ラグーナにて
「隊長殿、反抗する民兵部隊を市街からほぼ掃討致しました」
「ご苦労、敵の兵力は?」
「貴族の私兵部隊がいくらか合流しており、数刻前には多方面から浸透襲撃が行われましたが問題なく撃退に成功しました」
「結構だ、引き続き防御戦闘を継続せよ。決して事前に決定した防衛線よりも外側へと進出することのないように再三徹底させよ」
「はっ!」
ハンスらが西部視察を行っている頃、ラグーナでは統領政府側の警備隊と反統領派の商人民兵による戦闘が激化していた。統領政府が反乱を宣言してすぐに反統領派はラグーナ各地で武装蜂起し、軍務府によって配備された各貴族の私兵部隊と合流してラグーナ市街の早期制圧を狙ったが、統領政府側は警備隊だけではなく事前に雇っていた傭兵部隊も繰り出して市街防衛を図り、市を5つの作戦領域に分け精鋭戦力を各領域へと集中投入することでバラバラに蜂起した民兵部隊相互の連携を阻止する作戦に打って出た。
統領政府側の目論見は成功し、民兵部隊は各個撃破され市街からの撤退を余儀なくされた。
「戦況はどうだ、警備隊長」
「……これは統領閣下。既にこのラグーナから閣下に刃向かう勢力は一掃され、我が部隊は全て健全に機能し、この都市を守るために動いております」
「そうか、分かった。カルニラ軍の手配の方はどうなっている?」
「そう遠くない内に、1個大隊が増援としてこちらに到着する手はずとなっています」
「それは良かった。我々が戦力を強化すれば、公国軍はますますこのラグーナから戦力を引き剝がしづらくなる。そうなれば、
警備隊長を務める男に対して、ラグーナ統領のダルクスは満足気に頷いた。彼が率いる統領政府は、公国政府によるラグーナへの介入が強化され、汚職や禁制品取引などが早かれ遅かれ発覚すると判断した段階で公国に対する反乱を決意した。
チザーレ侵攻の計画を進めていたカルニラとそのバックにいるヴィルヘルムと接触し、彼らのツテで傭兵を集め、カルニラ軍の派遣まで取り付けることに成功した。
カルニラ軍の侵攻と同調してラグーナで蜂起し、公国軍をラグーナに張り付け前線への兵力輸送を困難にする目論見は、それを予見していた公国政府が正規軍が投入されず民兵隊と私兵部隊のみでの対処を行うというアクシデントがありつつも、公国軍の後方を脅かすという戦略目的自体は現状達成されている。
「市街への被害はどうなっている」
「民兵によって一部の倉庫が襲われ、物資が流出する騒ぎがありましたが、すぐに鎮圧しました。それ以外では、市街への主だった被害は確認できていません」
「それは結構なことだ。傭兵隊の損害は?」
「アンジェリッチ中隊とフェルラッチ中隊が戦闘態勢に移行する前に民兵隊の奇襲攻撃を受けたこともあり若干の重傷者を出したものの、死者はほぼ出ておらず概ね想定の範囲内の損害です。港湾警備隊も同様の状況にあり、病院も現状十全に機能しております。今のところ特段の問題はありません」
警備隊長の返答に対してダルクスは再び頷く。状況は明らかに彼らに有利であり、カルニラ軍がどのような状況かは分からないが、収集しうるだけのチザーレ軍に関する情報は入手して彼らに渡している。質はともかくとして、量と情報において優位に立つカルニラ軍が、内戦で疲弊しているチザーレ軍相手に後れを取ることはまずないだろう。
ダルクスらラグーナ反乱軍からすれば、カルニラ軍がチザーレを制圧するまでこのラグーナを守りきれば、それだけで彼らの下に勝利が舞い込んでくるのだ。正規軍がラグーナへと投入される可能性は限りなく低い上、『念には念を』というファルツォーネ会長の意向によってラグーナに派遣されたカルニラ軍部隊が到着してしまえば、もはや公国政府にとってラグーナを落とすことは事実上不可能となるだろう。
警備隊長に対して激励の言葉を投げかけ、ダルクスはその場を後にし自らの執務室に足を向けた。
(人生とは数奇なものだ)
