公爵からの使者
「……差し出がましいことを言ってしまいましたね」
会議室を出て、執務室へと戻る道すがら。隣を歩くクレアが不意にそんなことを言う。
彼女の表情を窺うと、どこか申し訳なさげな雰囲気が漂っていた。先程の会議で、クレアの意見は非常に的を射たものであったし、全く気に病む必要はないと思うのだが。俺はなるべく彼女を安心させるような声音を意識して言葉を返す。
「そのようなことはない。公女殿下のお言葉がなければ、民の負担について我々も気付かないままだったかもしれない。感謝している」
「少しでもお役に立てたなら幸いです。しかし……やはり私は、まだまだ未熟なようで」
「そう気に病む必要はない。何事も経験を重ね、学んでいくものだ」
「そう言っていただけると助かるのですが……」
クレアはそう言って顔を伏せる。俺が言えたことではないのだが、彼女も彼女で大概自分のことを卑下するタイプだ。いつしか看病しに来てくれた時に励ましてくれたのを考えると嘘みたいだが、話を聞く限りあの時の彼女はかなり勇気を出していたようだ。
そのまま話をしながら歩いていると、傍らから侍従が歩み寄ってきて耳打ちをする。
「殿下、ロレンス公爵の使者と名乗るものが殿下との面会を求めております。公爵閣下の印がある身分証明書も所持しており、国境警備隊からも確認が取れているため本物だとは思われますが、如何いたしましょう」
「従兄上からの?……ふむ、すぐに会おう。応接室に通してくれ」
「承知いたしました」
侍従は恭しく頭を下げて立ち去って行く。俺はクレアに向き直り、口を開いた。
「公女殿下、すまないがここで失礼する。来客のようだ」
「分かりました。……会議に同席させていただき、ありがとうございました」
「……気にしなくてもいい。それではこれで」
深々とお辞儀をしてくるクレアに別れを告げ、俺は賓客と会うための応接室へと向かう。既に応接室には侍従が待機しており、彼らによって衣装を整えられたりしながら来客を待つこと十数分。
『殿下、失礼いたします。ロレンス公爵閣下からの使者をお連れ致しました』
「通してくれ」
やがて扉がノックされ、衛兵に先導された1人の男が部屋に入ってきた。年齢は見たところ30手前、といったところだろうか。絹のように滑らかな茶髪と身に着けている衣服の仕立ての良さが目を引く。彼は入室すると胸に手を当て、軽く一礼した。
「お会いできて光栄です、ハンス大公殿下。私はレゲンスバーグ公爵領渉外担当官のハインリヒ・エドガー・フォン・ツヴェルスと申します。この度はロレンス公爵閣下の名代として参りました」
「遠路遥々よくぞ参られた。従兄上は元気だろうか?」
「はい、閣下は変わらずお健やかに過ごされております。大公殿下にも公爵領に顔を出されるよう閣下から言伝を仰せつかっておりますので、もしよろしければその折にでも」
「それは有難い申し出だが、このところ職務が山積みでな。落ち着くのは当分先になると伝えてくれ」
ツヴェルスと名乗る渉外官と、しばらくの間雑談を交わす……のを装って、この人間が本当に公爵領の人間かどうかを探る。家中のことをある程度知っていなければならない話題をいくつか振り、それに対して滞りなく答えるのを見て俺は一応の信頼を彼におき、本題に入ることにした。
「……さて、個人的にはこのまま貴殿の話を聞いていたいところだが、あまり時間もないのでな。本題に入ってもらおうか」
「畏まりました。では単刀直入に申し上げます。私がここに参った理由は2つ。まず1つ目は、レゲンスバーグ公爵領とチザーレ公国の間の連絡所――端的に申し上げれば在外公館をチザーレ公国内に設置したいという旨を伝えるためです」
「既に帝国大使館はここメディオルムにある、というのは説明が要らないと思う。仮に従兄上や公爵領政府が我が国と何か連絡を取りたい事案がある場合は、そちらを使えばよいのではないか? わざわざ公爵領の公館を我が国に置く必要はないはずだが」
俺は首を傾げる。ある程度の独立性が保障されているとはいえ、帝国の支配下にある領邦には軍事及び内政の権限はあっても外交権は保障されていない。
そんなものを認めた暁には辺境の領邦や帝国に不満を持つ領邦が外国と結託して分離独立を試みたり勝手に外国軍を領地内に駐留させたりと帝国の安全保障上脅威になりかねないから当然である。
それは帝国南部随一の規模を持つ大領邦であるレゲンスバーグ公爵領とて同じであり、むしろ大きな力を持つゆえか公爵領には帝国政府から4名の弁務官が送られるなど厳しく監視されている。そのような状況の中で、公国に外交公館を置くとなれば、公国が帝国の保護国であるということを考慮してもかなり問題になるはずである。
俺の質問に、ツヴェルスは静かに頷く。
「確かに、あくまでも帝国の主権下にある公爵領が独自に外交公館を置くことは認められておりません。そのことは公爵閣下も重々承知の上です」
「では……」
「しかし――『商館』であれば話は別です。領邦政府が独自に他国と商取引をする権利は、帝国法によって保障されております。帝国商人が他国内に事務所を構える権利も、同様です」
