歩く。暖房器具が置かれていた執務室と違って、夜の廊下は寒く、俺はブルブルと小刻みに震えながら歩かざるを得なくなっていた。


「宰相閣下、大公一家は殆どお亡くなりになられたと伝え聞いているが、第一公女殿だけは存命だと……」

「左様でございます。前大公殿下の一人娘、クレア・フォルニカ殿下は幸いにも修道院に赴かれており、ご無事でした」

「彼女と会ってみたい、案内してもらえるか」


 ふと思いついたことを言うと、ドミトリー伯はしばらく逡巡するかのような表情を浮かべた後、口を開く。


「……公女殿下は現在傷心しており、ここ最近居室からお出でになっておりません。もちろん大公殿下がどうしてもと仰るなら居室まで案内はいたしますが、ご対面できるということを保障することは……」

「分かった。案内だけでもしてくれないか」

「……承知いたしました」


 ドミトリー伯に案内してもらい、クレア公女の居室の前まで歩く。彼女は今宮殿と接続された離宮にいるらしく、執務室からはかなりの時間がかかった。


「公女殿下、今よろしいでしょうか」

『……宰相閣下、何度も足を運んでいただき申し訳ありません。まだ心の整理がついておらず……面会はご遠慮願いたいです』


  扉の中から、か細い声が聞こえる。ドミトリー伯がこちらをちらりと見てきたので、手を合わせてどうしてもという意思を伝えると、彼は頷いて続けた。


「いえ、帝国から新たな大公殿下がお出でになり、ご挨拶申し上げたいと……」

『…………お会いすることは出来ませんが、それでよいのなら』

「とのことです、大公殿下」


 それを聞いて俺は同意の意を込めて頷き、ドミトリー伯と入れ替わるように扉の前に立った。そのまま、扉の中にいるであろう少女(?)に向けて話しかける


「初めまして、公女殿下。俺はハンス・エリック・フォン・ロレンス=ウェアルスという。この度、皇帝陛下からこのチザーレ公国の大公位を拝命し、ここに参った」

『こちらこそ初めまして。私は前大公ベランゼ・フォルニカが娘、クレア・フォルニカと申します。お目にかかることが出来ず、このような形でご挨拶申し上げる無礼をお許しください、大公殿下』

「いや……気にすることはない。ご家族が亡くなり、言ってしまえば――赤の他人が新たな国の主として来るとなれば、そのように傷心してしまうのも無理のない話だろう。そんな状況で無理を言って押しかけてしまったこちらに非がある……すまない」

『いえ……しかし、先ほどの宰相閣下との会話をお聞きになられたかと思いますが、私は今心の整理がついておらぬのです。大公殿下にこのようなことを申し上げるのは非常に恐れ多いのですが、顔を合わせてお話させていただくのはまたの機会にしていただくことは出来ぬでしょうか……?』

「……分かった。改めて、いきなり押しかけて申し訳なかった。それでは失礼する」


 そう言って、俺は離宮から退出した。


「……ご理解いただけたでしょうか。公女殿下は今あのような状態で、とてもではないですが……」

「ああ、無理を言ってすまなかったな」

「ご理解いただけたなら幸いでございます。それでは改めて、寝室をご案内させていただきます」


 今まで来た道を戻り、宮殿内に設しつらえられた寝室に案内される。通された室内は部屋の大きさこそ帝都の宮廷のそれよりも小さかったが、所々に置かれている調度品や家具の質感はこちらの方が高級な感じがした。


「……悪いことを、したなぁ」


 ふかふかのベッドに倒れこんでから、今さらながら自分の行動があまりにも不躾ぶしつけな気がしてきた。もちろん挨拶回りをするのは重要だが、話を聞く限り人と話すことすら気が滅入めいるといった感じの公女の下に見ず知らずの他人が押しかけてはいけなかった。


「……彼女と会えるようになったら、改めて詫びを入れないといけないな」


 そう決心し、眠りにつくことにした。明日から始まるであろう激務を予想しながら、俺は夢の世界へと旅立った……

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