執務室で黙々と書類に目を通しながら、ダルクスは考えを巡らせていた。貴族の中では下から数えた方が早い男爵、それも他国の属国の男爵家とはいえ、貿易に適した要地に領地を持つダルクス家は元々裕福な部類の貴族であった。
そして重商主義政策を採るベランゼ大公の代になってからは、ダルクス男爵領が彼の目玉政策であったラグーナ港拡張の用地に選ばれ、周囲の接収された農村などを合わせた広大な用地に拡張された新たなるラグーナの
ラグーナは前大公の目論見通りケルキラ海における最大の貿易港として発展し、ダルクス家は巨万の富を築き上げるだろうと誰しもが予想した。しかし、カルニラのオルーロ港がそうであったように、ラグーナも発展するにつれその維持費が膨れ上がっていくようになり、また公国政府が『自立性強化』の名目でラグーナに対する補助金を削減し始め、ダルクス家の財政を圧迫し始めた。
ラグーナは貿易の活性化を促進するために特別税制が適用され、その税率は帝国商務省による許可がなければ公国政府ですら自由に動かすことが出来ない。そして貿易活性化による恩恵を受ける帝国はその税率を上げることに対して頑として首を縦に振ろうとしなかった。当然、税率引き上げによる利益増加という策に失敗したダルクス家は急速に追い詰められていった。先代の死去に伴ってラグーナ統領となったルチャーノ・ダルクスは、家の窮地を救うべく必死に頭を巡らせ――そして禁断の手段に手を出した。
正規の取引において自分の取り分を増やすことが出来ないのならば――
当初は正規品の一部を偽装して紛れ込ませるなどの方法で、小規模に行われていた禁制品取引は時が経つにつれ急速に拡大していき、盗品や戦争略奪品など正規市場での取引が難しい物品の取引を求める傭兵や海賊なども参入したことによってラグーナは清濁併せ呑む混沌とした街へと変貌を遂げていく。それは、最早ダルクス家やラグーナ港湾独立商業組合の手によって止められるわけのない負の連鎖の始まりだった。
それでも、補助金削減と引き換えにある程度の違法行為に目を瞑っていたベランゼ大公の時代はまだ良かったのかもしれない。しかし、黒い噂はいくら統領政府による情報統制が為されていたとしても必ずどこかから漏れるものなのだ。大公家のお家騒動とそれに伴うベランゼ大公の死去、そして新たな大公の赴任に伴ってラグーナを巡る情勢は急展開をみせる。
(あの小僧さえ来なければ……)
新たな大公、アルマニア帝室から送られたハンス親王は目敏くラグーナの持つ歪みを察知しただけではなく、大胆にも農商務府という役所を新たに形成し、この港湾都市にメスを入れんと試みた。
パンドラの箱と化したラグーナの秘密を守らんとする統領政府と、内政改革の総仕上げとしてラグーナ問題の決算を位置づけ、反体制派商人の組織化や特務機関の設置を通じてその闇を暴かんとする大公の闘争はこうして――ラグーナによる全面的な反乱という形で大一番を迎えるに至った。
「我が家の業とはいえ、まさか反逆者として歴史に名を刻むことになるかもしれないとは」
ダルクスは独り言ちた。最早そうする他なかったとはいえ、君主に対する反乱というのは中々に勇気がいるものだ。ましてや、新大公即位の農民反乱で首謀者とされた前宰相が処刑されたことが記憶に新しい中で反乱を起こすというのは、その可否を問わず蛮勇との評は避けられないだろう。
そう思案していると、ドアをノックする音が執務室に響いた。ダルクスは書類を捲る手をいったん止め、入室するように告げる。
「統領閣下、ファルツォーネ会長殿からすぐにお会いしたいと」
「すぐに行く、少し待ってくれ」
「かしこまりました」
執務室に入ってきたアモーレ秘書官が告げた言葉に対し、ダルクスはすぐに出立の準備を始める。あくまでも一商人組合の長に過ぎないファルツォーネに対して、統領たる自分が直接会いに出向かないといけないことにやるせなくなるのにはもう慣れた。
秘書官を伴って執務室を出る彼の後ろ姿は、どこか草臥れていた。
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