一触即発

 ハンスがヘンネフェルト大使やライネーリ子爵らと会談から数日後、公都メディオルムから遠く離れたラグーナに位置する港湾統領官邸では一触即発の空気が流れていた。


「何度も言っているように、ここラグーナは完全な自治権を認められた地。いくら大公殿下のご命令と言えど、この自治権を侵すことは許されません」

「……自治権の意味を勘違いされては困りますな、男爵閣下。ここはチザーレ公国の主権の下にある場所であり、あくまでもその自治権は大公殿下による恩寵の下に成り立っているということは貴殿も理解されているはず」


 広大な官邸に設けられた応接室の中で、二人の男が睨み合う。一人はこの地を表面上統括するラグーナ港湾統領のダルクス男爵、そしてもう一人はチザーレ大公ハンスの命を受けて派遣された軍と農商務府の合同査察部隊を率いる農商務府税務局のガリーニ局長。


 茶が注がれたカップが2つ、テーブルの上に置かれているがどちらも手を付けられる気配はなく、部屋の中にその香りを漂わせるだけの代物と化していた。


「誤解されているのはそちらの方だ。自治権が公国政府の干渉を排するものであるというのは他ならぬ先代大公との約束。もし疑われるというのならば先代大公直筆の書状をお見せしても良い」

「結構。偽造されたかも分からぬ書状など、こちらから願い下げだ」

「……!」


 ガリーニの言葉に、思わず憤怒の形相になるダルクス。だが、すぐに冷静さを取り戻すと小さくため息をつく。


「そう言われてましてもな。事前の通告もなく突然査察部隊を送り込むなど、こちらとしても許容できることではない。申し訳ないが今回はお引き取り願いたい」

「では統領府およびその関係者への調査今回は見送ることとしよう。……次はないと思っていただきたい」


 ガリーニはそれだけ告げると、席を立ちそのまま退出する。その背中を見送った後、ラグーナ港湾統領であるダルクスはこめかみを押さえ、静かに呟いた。


「……この地に手を出そうというのなら、たとえ大公でも容赦はせんぞ……」


――――――――――


 統領官邸を退出したガリーニは、外に待たせてあった部下たちを連れてその場から離れ、別行動をさせていた者たちと合流する。


「統領官邸まで行ったが、統領ドージェは自治権を盾にだんまりで、何の成果も得られなかった。そっちはどうだった?」

「港湾独立商業組合を当たりましたが、ロレッタ代表ら幹部陣は知らぬ存ぜぬと言った様相です。汚職の件についても匂わせましたが、特に反応はありませんでした」

「そうか……予想はしていたが、これは難儀な仕事になりそうだ」


 統領府と並ぶラグーナの中枢機関である港湾独立商業組合に向かわせていた部下の報告に、ガリーニは渋面を作る。先代大公の庇護下にあったとはいえ、相手は事実上の独立国として長い間権勢を縦にしているのだ。単に国の役人がやってきたからといって『はいそうです』と首に縦に振らないことくらい、彼らとて理解していた。


「……中央を叩いても尻尾を出さないなら、周りから攻めていくしかない」

「と、言いますと?」

「少なくともこの体制が維持できているからには、末端の商人にも多少の利益は回っているだろうが、この歪んだ体制を破壊すれば末端の商人に期待される利益は増幅する。彼らを根気強く説得して、集団で中央を叩くしかあるまい」

「汚職が常態化しているなら、望まぬ汚職――営業許可に伴う上納金の強要なども横行している可能性もあります。確かに末端の商人から味方に付けるのは確かに有効な策だと思います」


 ガリーニの言葉に、部下は首肯する。汚職と言っても、自らの昇進や便宜の供与などといった自らの利益を増幅させるための汚職だけとは限らない。部下が例に挙げたように営業許可の取り消しを防ぐためなどといった自らの身を守るために贈賄をする者もいる。


 ラグーナの歪んだ体制を崩せば、彼らはそういったしがらみから解放される。自由競争である以上、彼らの利益の確実な向上は確約できないものの、少なくとも期待値としては向上することはほぼ間違いない。


「そのためには、わざわざこのように公都からやってくるのは手間がかかる。バルトリーニ長官に掛け合ってラグーナ近郊に出先機関を設けてもらうとしよう」

「この査察部隊を常設化するということですか?」

「……そうなるな。しばらくメディオルムからは離れることになるだろう」


 ガリーニのその言葉に、その場にいた全員が顔を引き締めた。


――――――――――


「以上が今回の査察に関する報告となります」

「……流石に一度探るだけで尻尾を出してはくれないか」


 査察部隊が帰還した後、ハンスは執務室でバルトリーニ博士より受け取った報告書を眺めながら小さく嘆息する。上層部は自治権を盾に口を閉ざす一方で、恐らくこれ以上つついても何も成果を得られないことを悟ったからだ。


「それについてですが、査察部隊のガリーニ税務局長より常設の出先機関の設置の提案が」

「ほう?」

「彼の言によれば、上層部をいくら叩いたとて大した効果は見込めず、むしろ下層――ラグーナの体制によって少なからず不利益を被っている末端の商人を味方に付けるべきとのこと。そのためにも、ラグーナに常設の出先機関を設け、彼らとの接触に有利な状況を整えるべきだと」

「なるほど、悪くはない提案だ。しかし――あの統領ドージェが、公国政府の出先機関の設置を素直に認めるだろうか?」


 バルトリーニ博士に対して俺は疑義を呈した。確かに公国政府の出先機関をラグーナに置くことが出来れば、調査の効率は段違いに良くなるだろう。しかし、相手は『自治権』を楯に黙秘を貫いているような輩だ。当然、出先機関の設置に関しても『自治権への干渉』という理由で猛烈に抵抗するであろうことは容易に想像がつく。


「その可能性については農商務府の方で既に検討しております。直接ラグーナに設置することは恐らく不可能ですが、ラグーナ近郊――我々の計画においてはラグーナに隣接するエピファーニ男爵領に出先機関を設置し、そこを拠点にしながら少しずつラグーナへと迫るのが良いのではないかと」

「そうか。ならばその方向で話を進めてくれ。……管轄は農商務府なのか?」

「そのつもりですが、場合によっては内務府や財務府の協力も必要になってくるかもしれません」

「承知した。一度それについて各府の議論の場を設ける。それに向けて農商務府内でも意見をまとめておいてくれ」

「了解しました」


 俺の言葉に小さく一礼するバルトリーニ博士はそのまま執務室を退出していった。その後姿を見送った後、俺は小さく息を吐いた。

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