慣習と改革
「――と、いう訳だから、留守は任せたよ、バロンドゥ宰相」
「……僕にどうこう言う資格はないのですが。公女殿下は表面上回復されたとはいえ、病み上がりの身。そんな状態で慰問というのはいかがなものかと思いますが」
「彼女が望むからこそ、だよ。俺は――いや、我々はあまりに彼女を抑圧しすぎていた。卿にも覚えがあるのではないかね、宰相」
翌日。執務室にレルテスを呼び出し、俺はクレアが慰問を行う旨を彼に伝えた。レルテスは渋い表情をしていたが、俺の指摘には思うところがあったのだろう、言葉を詰まらせる。俺の存在が原因で彼女が政治的に抑圧された、とも言えるのだが。
「……確かに、僕としても公女殿下の現状は望ましくない、と思っていますが。公女殿下が望まれるのならば、それを大公殿下が叶えるように取り計らうのも理解は出来ます。しかし、暗殺未遂があったばかりです。危険ではないのですか」
「危険がない……とは言えないな。しかし、そもそもとしてこの国は戦争状態にある。兵が直接的な命の危機に見舞われ、民は恐怖と焦燥に支配されている中で、我々だけが宮殿で安穏としているわけにもいかないだろう」
「それは、そうかもしれませんが」
レルテスは目を伏せながら、呻くように呟く。彼が率いた改革派がクレアの公女就任に反対したのは、慣習的な公国法がそれを許さなかったからであって、別に彼自身が嫌ったわけではない。
しかし、その慣習法を改革するという選択肢も、あっていいはずなのだ。急激な改革は反発を生むが、少しずつ、漸進的な改革であれば進めることが可能であることは、これまでの公国改革が実証している。
というか慣習法運用も、色々話を聞く限りでは解釈ありきの法運用が多すぎるため、戦争が終われば法運用の前例をかき集めて実定法化することも考えている。ピストリアがその辺りの改革を進めているらしいので、それを参考にするつもりだ。
「公女殿下は公国のためにその身を尽くすことを望まれている。その任務を果たすにあたって、宮廷長という役職は些か役不足だと思う。それに――」
「……?」
「彼女が公国のために尽力することは、公国の民――特に女性にとって大きな好材料となるだろう。先の内乱とこの戦争で荒廃した国土を立て直すには、民に大きな希望を見せる必要がある。俺にはそれが出来ない。慣習に縛られて彼女を宮殿の奥底に閉じ込めておくことは、公国にとって大きな損失なのだよ」
「大公殿下……」
かなりひどい物言いをしているのは自覚しているし、レルテス――というより改革派の公国貴族にとって許容しがたい言葉であろうことも理解している。しかし、公国の利益のためにも、彼らには折れてもらわないといけない。
しばらくの沈黙の後、レルテスは首を縦に振った。
「分かりました。貴族評議会の方には僕の方から説明しておきます」
「感謝するよ。それで、護衛についてだが……」
「それについては、シルパス少佐の大公護衛隊に、公都防衛の兵をいくらか回すということで如何でしょうか」
「いや、こちらに回す兵の余裕があるなら前線に送ってくれ。それよりも――軍務府の報告では、ラグーナに送る民兵隊の編制が完了したそうだ。彼らをラグーナに輸送するついでに我々を護衛してもらう」
俺がそう提案すると、レルテスはまた難しい顔に戻る。
「民兵を殿下の護衛に……?」
「当然直接護衛をするのは大公護衛隊だが、その周りを民兵隊に固めてもらう。正規軍の将校が指揮するし、君主の眼前で狼藉を働こうという勇者はそういないだろう?」
「しかし、民兵隊の練度は低く、護衛としては不安が残ります」
「いいんだよ、練度は低くても。そこにいてさえくれば、少なくとも『戦争をしているのに護衛に回せるほどの余裕は公国にある』という印象を与えられる。元々民兵隊はラグーナに送るつもりだから、そのついでだといえば軍務府も反対はしまい」
「……軍務府には伝えておきます」
「ありがとう」
レルテスの了解に、俺は礼を言う。彼はそのまま執務室を退室し、俺はその後ろ姿を見送ってから椅子に深々と座り大きく伸びをした。
彼の性格的に、あまり強く反対することはないだろうと読んでいたが、どうやらそれは当たっていたらしい。貴族評議会も、地主貴族は戦時につき自領に戻って領内監督に当たっている以上はそこまで強硬な反対には遭うことはないだろう。慰問に関するハードルは、一先ずクリアしたといえよう。
「……これが彼女のためになれば」
彼女に政治的な実権を付与するまでの道のりは遠いが、その一歩目は今踏み出した。誰にも理解されないかもしれないが――この国の公位は、正しき公位継承者であるクレアの下に取り戻されなければならない。
俺はそのための繋ぎであり、茨の道を舗装するための贄にならなければならないのだ。
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