“高貴なる義務”
「東部の民衆の西部への避難は、内務府主導でやっておりますが、まだまだ進んでおりません」
「なるほど」
リリーと会談してから数日後、俺は宮殿大会議室にて開かれた貴族評議会に出席していた。元々は大公の補助機関として開かれていた貴族評議会は、専門行政府が発足して以降はその機能を各行政府に移行し、しばらくの間開かれていない状態になっていた。
しかし、この度各地から貴族を呼び寄せた上で、しばらくぶりに貴族評議会が開かれた。というのも、カルニラとの戦争の危機が目前に迫る中、戦場となることが予見される東部地域から住民をあらかじめ西部へと移送、避難させる必要がある。
しかし、この時代に『国民』という概念は(ないとまでは言わないまでも)薄く、あくまでも民衆は各地の領主が管理するものとされる。そのため、住民を移送するためにはこうして貴族評議会を招集し、東部の貴族らに対して合意を取り付ける必要があった。
「大公殿下、そして内務府のおっしゃることはよく理解できております。しかし、今は農作物の収穫の時期。今領民を避難させれば、甚大な損害が出ますぞ」
「左様。ただでさえ内乱で西部地域の収穫量が落ち込んでいる中で、更に収穫量が減っては民の暮らしが立ち行かなくなる」
が、この通り東部に所領を持つ貴族の多くの反応は冷淡であった。それもそのはず。今は秋、そう収穫の秋である。
農民がそれまでの働きが実ることに感謝する時期であると共に、地主貴族にとっては年貢という形で民から徴収する時期である。その時期に農民を農作業を中断して引き上げさせろという命令が彼らにとって不服であることは、当たり前のことである。
さらに今年は間の悪いことに先の内乱で戦場となった西部の農地が荒れて大幅な収穫減が見込まれているため、東部の作物が収穫できないとなれば食糧危機に陥る危険性すら生じる。
「諸君の言い分は尤もであるが、しかし、隣国との戦争の危機はもはや火を見るよりも明らかである。確かに農作物は重要な財産であるが、戦争で農作物と共に農民らまでも失ってしまってはどうしようもないではないか」
「仮に避難したとしても、その者らの住居はどうするのだ。戦争の間ずっと宿なしで生活させるのか?それではあまりにも酷ではないか」
公国に居残っているリッツィ子爵ら内務府の説得に対して、貴族たちから口々に反論が飛んでくる。その言葉に、俺は内心で頭を抱える。確かに農民らを避難させるのは急務であるのだが、彼らの言い分ももっともなのである。
住居の用意という問題は、避難させるうえで最大の障害となっていた。既に避難を始めている公国の直轄領においては、農作業を主に担う成人の農民は残留させるが、女性や子供などは避難させるという策が実施され、避難した女性や子供らの居住先としては国境へと移動したチザーレ軍の兵舎を再利用して――言ってしまえばお茶を濁している。
しかし、それでも限界はあり、お世辞にも居住環境が良いとは言えない兵舎に民を押し込めるのは正直言って心が苦しい。そして、兵舎の数にも限りがある以上、東部の民衆を全て収容するのは不可能である。内務府の管轄下でベラーニなどの郊外に煉瓦造りの簡易住宅の建設を行うように指示を出してはいるものの、人足にも限りがある上に予算的な都合で早急な建設は些か難しいと言わざるを得ない。
内務府から『資材買い付ける金額がもったいないので古代遺跡から煉瓦や大理石を持ってくる許可が欲しい』と言われた時は、流石にドン引きしてしまったが、それほど余裕がないのである。結局文化的価値があんまりないものならよいと許可を出してしまったが、正直判断を後悔していないかと言われるとかなり悩んでしまう。
「そもそも東部の領土が戦闘に巻き込まれる前提で戦闘計画を組んでいること自体がおかしい。国家を外敵から防衛するための国軍であろう。それが領土を侵犯される前提で軍を動かすなど、言語道断ではないか」
