連盟の望み

「……既に嫌な予感しかしないが、一応聞こう。何だ?」

「私がお伝えするより、この書を読んでいただくのが早いかと存じます」


 俺がそう問うと、リリーは懐から一通の封蝋が施された封筒を取り出しながら言う。封書には――シェーン諸邦連盟盟主にしてツェスライタニア国王であるフランツェ2世の印が、仰々しい装飾と共に押されている。そして、リリーは封筒から一枚の紙を取り出し、俺に差し出した。


 俺はそれを受け取ると、その書面に目を通していく。そこには――チザーレとの同盟締結に向けた外交交渉を、諸邦連盟が望んでおり、来るべき戦争の危機が去った暁には、より実質的な交渉の場を持つことを希望しているという内容が記されていた。


 思わず俺は二度見した。揺れているを通り越して崩壊数歩手前の様相を呈し始めているとはいえ――帝国はチザーレに対し保護国という形で勢力圏の中に置いている。そのチザーレに対して外部勢力が軍事同盟を持ち掛けるということは――それ即ち、離間工作を仕掛けていると解釈されてもおかしくはない、というよりもそう考えるのが自然だ。


 無論、それは諸邦連盟とてそれは百も承知だろう。しかし、それでもなお同盟を持ち掛けようという意思を示すということは、つまり――


「……単刀直入に問おう」

「はい、何なりと」

「諸邦連盟は、帝国が我が国に影響力を及ぼすことが出来ないほどに弱体化し、もしくは――内戦に陥るような事態へと発展するとしているという理解でいいのか?」


 俺の質問に、リリーはしばし沈黙を守った後に、ゆっくりと首肯した。


「はい。大公殿下の仰る通り、我々はそう遠くない未来に帝国がすると見ております。当然、それは帝位継承争いもそうですが――帝国の強権的支配は既に限界を呈しつつあります。周縁部では既に帝国の権威は失墜しつつあり――その象徴が貴国の、そして我が同胞たるピストリアの隣国であるオストヴィターリ帝国弁務官区でしょう」

「……暴動が拡大し、収拾が付かなくなってきているというのは聞いているが」


 リリーの言葉に、俺は思わず目を細める。脳裏には、外遊の際に見たオストヴィターリの風景であった。途中補給のために立ち寄った街では食料配給を求めて市民が抗議活動を行っており、山道では『賊があちこちに出没するようになった』という話も聞いた。


 食糧危機と南のティレニアの軍事行動によって、弁務官区政府の統治能力は限界に達しつつある。しかし帝国政府はこれを救援することなく、チザーレやレゲンスバーグ公爵領などを含めた近隣の諸侯に対して食糧の供出を命じるのみであった。


「その通りです。その他にも帝国領東部のベロリア地方や北東部のレトリア公国、北部のエトランド地方では現地の分離主義者の反乱が噂され、周縁部の諸侯はこれに乗じて独立を画策しているとか。帝国は、もはや砂上の楼閣と化しつつあります」

「……一つ聞かせてもらおうか。何故君は――いや、君たちはそこまで帝国のことを把握しているのだ?」


 俺がリリーにそう尋ねると、彼女は一瞬だけ表情を曇らせた後、大きく深呼吸をして口を開いた。


「率直に申し上げましょう。我が国にとって、帝国が同盟国でも何でもないからです」

「……続けてくれ」

「我が国と帝国は確かに軍事的に協力関係にありますが、しかし我々は積極的に協力しているわけではありません。協力しているにすぎないのです。尤も――それは帝国とて同じでしょう。無理やり領土を切り取った相手と本気で手を結べると考えるほど、帝国の外務当局はお花畑な頭をしていないでしょうから」

「つまり、いつでも手を切る準備は出来ており、そして諸邦連盟はそのタイミングがそう遠くないと判断したと」

「その通りです、大公殿下。だからこそ、我が国は貴国にこうして提案をしているのです。我々は貴国が侵略の犠牲になることを望まないと共に、帝国で起きるであろう騒乱によって無秩序な状態に陥ることもまた望みません。それに――大公殿下としても、我が国との軍事同盟は、帝国の干渉という前提を排せば歓迎するところであると、少なくとも私はそう考えておりますが」


 淡々と述べるリリーに、俺は僅かに唇を噛む。正しく彼女の言う通り諸邦連盟との外交関係、ひいては同盟締結は俺としても望むものである。しかし、国際社会における国家の行動に『慈愛』が介在することは基本的にない。国家は『打算』を以て動くものであり、つまり諸邦連盟が積極的にチザーレを支援せんとするならば、そこには何か裏があると考えるのが自然だろう。


