帝国大使

「お待ちしておりました、大公殿下」

「すまない、待たせてしまった」

「いえいえ、滅相もありません。お気になさらず」


 役人に案内され外務府に赴いた俺は、一足先に迎賓室において訪問者に応対していた外務卿のライネーリ子爵と、訪問者である駐チザーレ帝国大使マヌエル・ドミニク・フォン・ヘンネフェルト男爵の2人に迎えられた。


 帝国大使。帝国領外において(主に友好国に)派遣される外交使節団の長であり、事実上の国外における皇帝陛下の代理人と言っても過言ではない人物。帝国の国威が故に派遣先でも隠然たる政治的権力を保持し、政治的事件に一枚噛むことも少なくない。


 要するにどういうことかというと、接受国(の元首)からすれば出来れば会いたくない、もしくは出張って来られない方がいい人物ということ。


 目の前にいるヘンネフェルト大使も例外ではなく、チザーレ大使になる前に大使を務めていた大陸東方のレトリア公国に於いて駐留帝国軍によるクーデターを手引きし、同国を帝国領内へと編入するための住民運動を扇動したともっぱらの評判である。


 そんなことを内心考えつつも、あくまで平常通りの表情を保ったまま俺はヘンネフェルト大使へと話しかける


「ご機嫌よう大使。それで何用でわざわざ俺を?瑣末な用事ならば外務卿レベルで済ませてくれと先に伝えたはずだが」

「瑣末ではない用事──というよりも外務卿閣下では裁決できない様子でおられたので殿下をお呼びいたしたまでです」

「……なるほど?」


 ヘンネフェルト大使の答えに、俺は僅かに眉をひそめる。外務卿レベルですら処理できない案件、ということは恐らく他の行政府の管掌を侵犯するような案件かあるいは――ということになる。前者ならともかく後者なら多分、いや絶対に面倒な案件であることは間違いない。


 そして、そういう時には悪い予想の方が当たるものである。


「詳しく聞かせてもらおうか、続けてくれ」

「かしこまりました。こちらを」


 そう言ってヘンネフェルト大使は1枚の紙を差し出す。俺はそれを受け取って中身を確認した。そこには帝国の紋章が入った蝋印によって封印された手紙があった。封を切って中の手紙を取り出して読み始める。


『東方戦役中撤兵していた帝国軍チザーレ駐留軍の再進駐について』


 その文言を見た瞬間、猛烈に大きなため息を吐きたくなった。想定しうる案件の中でも、最も避けたかった類のものが来た。


 そんな俺の思考を知ってか知らずか、ヘンネフェルト大使は淡々と話を続ける。


「そこに記されている通り、帝国軍務省より私の方に打診がありました。曰く、『駐留軍の再編成が完了した』と」

「内乱の時には引き上げていた駐留軍が、我が国を防衛するために再び駐留すると?随分と都合のいい話だ」


 チザーレ駐留帝国軍。それは、帝国の保護国としてチザーレの主権を制限する代償として帝国がチザーレへと駐留させた軍団であり、およそ4000名の歩兵と200騎の騎兵から構成されていた。平時のチザーレ正規軍を越える規模の駐留軍は前大公の近代化に大きな貢献したと聞いている。


 しかし、前大公死去によるチザーレ内乱の勃発時に駐留軍は当時帝国が東方の大国ワラシア貴族共和国と開戦した際に増援として前線に送られており、チザーレ防衛の任務を完全に放棄している。もっと言えば帝国軍自体は当時レゲンスバーグ公爵領軍なども含めた南部の帝国軍の殆どを東部へと送っておりチザーレに介入する余裕がなかったのは分かるが、チザーレの南にある帝国の植民地国家オストヴィターリ帝国弁務官区の守備隊は完全にフリーであり、一切の援兵を寄こさなかった帝国を俺はまだ許してない。


 そして戦争が終結して数か月経ったはずの今になって再進駐を申し出てくる。通常ならブチギレ案件だが、これで文句の一つも言えないのが保護国――いや属国の辛いところだ。


「その件については誠に申し訳ありません。帝国を代表して謝罪いたします」

「……大使が謝ってどうこうなる問題ではないが、まぁいいだろう。結局内乱は無事に収まった。今更そこを責めるつもりはない」


 俺がそう言うと、ヘンネフェルト大使が「滅相もありません」と深々と頭を下げる。


「だが、大使の言うように帝国軍が再進駐するとなれば、展開する場所や費用負担をどうするかなどを双方の軍務および財務当局間で協議する必要がある。これは当然のことながらこの場で決められることではない。後日改めて、双方の高官によって協議する場を設けるという意向を帝国にお伝え願いたい。それでよろしいか?」

「もちろんです。私もこの案件を専決することができる権限は持っていませんので、一度本国に持ち帰らせていただきます」

「ああ、構わない。それで頼む」


 ヘンネフェルト大使の返答に俺は頷く。面倒な案件だが、帝国からの一方的な押し付けではなく――形式的なものになるだろうとは言え――協議を受け入れる姿勢を引き出せたのは収穫と言っていいだろう。俺はそう考えて内心胸を撫で下ろした。


 しかし、ヘンネフェルト大使は俺は安堵する俺に『安心するのはまだ早い』と言わんばかりに言葉を紡ぐ。


「殿下、もう一件お耳に入れたいことがございます」

「……まだあるのか?一体なんだ?」


 思わず眉間にシワを寄せてヘンネフェルト大使を見てしまう。これ以上厄介なことは勘弁してほしいのだが……。


 そんな俺の心情を気に留めることもなく、ヘンネフェルト大使は懐からもう一通の手紙を取り出して机の上に置いた。


「これは?」

「皇帝陛下御自ら、殿下へお渡しするようにと。皇帝陛下の玉璽にて封緘されているゆえ、私も中身までは……」

「……分かった。見よう」


 俺は手紙を開封して中に入っている手紙を取り出して目を通す。そこには達筆な文字で書かれた手紙があった。


『親愛なるハンスへ。汝が異国の地にて民草を想い奔走していることは聞き及んでいる。朕は汝が帝国の外へ出てもなお我が帝国のために尽力してくれていることに嬉しく思う。一刻も早く成長した姿を朕に見せてほしいと願うものである。さりとて、そろそろ本題に入ろうと思う。今や汝は一君主である、そして君主の使命の第一は世継ぎを儲けることにある。故に、朕はそなたが早く妻を娶り子を成すことを切望するものである……』


 そこまで読み進めて、俺は手紙を読むのをやめた。なんでそういう話が次から次へと舞い込んでくるんだ?


「……大使、皇帝陛下には『近々帝都へと赴く』とだけ伝えておいてくれ」

「かしこまりました」

「用件は以上か?」


 流石にこれ以上はお腹いっぱいだと暗に示しながら問いかけると、ヘンネフェルト大使は首を縦に振った。


「はい、以上でございます。わざわざ殿下に足を運んでいただいたことに感謝いたします」

「構わん。むしろ大使の方こそご苦労だった。下がってよい」

「失礼いたします」


 ヘンネフェルト大使は俺に一礼すると執務室から出て行く。俺は彼が退室するのを見届けた後、ライネーリ子爵が同席しているのにも関わらず盛大にため息を吐いて椅子の背もたれにもたれかかった。

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