「その通りだ。我々に負担を強いる前に、国境で食い止めるための計画を出させることが先決ではないか」
とうとう軍への批判まで飛び出してきた。いや、その指摘は本当にその通りなのだが、2倍以上の敵に相対して領土を侵犯されることなく国境で防衛しろというのは流石に無茶な話である。ついでに言えば、カルニラとの国境は若干の丘陵がある程度で守りやすいとはお世辞にも言い難い。
国境から少し西側に行けばそこそこ大規模な河川であるコルテラ川があり、そこまで防衛線を下げれば多少は守りやすくなるが、この様子ではその計画もボロカスに批判されるであろう。
俺も含めてこの場にいる貴族は軍事的には全員素人なので仕方ないことではあるのだが、いつの時代も軍は過大な期待を背負わされるものである。流石にこの状況は不味いので、俺はフォローに回ることにする。
「……卿らの言わんとするところは、俺にもよく分かる。しかし、事実としてカルニラ軍は――少なく見積もっても我が軍のおよそ2倍、悲観的に見積もれば3倍以上とも考えられる。いかに我が軍が精強であるとはいえども、もし戦争になった際国境防衛に拘れば、最悪国境で全滅――という未来すらあり得る」
俺の言葉に、その場にいた貴族たちが息を呑む。それを見ながら、俺は話を続けた。
「そして、今帝国に行ってる宰相らの交渉次第ではあるが――帝国の駐留軍も、戦力として全面の期待を持つことは難しい。つまり、我が軍の全滅はそれ即ち国家の滅亡を意味する。当然、俺もそうなってほしくはない」
「……」
「しかし、現実的な可能性として国境において勝てない可能性が否定できない以上、敵に東部領土を侵された場合のことは、しっかりと考える必要があるのだ。だからこそ、俺と子爵は卿らに対して、その民を戦禍から守るため、西部へと避難させるという方策を提示しているのだ」
そこで一息ついた時に、俺はハッと思い出した。リリーから預かった、『観光客』についての書類。それと共に渡された書類には、もう一つの
「……さらに、避難する住民らの住居に関しては、当然公国でも準備を進めているが――同時に、我が隣国、シェーン諸邦連盟のベルンシュタイン辺境伯より、もしも希望するならば、自領で我が領民を一時的に受け入れるという申し出を受けている」
その言葉に、貴族たちはハッとした表情を見せる。国内で受け入れられるかが怪しければ、国外で受け入れてもらえばいい。幸いにも公国と辺境伯領の間には行商人が通行する街道が整備されており、移動させるにも不便は少ないだろう。
隣国とはいえ異国での生活を強いることになってしまうが、家なしで過ごさせるよりははるかにマシであるはずだ。もっと言えば、交渉次第では北のレゲンスバーグ公爵領へと避難させることも可能かもしれない。会議が終わった後に公爵領
「その上で強調しておきたいが、俺は卿らに犠牲を強いることを良しとしていない。しかし――それ以上に、戦争で罪なき無辜の民が巻き込まれ、彼らを死なせてしまうことになるという事態は避けたいのである。当然、収穫物を全て放棄せよとは言わない」
「大公殿下の仰られるように、公国直轄領では既に避難が始まっているが、収穫の要となる体力のある成人の農夫は残ってもらい、女性や子供、老人、病人を避難させている。諸君らも、
俺の言葉をリッツィ子爵が継ぎ、居並ぶ貴族らに対して深々と頭を下げた。東部の地主貴族の多くは男爵や準男爵、騎士階級――要するに、彼よりも爵位が低い貴族が大半を占める。そんな彼らに対して爵位が上であるリッツィ子爵が躊躇うこともなく頭を下げたとなれば、おいそれと嫌ですとは言えなくなる。
結局、『全員の避難は保障できない』という留保付きではあったが、東部からの住民避難を出来る限り速やかに行う、という方向で会議は決着した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます