聖教会
クレアの来訪を告げる衛兵の言葉に、俺とライネーリ子爵は再び顔を見合わせる。最悪のタイミングとはまさにこのことだ。こんな話した後にどの面下げてクレアに会えばいいんだよ……
しかし『君の婚姻話をしていた』などとほざいて会うのを断るなんて論外である。ライネーリ子爵に目配せすると、彼もそれを理解したのか小さく首肯する。
「通してくれ」
俺がそう告げると、部屋の扉が開きクレアが入室してくる。彼女は室内に立ち入るなり部屋の空気を感じ取ったのか少し戸惑うような表情を見せ、俺とライネーリ子爵の顔を交互に見やる。
「……あの、どうかしましたか?何かあったんでしょうか?」
クレアは困惑した声色で俺に問いかけてくる。そりゃそうだ、部屋に入ったら男二人が何とも言えない気まずそうな顔をしていたのだから。さっきの話もあって俺はクレアの顔を見ることができず、つい視線を逸らす。
一方のライネーリ子爵もばつの悪そうな顔を浮かべていた。そのまま気まずい沈黙が流れるが、俺は意を決してクレアの方に向き直る。
「あー……すまない、ちょっと公女殿下に関することを話していたんだ」
「えっ、私のことですか?」
「いや、まぁ大した話ではない。子爵、そうだよな?」
「はい、大公殿下のおっしゃる通りです」
ライネーリ子爵が空気を読んで話を合わせてくれたことに内心感謝しつつ、俺は話を濁す。クレアも何かを察したようで、それ以上追及することはなかった。
「それで、公女殿下。俺に用事があるそうだが……何か大事なことでもあったかな?」
「いえ、用事と言うほどのことではないのですが……先に場所を移させていただいてもよろしいでしょうか。ここでは少々話しづらい内容なので」
「……?ああ、構わないが」
クレアが何を考えているのかよくわからないが、ひとまず彼女の言葉に従うことにする。ライネーリ子爵に目を向けると、彼は心得たという風に軽く首を縦に振った。
――――――――――
「……それで、公女殿――クレア。要件とは一体……?」
クレアを連れて外務府を出て、宮殿へと戻る。護衛兵に『しばらく人を入れないでくれ』と伝えてから、俺たちは応接室へと入った。俺は侍従官に茶を用意させると、彼女に話の続きを促す。
「いえ、大したことではないんです。実は私あてに法王聖下から書状が届きまして……」
「……我が国ではなく、君に?それはまたどうして」
「実は父は熱心な教会信者でして。本来は父に教会から『教義擁護者』の称号が与えられるはずだったのですが、その前に父が他界してしまったためその後継者である私に白羽の矢が立った、ということらしいです」
「なるほど」
俺は相槌を打ちながら考える。宗教と政治は、現代日本でこそ峻別されるべきとされているものの、この世界ではゴリゴリに関わっている。チザーレからオストヴィターリ帝国弁務官区を挟み南西に位置する法王領に座する法王を頂点とする聖教会はチザーレも含めた大陸諸国に教会と言う名の拠点を置き、疑似的な超国家的権力となっている。
前世とは違い帝国という巨大すぎる国力を持つ国家があるためか、大陸中を引っ掻き回すような大勢力にこそなっていないものの、アルマニア皇帝も聖教会の信徒であるためやはり権威は絶大だ。
教義擁護者というのは、多分ヘンリー8世とかその辺がもらった感じの奴だろう、多分。しかし、公女殿下を帝国領内を通った上で法王領まで行かせるとなると色々と手続きが必要なわけで、あぁこれはまた仕事が増えるな……
などと思案していると、クレアが少しはにかみながら口を開く。
「それで、あの……もし宜しければ、ハンスさんにも同行をお願いできないかと思いまして」
「……はい?」
「あ、もちろん無理にとは言いません。お忙しいのは私も承知していますので」
「ふむ」
俺は顎に手をやり、改めて考え込む。聖教会との繋がりは重要だし、一度法王聖下には会っておくべきかもしれない。しかし、大公と公女が一度に不在となると……などと考えたところで、俺は今までやってきたことを思い出す。俺がいなくても政治がちゃんと回るようにするために今までいろいろと頑張って来たわけだ。
旅行というわけではないが、少し留守にしてどれほど行政の非属人化が進んでいるのかをチェックするいい機会かもしれない。
「……わかった。ただ、今抱えている仕事がある程度終わってからになりそうだが、それでもいいだろうか」
俺がそう言うと、クレアの顔がぱっと明るくなる。そもそもなんで俺に同行をしてもらいたいのかが分からないのだが……まぁいいだろう。
「構いません。法王聖下からの手紙には具体的な日程も書かれておりませんでしたので」
「そうか。それなら良かった」
クレアはほっとした表情を浮かべた。まぁ、最近――と言うよりもこの国に来てから働きづめだったからな。たまの休暇もいいだろう、と思って俺は胸中で自分に言い聞かせる。
「それにしても、先程は何かあったんでしょうか?」
「……ちょっと君に喋るのは憚られる内容、ということだけ言っておくよ」
「……?」
クレアはいまいち釈然としないといった様子だったが、深く突っ込んでこなかった。
「用件は以上か?」
「えぇ、以上です。お忙しいところ、失礼しました」
「構わないさ」
クレアはソファから立ち上がると、一礼し部屋から退出した。
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