己に出来ることを

「余剰武器の生産は、東部避難民の一部が積極的な協力を申し出たことも相まって順調に進んでおります」

「避難民の仮設住居への収容も概ね完了いたしました。一部では住居への不満から暴力沙汰も起こっておりますが、治安部隊による秩序維持は現状機能しております」

「食糧供給についてですが、レゲンスバーグ在外商館の手配によって向こう2ヶ月分の備蓄を確保いたしました。順次住民へと配布する予定です」


 開戦からおよそ1週間が経ち、前線からの報告がひっきりなしに飛び込んでくる中で、各行政府は戦時体制の構築のために奔走していた。前線に送る武具の生産や戦場となった東部から来た避難民の収容とその管理、食糧を含めた必需品の調達と前線および後方への流通確保など、やるべきことは大量にある。


 そして、その分財政も圧迫されている。財務府の職員は現実世界の日本よろしく休日返上で働いており、ありとあらゆる手を尽くして資金調達に奔走していた。


 公爵領内の商会を通じて超低金利の借款を取り付け、元々の貴金属準備を切り崩して資金繰りを行っているが、試算では1年以上の長期戦となれば資金が底をついてしまうことはほぼ間違いなかった。ラグーナの反乱でそこからの収入が絶えたのも地味に大きい。


「帝国軍の介入は?」

「公爵領を通じて確認しましたが、未だに禁足令は解かれていないようです。帝国軍は国境線から動く様子はありません」

「そうか……」


 ライネーリ子爵の返答に俺は深くため息をついた。前線からの報告に基づけば、コルテラ川沿いに構築した野戦陣地に展開する連合軍とカルニラ軍が激突するのは時間の問題となっている。ここで勝利できればいいのだが、それはまだ希望的観測の範疇を出ない。


 各行政府の長からの状況報告は終了し、俺は会議室を出て執務室へと戻った。机の上に置かれた書類は、平時の際に比べてその数を減らしている。戦時になると戦争遂行が他の業務よりも優先されるため、行政府の決裁範囲が広くなり、相対的に君主の仕事は軽くなる。


 これが軍事に明るく、前線に出ていけるような君主なら話は違うのだろうが。悲しいかな俺は君主であることを除けばただの一文民、戦場に出ていったところで役に立つどころか足手まといになってしまうだろう。そういう意味では、カルニラ軍の先鋒指揮官を務めているという侯爵の息子とやらは敵ながら天晴というべきなのだろう。


 そんなことを考えながら書類に目を通していると、部屋の中にノックの音が響く。


『大公殿下、失礼いたします。公女殿下がお見えです』

「……!通してくれ」


 テレノの声に、椅子から立ち上がりながら応える。扉が開くと共に、クレアが入ってくる。ユセフット峠での暗殺未遂事件以降、彼女は離宮において静養していたが、侍医を通じて少しずつ体調が回復してきたと聞いていた。幾度か見舞いに行ったが、その時に比べてかなり顔色が良くなったように思える。


 ソファに座るよう勧めると、クレアは礼を言いながら腰を下ろす。俺も対面に腰掛けると、テレノが茶を運んできた。彼女に礼を言って下がらせ、それから俺は口を開く。


「その、体調は大丈夫そうか?」

「ええ、大分良くなりました。お気遣いありがとうございます。大公殿下……いえ、ハンスさんの方こそ、あの後ずっと職務をこなされていたと聞きましたが、体調の方は問題ありませんか?」

「……大丈夫だ。今は国家の非常事態、元首である俺が一人休むわけにもいかんしな」


 疲れが溜まっていない、というと嘘になるかもしれないが、いつぞやか倒れてしまった時のように何もかも1人で抱え込む悪癖は改善されたように思う。俺がそう告げると、クレアは心配そうな表情を浮かべたものの、それ以上追及してくることはなかった。


「……そうですか。無理はなさらないでくださいね」

「気遣いは有難く受け取っておこう。それより、今日は何用で来たんだ?病み上がりならあまり無理しない方が――」

「あ、いえ。体調がかなり回復したので、私にも何かお手伝いできることはないかなと。このような時に、私だけ離宮に引きこもっていては、民に示しがつきませんから」


 あの内乱の時のように、と彼女が付け加えるのを聞き、俺は一瞬言葉に詰まる。あれは不可抗力だったのだから気にすることはないと言おうとしたが、恐らくその言葉は彼女を追い詰めることになる。


 彼女は、周囲が思っている以上に内乱の神輿に担ぎ出されたことを気に病んでいる。自身の力不足を悔やみ、もっと何かできたのではと自責の念に苛まれている。多分、それを解消するには――成功体験が必要なのだろう。


 しかし、そうは言ってもこの戦時下で政治的な権限が何一つない彼女に出来ることは何かあるだろうか。俺ですら定期的に上がってくる報告をチェックして書類の決裁くらいしかやることがないのだ。そのことを若干遠回しに伝えると、クレアは俯き加減に呟いた。


「……そう、ですよね。すみません、出過ぎた真似でした」

「いや、そういうわけでは――」


 その時、俺の脳内に電撃が奔る。


『公女様――』

『ありがとう、大事にしますね』


 思い起こされたのは、内乱終結直後に催されたパレードでの一幕。孤児院の子どもたちから花束を手渡されているクレアの姿であった。そして、前世でテレビを通してみた、天皇陛下や皇后陛下が災害の被災地を訪問する姿がそこに重なる。


 ――民に寄り添う存在。今、それが求められているのでは。その観点で見たときに、クレアの存在は1つの答えになりうるのではないか。高貴な生まれ、穏やかな性格、整った容姿、そして高貴な生まれにありがちな民を見下す姿勢がないということ。


「……いや、もし君がそれを良しとするならば――できることはある」

「本当ですか!どんなことでしょう」

「……恐らくは君も知っての通り、我が国の民は苦しい状況に身を置かざるを得なくなっている。当然、我々の政府はそれを何とかするためにも様々な手を打っているが、何よりも重要なのは、彼らの『士気』を維持することなのだ。そしてその任務は、おおよそ誰もが果たすことが出来るというわけではない」


 そこまで言って、一呼吸を挟みクレアの様子を伺う。彼女は俺が何を言わんとしているのかおおよそ理解しているのだろう、真剣な表情でこちらを見ている。俺は意を決して、言葉を続けた。


「こんな言い方をするのは本意ではないのだが――君は美しい。君の容姿は、それそのものが国民の士気向上に繋がる。民のためにも――各地を巡り、慰問を行ってくれないか?」

「……分かりました。この身が民の役に立つというなら、喜んで」


 一瞬の逡巡の後、クレアは決然と首を縦に振った。その眼には決意の光が宿っている。


「ありがとう。君の決断に感謝する」

「いえ……ハンスさんこそ、私を気遣ってくださったんですよね?ありがとうございます」


 深々と頭を下げるクレア。むしろ何もさせられない状態を長く作ってしまったことにこちらが謝りたいくらいである。そんなことを思いながらも、俺は彼女が引き受けてくれたことに深い安堵を覚えていた。


 頭を上げたクレアはしかし、少し不安そうな表情を浮かべて言葉を続ける。


「ただ……一人で行くのは、少し、その」

「……流石に一人で行かせるわけではない。護衛はつけるし、もし必要なら侍従も手配しよう――」

「いえ、そうではなく」

「……?」


 クレアの様子に、俺は首をひねる。彼女は少し躊躇いながら、その願いを口にした。


「できればハンスさんにも、その……来ていただければ、と」


 予想外の言葉に、一瞬頭が真っ白になる。が、すぐに冷静に考える。確かに、あの時もクレアだけではなく俺もパレードに同行していたし、慰問というのは国家元首も付き添うものではないのだろうか。どっちにしろ俺が今出来る仕事は少ないし、最近ずっと宮殿に籠りっぱなしの状況をどうにかするには良い機会なのかもしれない。


 何よりも、彼女がそれを求めるのならば。それを叶えるのが、俺が出来る最大限の貢献なのだろう。そう決意すると、俺はクレアに向かって笑いかけた。


「分かった。手続きが少し複雑になるかもしれないが、何とか手配しよう」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 そう言って、クレアは執務室を退出した。部屋を出ていく彼女の顔は、心なしか少し明るくなったように見えた。

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