大きな犠牲、小さな犠牲

「チザーレ軍め、何故戦わない……敵が軟弱であることは喜ばしいことだが、ここまで手応えがないと却って癪に障るぞ!」


 チザーレ東部、国境沿いの平原にて。カルニラ軍先鋒部隊を率いるヴァルト大佐は苛立ちを隠さずにそう呟いた。彼の指揮に服する部隊はチザーレ軍国境警備隊を易々と退け、チザーレ領内を進撃している。表面上は、順調そのものと言ってよかった。


「大方領内へと引き込み、住民を巻き添えにして我々を攻撃するつもりなのでしょう。チザーレの大公は温情的と聞きましたが、その評にまるで似合わぬ戦争指導ですな」

「そうだな。一刻も早くこの地の民を『解放』してやらねばならぬ」


 傍らに控える、傭兵上がりの彼の副官の言葉に、ヴァルト大佐は深く頷いた。彼はこれまでの人生で、宮殿と軍駐屯地、そして前線以外の場所を知らずに育ってきた。市井のことなど知ることもなく、また知ろうともしなかった。


「うまく戦果を挙げれば、侯爵閣下は『カルニラ領チザーレ』の統治を大佐へとお任せになるやもしれませんな。そうなれば、侯爵閣下の後継者としての大佐の地位は盤石のものとなる」

「……そうだな。そのためにも、速やかに敵の主力を叩き、これを壊滅させなければならぬ。全軍に行軍速度を速めさせよ。いつまでも逃げおおせることは不可能であるということを、敵に思い知らせるのだ」

「はっ。速やかに伝達いたします」


 そう言って副官は部下を呼び、行軍速度を速めるようにと指示を出した。


――――――――――


 カルニラ軍第10近接歩兵大隊隷下、マグエス・ライトーナ・アンゲラー大尉が指揮する第113歩兵中隊は国境地帯の平原を越え、海岸沿いの街道を西進していた。


「大尉殿、斥候が前方にチザーレ軍の砦らしき造営物を発見したとのこと」

「了解した。一旦進撃を停止し、すぐに大隊本部へと連絡。後続の中隊の到着を待ってから、その砦へと攻撃をかける」


 部下からの報告に対し、アンゲラーは答える。国境を越えて数日、戦らしい戦と言えば国境警備隊との交戦のみであり、兵士たちの士気は低下していた。道中の村々も既に人はおらず物資は空という有様であり、軍紀の乱れが少しずつ現れ始め、中隊本部は対応に追われていた。


 そんな中での敵の砦の発見である。砦ともなれば恐らく物資は備蓄されているだろうし、敵との戦闘ともなれば否が応でも士気は高揚するだろう。大隊本部に敵拠点発見を知らせる伝令兵を送り、アンゲラーは大隊からの増援を待つことにした。


「第108歩兵中隊と第92歩兵中隊が到着しました。我が中隊を先鋒に、砦への攻撃を開始せよとの命令が」

「承知した。これより敵拠点への攻撃を開始する。我が中隊の勇猛さを敵兵どもに見せつけてやれ!」

「はっ、承知しました」


 砦発見から1時間後に後続の2個中隊が到着し、カルニラ軍第10近接歩兵大隊はチザーレ軍が籠る砦への攻撃を開始した。


――――――――――


 砦を攻めるカルニラ軍3個中隊に対し、砦を守備するチザーレ軍は僅かに50名ほどの兵力しか有しておらず、カルニラ軍は僅か十数分で砦の中へと突入した。


「大尉殿、砦内部に籠る守備隊主力の抵抗が激しく、突入部隊にかなりの損害が。東門から突入した第108歩兵中隊から増援要請が届いています」

「……そんな余裕はない。むしろこちらが増援を欲しいほどだ!」


 意気揚々と突入したカルニラ軍は、チザーレ軍が内部に構築していた罠によって大損害を被っていた。通路という通路に撒かれた油に足を取られて転落する兵士、そもそも城砦ですらなく突入した敵兵を圧殺するために構築された偽装建造物、そして何よりも砦内部に設けられた地下通路によって神出鬼没に出現するチザーレ兵。


 チザーレ兵は助からないと判断すると既に油を塗布している軍服に自ら着火して敵兵の集団に飛び込むという戦術を取った。これによって木製の橋が焼け落ち、橋上のカルニラ兵が落下死するなど、カルニラ軍の損害を拡大させることになった。


 想定外の損害にカルニラ軍は混乱していた。第10近接歩兵大隊は徴兵された農民による部隊ではなく、志願兵によって構成された部隊であり、その精強さを期待されて先鋒として選ばれた部隊であったが、そのために各指揮官は兵力の損失に衝撃を覚えていた。


 しかしそれでも、大隊本部から2個中隊の増援を受け取ったカルニラ軍は兵力差に物を言わせてチザーレ兵を掃討していき、2時間ほどの戦闘の末に砦を陥落させた。そこまで広くもない砦の内部には、ほぼ全滅したチザーレ兵の死体と、その2倍以上のカルニラ兵の死体、倒壊した建造物の瓦礫や使い物にならなくなった武具などが転がっていた。


「……我が中隊の損害は」

「建造物の倒壊に巻き込まれた第5小隊は小隊長も含めてほぼ全滅、他の小隊も損害を受けており、死者58名、治療が必要な負傷者は46名です。他の中隊も似たようなものと聞いています」

「……そうか。大隊本部へと報告せよ」


 陥落後の砦本部に足を踏み入れ、部下からの報告を聞いたアンゲラーは深くため息をつく。戦闘前の第113歩兵中隊の定員数は170名。死者と重傷者を合わせて100名以上の損害を出した状態は戦闘能力をほとんど失ったに等しい。他の部隊も同じような損害だと仮定すると、1個中隊程度のチザーレ軍守備隊に対して、カルニラ軍は500人近い死傷者を出したことになる。


 砦を陥落させたとはいえ、大敗北と結論付けてもいい結果であった。砦の中の物資が残されていたことは不幸中の幸いであったが、第10近接歩兵大隊は後方から兵力の補充を受けなければ、戦闘能力の回復は望めない状態であった。


「……たった100人程度のチザーレ軍に対してこの体たらく、どう責任を取るのだ!」

「申し訳ありません、少佐殿。我々の不徳の致すところであります」


 大損害の報告を受けた大隊本部からやってきた大隊長の怒号が響く。アンゲラーら各中隊長は、ただ平身低頭して謝罪の言葉を述べることしかできなかった。大隊長は更に罵声を浴びせようとしたが、それは大隊長付きの副官が静止した。


「大隊長殿、彼らをこれ以上𠮟りつけても状況は改善しません。今後の方針を話し合いましょう」

「……そうだな。少なくとも現状では我が大隊はまともに戦うことすらままならん。ヴァルト大佐の方針に反することになるが……この砦を修復し、負傷者の回復と兵力の供給をはかるものとする。各中隊は損害が軽微な第92歩兵中隊に兵力を提供し、周辺の警戒監視に当たらせよ。私は大佐へ報告に向かう」

「……了解しました。ではそのように手配します」


 副官の言葉に、大隊長は頷きを返す。そのまま踵を返そうとしたところで、部屋の中に伝令兵が現れた。息を切らした様子であり、部屋の中の一同が怪訝な視線を向ける。


「いきなりなんだ、無礼であるぞ!」

「た、大変な無礼であることは重々承知しております!しかし、直ちにお知らせした方が良いと思い、参上しました!」

「何があったんだ。話してみろ」


 大隊長の言葉に、伝令兵は呼吸を整えてから口を開いた。


「補給物資に罠が仕掛けられており、物資から火の手が!」

「何!?」

「通路に撒かれた油などや燃料用の炭などに火が広がり、被害が拡大しております!」


 窓の外には、地獄を上書きせんといわんばかりに黒煙が上がっていた。

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