抑止力と、婚姻
「殿下、なんというか……その、お疲れさまでした」
「……ありがとう子爵」
ライネーリ子爵が気を使って声を掛けてくれる。大使との面談ではほとんど空気のようになっていた彼の方が恐らく疲れているはずだが、それでもこうして労ってくれるあたり本当にありがたい。
「しかし、このタイミングでいきなり帝国軍の再進駐ですか……。正直な話をすると帝国の意図を測りかねますね」
「……確かにそうだな」
俺はライネーリ子爵の言葉に首肯する。実際、今のタイミングで帝国がわざわざ軍をチザーレに再進駐させる意義が見出せないのである。チザーレは東部国境を除くすべての国境が帝国もしくはその傀儡国家と面しており、ラグーナなど貿易上の要衝となり得る港湾を持つとはいえ、軍事的にわざわざ駐屯させるうまみは乏しいのだ。
となれば実益上の理由ではないことが推測されるが、(経費の一部は地位協定に基づいてチザーレ側がかなりの割合を持つとはいえ)決して安くない費用を払ってわざわざ再駐留させなければならないような理由は……
「あっ」
「殿下、どうかなさいましたか?」
「……諸邦連盟」
そこで頭の中に浮かんだ疑問がすべて解消した。チザーレと東部国境を接する諸邦連盟は、帝国の準同盟国であり、諸邦連盟軍の
軍隊というのは、当然戦争になった際の国家の戦闘力であると同時に、平時において最も強力かつ分かりやすい『抑止力』である。現代でこそ抑止力の象徴は365日24時間いつでもどこでも攻撃することができる核ミサイルであり、近代の抑止力は大洋を遊弋する大艦隊や大空を征服する空軍であったが、そんなものがないこの世界において地上軍は最強の抑止力になる。
そして、その抑止力たる地上軍を他国に平和的に進駐させるというのは『ここは俺の勢力圏だ』と宣言するに等しい。侵攻を抑止するだけではなく、他の方法――例えば、経済的な進出などで勢力圏へ取り込もうとする他国への牽制をすることにつながる。
俺が諸邦連盟に接近しようとしているのを察知したと考えれば、このタイミングで再進駐を試みる理由に説明がつく。自国の勢力圏だと認識しているチザーレが諸邦連盟へとすり寄ることがないように、もしくは諸邦連盟がチザーレを取り込もうとする動きを抑止するために、再度帝国は地上軍をチザーレに進駐させようとしているのだ。
……というようなことをかいつまんでライネーリ子爵に伝える。話を聞きながら彼は納得したように何度も小さくうなずいていたが、俺が話し終えると首をかしげた。
「殿下の仰ることは分かりました。しかし……何故帝国は殿下の考えを察知したのでしょうか?」
「リーグ伯ら有力貴族が諸邦連盟との取引量を増加させていたのに目をつけられた可能性もあるが、恐らく直接的な疑念は……子爵、卿の就任時の挨拶から出たのではないかと俺は疑っている」
「私の就任挨拶、でしょうか?」
「軍務府・内務府・外務府・農商務府合同発足式典の時のだ。確か、卿は『外交の多角化』を宣言したと記憶している。あの場にはヘンネフェルト大使を始めとする帝国関係者が多くいた」
俺が脳内の記憶を手繰り寄せながら指摘する。外交の多角化は、それすなわち帝国からの勢力圏の離脱を意味すると取られても仕方ない。ライネーリ子爵も思い出したようで口を押さえて目を見開いていた。
「殿下、申し訳ありません。私が迂闊だったばかりに……」
「いや、卿の責任ではない。まさか帝国がここまでチザーレに固執するとは思わなかった。過ぎたことを後悔しても仕方ない。今するべきは再進駐に関する交渉をできるだけこちら側に不利でない条件になるようにこなすことだろう」
俺は肩を落とす彼をフォローする。まさか挨拶が政治的意味を持つことになるとは誰も予想できなかっただろう。……帝国関係者がいる場所であの発言をしたのは確かに悪手ではあるのだが。
俺の言葉を聞いたライネーリ子爵は「ありがとうございます、殿下」と顔を上げた。
「一先ず軍務府と財務府には話を通しておいてくれ。俺も臨席するつもりだから、なるべく早く頼む」
「承知いたしました」
ライネーリ子爵に指示を出し、俺は取り敢えず宮殿に戻って残りの業務を終わらせようと、迎賓室を出ようとする。それを見た彼が、慌てた様子で俺に問いかけた。
「殿下、その……つかぬ事をお聞きいたしますが、皇帝陛下からの親書の内容というのは……?」
「早く婚姻して子供を成せ、という内容だ。全く、誰も彼も同じことばかり俺に投げかけるのはやめて欲しいものだがな……」
俺はまだ(少なくとも肉体的には)16歳。前世日本なら婚姻可能年齢にすら達していないようなガキなのにも関わらず、こっちでは貴族の会合に出席するたびにそう言った話が持ち込まれる。もちろん俺なんぞよりもクレアへの求婚が圧倒的に多いそうだが、それでも辟易してしまう。
そこら辺の貴族から持ち掛けられたのならば適当に口を濁せば済む話なのだが、流石に皇帝陛下直々に持ち込まれたとなれば無視するわけにはいかない。久しぶりに顔を見せるのも兼ねて一度帝都に赴き、直接陛下に対して自分はまだそのような気はないことを説明しなければならないだろう。
「殿下のお世継ぎがいなければ公国は滅びてしまいます。そうなれば公国は帝国に併合されてしまうのはほぼ確実でしょう」
「……もうしばらく経ったから忘れているかもしれないが、俺は正当なチザーレ公家に繋がる者ではない。形式上フォルニカ家の養子として公家に入っているとはいえ、かつて
「殿下、そのように自嘲なさるのはお控えください。殿下は十二分に公国のために尽くしておられます。誰が殿下を簒奪者と謗るでしょうか。それに……」
そこまで言ってライネーリ子爵は口を噤む。
「それになんだ?申してみよ」
「いえ、あまりに差し出がましいことですので……」
「構わん。何か思うところがあるのであれば遠慮なく言ってくれ」
俺の催促に、ライネーリ子爵はしばらく逡巡する様子であったが、観念したように口を開いた。
「……確かに、フォルニカ公家の後継者はクレア公女殿下であることに間違いはありません。しかし、あくまでもこの国の君主はハンス大公殿下です。つまり、その……大公殿下と公女殿下が婚姻なされば、生まれるお世継ぎは公国の大公位とフォルニカ公家の継承権をそれぞれ大公殿下と公女殿下から受け継ぐことになり、問題は何もなくなるではないかと……」
「………………」
彼の言葉に、俺は何とか感情を押し殺そうとするが、そんな努力もむなしく肌はどんどん赤みを帯びていく。確か内乱の真っ最中にクレアと対面させられた時にも同じような話を、それも本人から切り出されたことがあるが、家臣から大真面目にその提案をされるとあの時とは別の意味で顔から火が出るほど恥ずかしいんだが!?
ライネーリ子爵はというと、彼は彼で俺の反応を見て「やっぱり言わなきゃよかった」みたいな表情をしてるし、俺はどう返せばいいのかわからず、そもそも真っ赤になった顔を冷ますのに必死で喋ることに意識が追い付いていないしで迎賓室が最悪に気まずい雰囲気に包まれた。
そのまま謎の膠着状態が迎賓室に出現して数分が経過したころ、ライネーリ子爵が意を決し口を開いた。
「殿下、その、申し訳ありませんでした……やはり申し上げるべきではありませんでしたね……」
「い、いや、卿の言うことは至極まっとうだ。しかしだな子爵、どう考えても俺は公女殿下に釣り合う人間ではないわけで……」
そんなことを言っていると、迎賓室にノックの音が響く。俺とライネーリ子爵は顔を一瞬見合わせたが、彼はすぐにドアの方へ向き直ると「どうした」と扉の外へと語りかける。
「ご歓談中失礼します。公女殿下がお越しです。大公殿下とお会いしたいとのことです」
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