「……確かに君の言ってることは概ね合っている。帝国が仮に崩壊すれば、我が国のような小国は風前の灯火だ。その上で貴国のような――列強が我が国を保護するというのならば、それは望みこそすれ厭うことはないであろう。しかし、それが故に疑問が残るのだ」

「疑問、でしょうか?」

「そうだ。例えば――カルニラはヴィルヘルムに保護されているが、その理由は帝位継承争いにおいて邪魔な俺を排除するためだと考えられている。つまり、大国が小国に安全を保障するならば、相応なを求めるのが道理だ。貴国がそれを求めない理由がどこにある?」


 俺はリリーにそう尋ねた。小国は大国の脅威にならぬがゆえに大国に保護されうる、というのは前世で聞いたことのある言説だが、しかしそれは小国が無償で大国に保護されるということを意味しない。この国が元々帝国の保護国となったのも、帝国軍と戦わずして臣従の意を示し、むしろ兵を出してそのヴィターリ半島攻略を助けたからである。


 リリーは俺の言葉に暫し沈黙を守った後、ゆっくりと口を開いた。


「……お見事です、大公殿下。当然、ただで貴国の安全を保障するわけではございません」

「やはりか。それで、諸邦連盟が提示する『条件』とは何だ?」


 再びの問いに、リリーは指を2本立てて応じる。


「2つほどあります。1つは――ピストリアとの合同、あるいは連合国家の形成です」

「ピストリア、か。当代大公の娘がよく執政している国だったな。合同というと、具体的には?」

「共同統治国、という形で大公殿下と――現在ピストリアで執政をされておられるマティルデ第一公女殿下の両殿下を共に君主として戴く、ということです」


 つまりは現在のアンドラ公国のようになるということか。俺が頷くと、リリーは二本目の指を立てながら更に説明を続ける。


「2つ目は――これはまだ我が国の内部でも意見が分かれているところですが、将来ほぼ確実に起きるであろう帝国内戦において、大公殿下には帝位継承者の1人として、我が国の後ろ盾の下で第三勢力として介入していただきたいのです」

「……は?」


 思わず俺は耳を疑ってしまう。帝国内戦に、第三勢力として介入する。つまり、ヴィルヘルムだけではなく――皇太子であるオスカーとも敵対する可能性があるということだ。そのような真似は、たとえ冗談であっても出来れば御免被りたいところではあるが――


 俺の問いかけに、リリーは真面目な表情で更に説明を続けた。


「極めて非礼なことを承知の上で申し上げると、殿下には我々の神輿となっていただきたいのです」

「それは、本気で俺を帝位に就けるのが目的なのか、それとも帝国内戦に対し介入する大義名分を得て、30年前に奪われたエガラント辺境伯領を奪還するつもりなのか、どっちだ?」

「……大公殿下のご慧眼には、感服するばかりでございます。当然、我らとて帝国をどうこうできるという自負はありませんし、何よりも現実がそれを許しません。あくまでも我々は現実的な範囲で利益を追求するつもりであり、その『利益』こそが奪われた旧領の奪還である、という話です」

「理屈は通っている。確かに俺の存在はいい大義名分になるだろう。しかし、はいそうですかとすぐに頷くことは出来ない」

「当然、理解しております。あくまでも此度は殿下に我々の意図をお伝えするために、こうしてお時間を戴いた次第でございます。本格的な話し合いは――カルニラを退けてから、ということで如何でしょうか」

「いいだろう。いずれにせよ、カルニラをどうにかしないことにはな」

「……殿下の、貴国の勝利を、心よりお祈り申し上げております。それではこれで失礼いたします。……私は暫くメディオルムここにおりますので、何かご用命がございましたら、お呼びくださいませ」


 リリーはそう告げると、恭しく一礼して会議室を後にした。それを見ながら、俺はソファに深々ともたれかかって、溜息をこぼす。


「帝国内戦への介入……?正気か」


 いや、予想できる未来ではあった。諸邦連盟に限らず、帝国の隣国はいざ内戦ともなれば旧領や係争地域へと手を伸ばすことは容易に想像できる。しかし――そのためにわざわざ帝位継承権者を神輿として担ぎ上げ、直接内戦に介入するというのは……


 ヴィルヘルムは俺が帝位継承に干渉するかもしれないと考えてカルニラをけしかけようとしているわけだが、実際に諸邦連盟が俺を神輿として――帝位継承そのものが目的ではないとはいえ――帝国内戦へと介入するとなってくると、瓢箪から駒、とはまさにこのことかもしれない。


「どうしてこうも、悩みばかりが増えていくんだ……」


 俺は頭を一度振ると、立ち上がって執務室へと戻った。

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