ツヴェルスが言った言葉に、俺は思わず眉をひそめる。
「話が読めんな」
「要するに――公爵閣下は公国との独自の外交ルートを所望しております。しかし、直接在外公館を置こうとすれば帝国政府に睨まれてしまうことは必至。そこで――あくまでも名目上は公爵領の商人が利用する『在外商館』としての事務所を公国内に置き、そこを拠点に事実上の外交を行いたいと、そういうことです」
「それをすることによる公爵領の利益が何なのか、私にはそれが理解できない」
「それは今からご説明する2つ目の要件に関わってきます。大公殿下にはそれを聞いた上でご判断いただきたいと考えております」
「……分かった、聞こう」
俺は顎に手を当て、ツヴェルスの説明を促す。
「大公殿下もご存知のことかもしれませんが──我が国では、皇帝陛下のご体調が近程悪化しつつあることから、帝位継承を見据えた争いが激化しつつあります」
「それは知っている。皇太子のオスカー殿下と第3皇子のヴィルヘルム殿下の2名が有力候補であると聞いているが」
「その通りでございます。公爵閣下を始めとする南部諸侯はこの争いには正直な話あまり関心はありませんが、公爵領の持つ影響力を考えれば無視を決め込むことはできません」
「まぁ、それはそうであろうな」
レゲンスバーグ公爵の支持を取り付けたとなれば、軍事的・政治的なメリットは計り知れないであろう。南部諸侯が動向を決めかねているのなら、その内でも一番の影響力を持つ公爵領の意向に従うという家も少なからず出るはずだ。豊かな南部を押さえれば――仮に帝位継承を巡り何らかの衝突が起きたとしても、有利に立ち回れることは必至だろう。
「……率直に申し上げます。先ほど大公殿下が仰られた通り、今までは帝位継承についての有力候補――というよりも継承の可能性がある候補はオスカー皇太子殿下とヴィルヘルム皇子殿下の2名のみと言ってもいい状況でした。しかし、最近になって新たな候補の存在が浮上したのです」
「ほう、それは興味深いことだ。一体誰だ?」
ツヴェルスの言に俺は若干の興味を寄せつつ尋ねる。帝位継承争いが泥沼になれば、公国が自由に動ける可能性も出てくる。ツヴェルスはしばし躊躇うような素振りを見せた後、意を決したように口を開く。
「それは――あなたです。ハンス・エリック・フォン・ロレンス=ウェアルス
「……何だと?」
彼は手を差し出し、俺のことを見つめてくる。俺はその言葉に一瞬呆気に取られてしまったがすぐに気を取り直し、努めて冷静な声音を保ちつつ言葉を返す。
「どういうことか説明してくれないか」
「そのままの意味です。近年、殿下のチザーレ統治は帝国でも話題となっております。内乱中の公国を鎮め、反帝国派を速やかに粛清して改革を始めたその手腕は帝国にとって益になるかも知れぬと専らの評判です。そして、その継承順位はかなり下であるとはいえ殿下には帝位継承権がおありです。そして、殿下もご存じだと思いますが、帝国では継承順位のみが全てを決するわけではありません」
「確かに、それはそうだが。しかし、それでも俺が帝位継承というのはあまりに突然すぎる……」
俺は首を振る。確かに俺はチザーレ大公であると同時にアルマニア皇族の一員ではある、あるのだが。幼少期からそもそも皇位継承がほぼあり得ない立場だった故に帝王学の類はほとんど学んでいない。自分の帝国時代の素行がアレだったのもあるが、恐らく俺を将来の皇帝と見ていた人間はいない。
それがいきなり帝位継承の候補者になりましたと言われても、困惑するしかない。というより、帝位継承がややこしくなってる隙に色々進めるつもりの算段が狂ってしまうではないか。
「……少し不正確な言い方でした。動向を決めかねている南部諸侯の中から大公殿下を推すべきであるという声はあります。しかし、どちらかと言えば――主にヴィルヘルム皇子殿下が、大公殿下を自らの脅威と見て、それを過剰に喧伝していると言った方がより正確でしょう」
「ヴィルヘルム殿下が、俺を排除しようとしていると?」
半信半疑な様子を見せる俺に、ツヴェルスは真剣な表情で頷く。
「その通りでございます。公爵閣下は、ご親類でもあられる大公殿下の身を案じられております。流石にヴィルヘルム皇子殿下自ら刺客を放って暗殺を企てるとまでは考えられませんが、万が一ということがあります。そのような時のために、公国内での拠点となる公館を置くべきではないかと」
「……帝国大使館を頼ればよいのではないか?」
「いえ、帝国大使のヘンネフェルト閣下を含め、大使館員の殆どはヴィルヘルム皇子派と見られる家の者で占められております」
俺はツヴェルスの言葉にため息を吐く。その瞬間、脳裏に先ほどの会議の内容が思い起こされる。
このタイミングでの、帝国駐留軍のチザーレ再進駐。そして以前、レトリア公国で帝国駐留軍を使いクーデターを主導したというヘンネフェルト大使がヴィルヘルム派であるという事実。
──全てが繋がった、いや繋がってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます