マルチタスク

 ボルジア伯とバルトリーニ博士を見送ると、俺は執務へ戻る。ラグーナの問題は確かに深刻だが、だからと言ってそれにかかりきりになるわけにはいかない。管掌分野というものを持たない君主という存在の辛いところである。


 執務室へと戻り、俺は決裁するべき書類や、指示すべき事柄などを片づけていく。


(行政改革は一先ず片付いた。そうなれば次は議会改革か軍制改革か……いや、地方制度も見直したほうがいいか……)


 書類に筆を走らせながら、俺は頭の中で今後の課題を整理する。まだまだやることも多い。


 政治改革というと一般的には政府機関のスリム化や効率化といったいわゆる行政権に関わる部分の改革、要するに『行政改革』にスポットライトが当てられがちだが、実際には立法権に関わる議会改革や司法権に関わる司法改革、政治とは少しずれるが政治と密接な関係を有する軍隊に関わる軍制改革、さらには地方制度に関するものなどその内容は多岐にわたる。


 財務・外務・内務・軍務・農商務の5府による官僚制が整えられ、ある程度軌道に乗り始めたことは喜ばしいことではあるが、それはあくまで『行政改革』の範疇の話。前大公によって全ての権限が中央政府、ひいては大公に集中するようになった専制主義国家――あるいは体のいい独裁国家とも言う――であったチザーレを根本的に変える改革はまだ一里塚を通過したに過ぎない。


 尤も、大陸における君主制国家はどこも大概変わりはないのだが。諸邦連盟は各諸侯の自主権が強く一種の地方自治が行われているが、あれは国家の形成過程において各諸侯が結んだ同盟が発展して出来上がった事実上の国家連合体であるが故の特色であり、必要が連盟の政治体制をそうさせたにすぎない。


 もちろんそうである理由には納得している。前世のように主権国家体制やそれに基づく相互平和が確立されているわけでもなく、かといって封建時代のような超国家的権威が国家間の対立を調律しているわけではないこの時世において、行政・司法・立法・軍事のすべての権力を中央政府が統括する中央集権的な統治機構がなければ国家は安心して統治を行えない。


「多分に理想的、か」


 俺は独り言つ。前世の民主主義国家で主流となっているのは身分に関わりなく選抜されたエリートによる官僚制・普通選挙権による議会制度・独立した裁判所・志願制あるいは徴兵による国民軍。官僚制はともかくとして、それ以外は恐らく時代に逆行するものだろう。実際、俺の思い描く国家像が裏でそう言われていることも知っている。


 しかし、それでも前に進まなければならない。一歩ずつでも、確実に。


「内務卿を呼んでくれ」

「かしこまりました。殿下」


 俺の指示を受け、秘書官の一人が部屋を出ていく。しばらくしてから、扉の外からノックの音が響いた。


「殿下、内務卿をお連れしました」

「ああ、入ってもらってくれ」


 扉が開かれ、内務卿であるリッツィ子爵が入ってくる。彼は入室するなり、恭しく礼をした。


 内務府はざっくり言えば内政に関する事項を所管する機関である。治安・保健衛生・社会保障・地方行政などを司り、国全体の運営に密接に関わっている。


 ……のだが。それは現代国家における話であり、中近世ヨーロッパ的なこの世界においてはぶっちゃけ役割が薄い。そもそも公衆衛生とかいう概念が殆どないし、社会保障とかナニソレオイシイノ?状態である。地方行政はそもそも為されていないか中央から派遣された総督に権限丸投げしているかの二択なのでわざわざ中央政府が介入する余地はない。治安活動も殆どの場合軍が兼務するか各領地において組織される自警団的な警備隊が各々で行っている。


 しかし、そういった状況はぶっちゃけ非効率的であり、特に警察活動を中心とした治安活動が各領地において異なる基準によって行われていることは領土間の不平等を生みかねない。


「いきなり呼びつけてすまないな。警務局の運営はどうなっている?」

「はっ。各領地の警備隊から人員を集めて、現在その規模を拡大中です。……まだ人手不足ですので、今しばらくは増員が必要になりますが」

「そうか。一先ず公都に配備する部隊については急いでくれ」


 俺の言葉に、リッツィ子爵が首肯する。内務府を設置したついでに、それまでバラバラであった治安業務を公国政府が引き受け、全国的な統一運用を行うことにしたのだ。司令部として内務府傘下に公国警務局を設置し、その下にメディオルムや――現状だと恐らく無理だが――ラグーナといった大都市に置く都市警務部および各領地に設置する領地警務部などの下部組織を設置する予定である。


 とはいえ、統一的な法体系などが全く整備されていないため公国警務局は行政警察、要は犯罪の取締りというよりは公共秩序の保持と警備が主任務となる。ゆくゆくは憲法を始めとした近代的な法体系も整備していきたいのだが……


「……で、だ。話は変わるが、内務府の権限においてやってほしいことがある」

「と、言いますと」

「地方の各領地を統合し、より大きな行政単位を設置したい。そのために、各領地の領主への説明や適正な地方行政を行える広さの調査を内務府に任せたい」


 公国政府が改革を進めているとはいえ、その政策に全ての領主が従っている保証はない。旧保守派の支配地域やチザーレ5伯を始めとする政府中枢の貴族の領地ならいざ知らず、地方の小貴族領では政策を無視した動きをしているところもあるだろう。そういった動きを監視し、中央政府の政策を地方の隅々にまで行き渡らせるためにも地方に中央政府の出先機関を置くことは必要だ。


 かつてのアケメネス朝は王の目と王の耳を置き地方領主を監視し、帝政ローマでは属州総督が、中国王朝は観察使がその任を負った。勿論出先機関が現地軍と結託して軍閥化するリスクもあるが、小国であるチザーレ公国においてはそこまで心配する必要もないだろう。


「それは、帝国のように総督を任命するということでしょうか」

「少し違う。帝国の場合は総督領においては総督が絶対的な権力を委任されている。しかし、この度設置する――そうだな、仮に『知事』と呼ぶことにしようか。知事はあくまでも内務府の役人であり、その指揮監督下において内務府中央から委任された業務を行わせる」


 分かりやすく言えば戦前の日本の知事制度のようなものだ。本当のことを言えば民選の方がいいと思うのだが、流石に直接民主制はこの時代に早すぎるので、内務府が選任し俺を含めた上層部がチェックして大丈夫だとされた人材を派遣する方式にしようと考えている。俺の説明を聞いたリッツィ子爵は、顎に手を当てて思案する素振りを見せた。


 流石にいきなり言われてもすぐに理解してもらうのは無理かと考えていると、リッツィ子爵は口を開いた。


「……なるほど。そういうことならば喜んでお受けいたします。早速、その方向で準備に取り掛かります」

「ああ、頼む」


 持つべきものは呑み込みの早い部下である。俺は内心で感謝しつつ、今後の予定、そして内務府にしてもらいたい具体的な準備について簡潔に話した。リッツィ子爵は時折質問を挟みつつ、俺の話に耳を傾けた。


「すべて了解しました。それでは殿下、失礼いたします」

「あぁ、よろしく頼む」


 十数分後、説明を終えるとリッツィ子爵は一礼して退出していった。内務卿がいなくなった執務室で、俺は小さく息を吐く。


(一先ずこれ地方行政の足掛かりは出来たな。次は軍制改革か議会改革か……)


 一度大きく伸びをしてから、再び机に向かう。まだやることは山積みなのだ。そんなことを考えていると、再び執務室にノック音が響いた。


「殿下、失礼します。外務府の方がお越しです」

「通してくれ」


 入ってきたのは外務府の役人だった。彼は恭しく頭を下げると、すぐに用件を切り出した。


「殿下、外務府に帝国大使が来ております。殿下とお会いしたいとのこと」

「……帝国の大使が?分かった、すぐに向かおう」


 俺はすぐに立ち上がり、執務室を出た。

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