『ベルンシュタイン』義勇軍
「大公殿下、お疲れ様でした」
「あぁ、ありがとう。これからの予定は?」
「ベルンシュタイン辺境伯令嬢とその付添人の方が、殿下との御面会を御所望しておられます」
「付添人?」
「ケルンテン辺境伯領軍の大佐とのことです」
「……分かった。すぐに会おう。それと、可能であれば、クルリアス将軍を呼んで欲しい」
「承知いたしました。では、その旨をお伝えいたします」
会議を終えた後、執務室に戻った俺はテレノからその報告を受けた。彼女からの提案は既に関連府庁に通達されており、急ピッチでそれに対応するべく種々の策が打たれていた。独力での国家防衛が殆ど不可能である以上、ケルンテン辺境伯領からの支援を受け入れるというのは最優先の政策となっている。
「……」
俺はふと思い出して、引き出しからびっしりと書き込みが為されたチザーレ東部の地図を取り出し、それを眺める。軍務府から渡されたそれは、現時点でのチザーレ・カルニラ両軍の配置とカルニラ軍の予想進攻路、そして領内に設営中の防御陣地および利用可能な城砦などが記された重要な資料である。
軍事の素人である俺は正直な話半分も理解できるかすら怪しいが、(名目上の)公国軍総司令官という肩書がある以上、『分かりません』で済ますわけにもいかない。ケルンテン辺境伯領からやってくる『観光客』との関連においても重要な資料となり得る以上、しっかり読み込んでおく必要がある。
そうこうしていると、執務室にテレノが顔を覗かせ、リリーの来訪を告げた。その後ろにはクルリアス将軍――ではなく、彼の副官であるヴィットーリ少佐の姿があった。俺は地図を机にしまい込み、立ち上がった。
――――――――――
「クルリアス将軍は?」
「将軍閣下は現在東部に進駐する部隊について現地の指揮官と協議を行っております」
「なるほど。それで貴官が将軍の代わりにやってきたと」
「その通りであります」
廊下を歩きながら、俺はヴィットーリ少佐と話していた。彼はチザーレでも有数の地主貴族であるヴィットーリ子爵家の次男であり、家督を継がないためチザーレ軍に入隊し、現在ではクルリアス将軍の副官と務めると共に、軍部と政府との間の連絡官のような立ち位置になっている。
以前もリリーと面会するために使った応接室に入ると、既に室内に設えられたソファにはリリーと――軍服を着込んだ壮年の男性が座っていた。2人は俺とヴィットーリ少佐が入室したことに気付くと、立ち上がって俺に頭を下げてきた。
「再び拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極に存じます、大公殿下」
「うむ、楽にしてくれ。して、そちらは……」
「ケルンテン辺境伯領軍西方国境防衛司令部所属、領外紛争地帯特別活動部隊指揮官のテオドール・マルエス・フォン・シュヴァーネンフェルト大佐と申します。この度は拝謁の栄誉に与かり、恐悦至極に存じます」
シュヴァーネンフェルト大佐と名乗った男性は自己紹介を済ませると素早く俺に敬礼を向ける。俺はそれを見て『楽にせよ』とジェスチャーすると、彼は敬礼を解いた。
そしてヴィットーリ少佐の方を少し見ると、彼は小さく頷き、そして口を開いた。
「チザーレ公国軍中央司令部所属、総司令官副官兼政軍連絡官のアルディーノ・ヴィットーリ少佐であります。総司令官のクルリアス将軍の多忙につき、代理として参りました」
「うむ、ご苦労。……掛けてくれ」
全員立ったままという状況に堪えかねた俺がソファを勧めると、二人はそれに従って着席する。程なくしてテレノが飲み物とお菓子を運んできた。それを2人に勧め、先のリリーの会談と同様少しの雑談をした後、話は始まった。
「大公殿下、小官はあくまでも書記役として参りました。極力会談には口を挟まぬようにします故、ご容赦ください」
「分かった。正確に将軍に伝えてくれ」
「は、承知しました」
ヴィットーリ少佐は懐からメモ帳を取り出し、会談内容を書き記す準備をし始めた。それを確認した後、俺はリリーとシュヴァーネンフェルト大佐に向かい合う。
「……さて、では本題に入ろう。シュヴァーネンフェルト大佐といったな。卿が『観光客』とやらの指揮官、という認識で良いか?」
「はい、その通りでございます。大公殿下。既にリリー殿からお聞きになっているとは思いますが、我ら辺境伯領軍は諸邦連盟の意向により、貴国を正式に助けることは叶いません。そのため、あくまで名目上は『既に退役した』軍人が『余暇で』貴国を訪れる、という形を取って貴国への援軍を派遣します」
「それは理解している。既にこちらでも受け入れの準備は始めており、住居などはすぐに用意することが出来ることを約束しよう。食糧や武具は貴国の商会から我が国の商会へ『格安で払い下げ』されることも了解している」
シュヴァーネンフェルト大佐に対してそう答えると、彼は小さく頭を下げ、感謝の意を示した。
東部からの住民避難は、当然彼らの身を案じた……というのが一番の理由なのだが、
「……リリー殿が大公殿下にお渡しになった資料はあくまでも概要を纏めたもの。此度は詳しい説明を私の方よりさせていただくため参上した次第であります」
「なるほど。すぐにでも聞かせてもらおう」
「承知いたしました。まず、正式な部隊規模ですが、現状西方国境にて出発準備をしている部隊はおよそ3個大隊、数にして2500名弱です。いずれも我が軍の精鋭であり、実力は私が保障いたします。必ずや貴国防衛の助けとなりましょう」
「……2500名か。我が軍の総数がおよそ4000名、兵站圧迫が少し心配になるな」
補給線という概念が薄く、正規軍ですら現地調達(という名の略奪)上等が当たり前なこの世界では、兵站のことなど気にしても仕方がないのだが、それでも正規軍の6割もの援軍となると、無視するわけにはいかない。俺が懸念点を伝えると、シュヴァーネンフェルト大佐――ではなくその隣に座るリリーが口を開いた。
「……大公殿下の懸念点は尤もです。事前に我が領と貴国の商会を通じて出来るだけ食糧の融通を行っているとは聞いていますが、いつカルニラ軍が侵攻してもおかしくはありません。備蓄できる食糧や武具には限界があることは我々も承知しております。そこで、我々から殿下に一つ、提案――というよりもお願いがあるのです。……今は農作物の収穫期です。そして、貴国の東部では農民の避難が始まり、手付かずになっている農作物が少なからず残されているはずです」
その言葉を聞き、俺はすぐにリリーの言う『お願い』がどういうものかを理解した。しかし――それは、軍事的には重要な一手であることには間違いないが、やり方を一つ間違えれば極めて大きな禍根を公国に遺すことになりかねないであろう代物だった。
「つまり、それらの農作物を戦時徴発する許可を与えてくれ、ということか」
「その通りです。飯がなくては戦は戦えません。戦闘に敗れ、カルニラ軍によって徴発され、あるいは戦火で文字通り焼けてしまうよりも、我々に提供していただいたほうが貴国にとっても良いはずです」
「……それは、その通りだが」
確かに、理屈においてはリリーの言っていることは何ら間違ってはいない。同じ損失を被るのであれば、公国に少しでも得のある形で損失を被った方が良いというのは、普通に考えれば当たり前の話だ。……宮殿で話す
しかし、世界は理屈で出来てこそあれ、理屈で動いているわけではない。自らが育てた物を奪われる農民にとっては、カルニラ軍もケルンテン辺境伯領軍も、何ならチザーレ軍ですら変わりはない。略奪者に対して恨みを抱くという事実は動かないのだ。
「……当然、戦後に補償は致します。そのことについては、父上――いえ、辺境伯に言質は取ってあります。今は、貴国の防衛が第一であるということは、大公殿下と我々の間で相違なきことと存じます。どうか、ご決断を」
リリーは真摯な眼差しで俺の目を覗き込んでくる。……どの道、戦時徴発は避けられない。最悪の場合――東部領土防衛に失敗した場合は、焦土作戦を発動することすら軍司令部では検討されている。そうなれば戦争がどう転んでも俺の首と胴体は泣き別れする未来しか見えないが、それよりも
しばらく考え込んだ後、俺は顔を上げ、リリーの方へ向き直った。
「分かった。毎度のことで申し訳ないが私の一存でこれは決められないが、関連府庁の方に話は通しておく。しかし、いくつか条件がある」
「条件、と言いますと」
