艦隊、東へ
「首席弁務官殿、失礼いたします」
「……テレーネ大佐か。よく来てくれた、そこにかけたまえ」
チザーレ政府がラグーナの反乱鎮圧のために民兵隊を組織し始めた、ちょうどその頃。オストヴィターリ帝国弁務官区の事実上の首都に当たる港湾都市アンコーネの中心部に位置する首席弁務官府に、帝国海軍オストヴィターリ駐留艦隊司令官のアントン・フォン・テレーネ大佐は呼び出されていた。
オストヴィターリ駐留艦隊はティレニア王国海軍や諸邦連盟海軍などを仮想敵とし、ケルキラ海における帝国権益の保全のために組織された、戦列艦2隻を基幹とする13隻の軍艦とその他の補助艦艇から構成される艦隊である。
「率直に用件を言おう。大佐、貴官には駐留艦隊を率いて速やかにアンコーネを離れて欲しい」
「……唐突な話ですね。理由をお伺いしても?」
テレーネは目の前に座る人物、弁務官区のトップであるハインリヒ・フォン・ラーン首席弁務官の顔をちらりと窺う。海軍を動かすというのは、陸軍のソレとはまるでかけなければならない労力が違う。航海計画を立てるだけでも一苦労、更にそれを実行に移すために船と人を手配しなければならない。
そう言った思いを込めたテレーネの問いに対して、ラーン首席弁務官は口を開いた。
「もはや言葉にするまでもないと思うが――この地は、現在制御不能なレベルでの混沌に陥っている。そのことは、貴官とて承知しているだろう。つい先ほども、南のゼルニアが『救国反乱軍』を名乗る武装勢力に占拠されたという報告が入ってきた。さらに
「……それについては、重々承知しております」
ティレニア王国による軍事行動によって治安部隊が不足する中で、駐留艦隊は所属する海兵を中隊規模で組織して暴動鎮圧に投入せよという命令を植民地軍司令部から受け、実際に現在もその任務に就いていた。テレーネを始め艦隊首脳部は艦艇要員の治安維持投入に強く反対したが、まさに目の前に座る首席弁務官らによる圧力を受けた結果であった。
若干の怒りを込めた目線をテレーネはラーン首席弁務官に向けた。
「……少し話は変わるが、東隣で"火事"が起きたことは知っているかね?」
「チザーレとカルニラが開戦したことは聞き及んでいますが。帝国政府が不義理にも不干渉を選択し、それを我らに強要したことも」
「それもそうだが――チザーレの港湾都市であるラグーナが公国政府に対して反乱を起こした件のことだ」
「……ラグーナが?なぜ港湾都市が反乱を」
テレーネは思わず耳を疑った。チザーレは自前で海軍を持たないが、ラグーナ港は軍港としての機能も有しており、テレーネも何度も寄港したことがあった。その際に『チザーレ大公はラグーナに対して全面的な援助を行っており、公国政府との関係は極めて良好だ』との話を耳にしていただけに、首席弁務官の言葉は全くの寝耳に水であった。
テレーネが怪訝な表情を浮かべているのを見たラーン首席弁務官は、彼の混乱を宥めるように説明をし始めた。
「私も詳しい事情は了解していないが――帝国から遣わされた当代の大公が、ラグーナの汚職を暴こうとして関係が悪化したと聞いている。亡くなった先代の大公の保護下で、相当な不正や犯罪行為に手を染めていたようだからな。その結果として、カルニラの侵攻に乗じて反乱を起こした、とのことだ」
「……なるほど、事情は理解しました」
「そして、話を聞く限りどうにもチザーレ大公は反乱鎮圧に苦心しているそうだ。チザーレ軍の主力はカルニラに釘づけにされており、ラグーナの反乱鎮圧に割けるだけの兵力は無いと」
そこまで言われ、テレーネはラーン首席弁務官が言わんとするところを理解した。
「……我が艦隊をラグーナに移動させろと」
「その通り。帝国政府は"カルニラとの戦争における"かの国への干渉は禁止しているが、"反乱鎮圧のための"兵力供与ならば何も言えまい」
「そのような小手先の手が通じるとは、とても思えませんが」
「どうせ本国の情報機関は今は動けない。オストヴィターリ駐留艦隊は『通常の航海計画に従って航行中、補給のためにラグーナ港へと寄港。その際当地では公国政府に対する暴動が発生しており、艦艇搭乗要員は自衛のために反乱軍に対して反撃を行った』という筋書きにしておけば、少なくとも表面上は問題にはならない」
ラーン首席弁務官のその言葉に、テレーネは沈黙で以て同意した。しかし、その真意を測りかねているテレーネの疑問を感じ取ったのか、ラーン首席弁務官は言葉をつづけた。
「なぜそんなことを、とでも言いたげだな、大佐」
「その通りです。首席弁務官殿は、いったい何をお考えなのですか?」
「……さっきも言ったが、この国は、遠くないうちに内戦に巻き込まれる。そうなった際に、我々は極めて不利な立場に置かれるだろう。
そこまで言われて、テレーネは気づいた。その意味に対して心底侮蔑の意を込めながら、彼はラーン首席弁務官に対して吐き捨てる。
「『実績作りをしろ』、と」
「その通りだ。どちらにせよこのまま内戦が勃発すれば、貴官らとて無事では済まないだろう。駐留艦隊も接収されてしまう可能性もある。それに比べれば――非常に良い未来を描けるものと私は考えているが、ね」
「……首席弁務官殿のご意向、よく理解いたしました。すぐに艦隊司令部に向かい、準備をさせます」
「話が早くて助かるよ、大佐。手配が必要なものや人足があればすぐに言ってくれ給え」
「心得ております。……では失礼いたします」
わざとらしく一礼をすると、テレーネは首席弁務官室を辞した。その顔には、諦観と決意が滲んでいた。
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