「公国軍監督の下に徴発を行うこと、略奪のように強引な徴発は厳禁とすること、万が一これらに違反する行為が発覚した場合は軍内部で速やかに行為者を処罰し、これを告示すること。この3つだ」
「……シュヴァーネンフェルト大佐、しっかり聞きましたね?麾下の部隊へとしっかり伝達してください。くれぐれも要らぬ恨みを買うような事態を引き起こすことだけはないように」
「承知いたしました、お嬢様――いえ、リリー殿」
そういうと、シュヴァーネンフェルト大佐も懐からメモ帳を取り出し、俺の出した条件を書きとめる。それを見ながら、俺は話の続きを促した。
「……それでは、話を続けさせていただきます。これらの部隊は、貴国の東部地域に展開するという想定で現在作戦計画を立てております。国境地帯に2個大隊を、国境より少し西側に1個大隊を展開し、貴国軍と協同した上で侵略者を撃退する計画です。既に展開部隊の将校は貴国に入り、調整に入っていると伺っております」
「なるほど。……少し質問しても構わないか?」
「何なりとお申し付けください」
「援軍は大変ありがたいことではあるのだが、その――部隊に参加している兵士や将校の士気は大丈夫なのか?言ってしまえば、我が国は帝国の保護国であり、義理もないようなそんな国を守るために命を賭す動機が見当たらないように見えるのだが」
俺がそう尋ねると、シュヴァーネンフェルト大佐は僅かに表情を曇らせ、しばらく考え込んだ後返答を口にした。
「そもそもとして、兵士は政治を知りません。彼らは――いえ、我々は戦うことを生業として定めたもの、命を賭して戦う理由など『そう命じられた』以上のものはないのです。そこに、守るものが何かなど些細なものに過ぎません」
「……そういう、ものなのか」
「そして、一つ付け加えるとすれば、此度我々が戦う相手は、我々辺境伯領軍からしても怨敵であるカルニラ侯国です。今でこそ直接干戈を交えた者こそ僅かとなりましたが、彼らの反乱で親類を失くした兵士も少なくありません。そういう意味では、我が兵の士気は非常に高いかと」
「……なるほど」
シュヴァーネンフェルト大佐の話を聞いて、俺は納得すると共に、些かの不穏さを胸の内に感じていた。
兵隊の士気が高いことはいいことか悪いことかで言えば、間違いなくいいことだ。しかし、その士気が国家防衛という目的から生じるものではなく、怨敵と相対するからという動機から生み出されているのであれば、それは極めて恐ろしいことだと俺は思う。
戦争というのは、結局のところ最も原始的な殺人の手段である暴力を振るい、相手の命を奪うことで自己の目的を達成する行為だ。そこには道徳も正義もないのは理解している。そして――本来ならばそれを規律するべき国際法すらも、この世界には存在しないといってもよい。しかし、だからと言って戦争に憎しみを持ち込めば、待ち受けるのは無限の負の連鎖だ。復讐心で戦争を遂行するのではなく――ある意味では、それ以上に冷酷に――国家目的のために戦争を行うべきなのだ。
戦争は暴力が支配するのではなく、政治が支配しなければならない。
だが、俺はそれをシュヴァーネンフェルト大佐に伝えられなかった。皮肉なことではあるが、チザーレの国家防衛という名目のもとに、彼らが憎しみを湛えた上で戦列に加わることは正当化され得るのだ。
「……よく分かった。残念ながら、私は軍人ではなく、一介の素人にすぎない。当然全てを放棄するつもりは毛頭ないが――適切な指揮系統を保つという観点からも、大佐にはこれより軍司令部及び東部に展開中の部隊司令部に赴き、我が方の将校と綿密な調整を行ってもらいたい。ヴィットーリ少佐、大佐を軍司令部へと案内してくれるか?」
「承知いたしました、大公殿下」
俺の命を聞き、書記役として黙々とメモを取っていたヴィットーリ少佐が立ち上がり、シュヴァーネンフェルト大佐を連れて部屋を退出する。そして、部屋に残るのは俺とリリーだけになった。そしてそのタイミングを見計らったかのように、リリーが俺の方をゆっくり向き直って口を開いた。
「さて、大公殿下。私は先ほど一つ『お願い』をいたしましたが――もう一つ、極めて重大な『お願い』がございます」
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