国家のため、民のため
1時間後。テレノと共に大会議室に向かうと、既にクレアが侍従を従えて扉の前で待っていた。彼女はこちらに気づくと一礼し、俺達もそれに返す。
「お待ちしておりました。大公殿下」
「これは公女殿下。今日はよろしく」
「ええ。こちらこそ」
軽く挨拶を交わす。執務室などではファーストネームで呼び合っているが、このような場所ではあくまでも公人として振るわなければいけない以上互いに『殿下』と敬称をつけて呼ぶことになる。
「取り敢えず部屋に入るとしよう。君のことについては俺から説明する」
「はい」
部屋に足を踏み入れると、そこには既に関連の文官・武官が勢ぞろいしていた。宰相であるレルテスや財務卿であるリーグ伯、軍務卿のボルジア伯、外務卿のライネーリ子爵ら関連機関の長でなく、彼らを補佐する行政官僚らも同席している。
かつては宮殿の会議には爵位持ちの貴族のみしか参加を許されないという馬鹿げた(しかしそれでいてなくすのがやたらと面倒臭かった)暗黙の了解があったが、今はそんなものはなくなっているため、騎士階級や平民の職員も参加することが出来る。又聞きより直接聞いてもらった方が多分仕事はやりやすいはずだろう。
彼らは俺が入室したのを視認すると、一斉に起立して頭を垂れる。
(何故、といった様子だな)
彼らが一様に困惑の表情を顔に張り付いているのを俺は読み取る。クレアの存在は、この場において完全に異彩を放っていたと言っていいだろう。俺は『楽にせよ』と礼を解かせ、口を開く。
「会議を始める前に一つ。……俺の横に公女殿下がおられることに疑問を抱いている者もいると思う。先に言っておくが、公女殿下がこの場にいるのは殿下自身が望んだことであり、そして俺が許可したことである。何か異論のある者は名乗り出て欲しい」
俺の言葉を聞いて、皆がお互いの顔色を窺うように見合わせていたが、結局誰一人として手を上げる者はいなかった。それを確認した後、俺は侍従に対してクレアのための席をすぐに用意するように命じる。
クレアの椅子が用意され、彼女が席に着いたのを見て俺は会議の口火を切った。
「では改めてだが、此度集まってもらったのは他でもない帝国軍の再進駐について話し合うためである。つい先ほど、帝国のヘンネフェルト大使より帝国軍再進駐に向けた会議の設置について、日程と場所の目途が立ったと聞いている。外務卿、詳しい説明をしてもらえるか?」
「はっ、畏まりました」
ライネーリ子爵が立ち上がって答える。彼はそのまま傍らに控えていた外務府の職員から資料を受け取り、その内容を読み上げる。
「帝国大使ヘンネフェルト男爵により我が府に齎された報告によれば、帝国は現在先の戦争――ワラシア貴族共和国との戦争において我が国から引き揚げていた駐留軍の再編制が概ね完了させており、数個大隊を再び我が国に駐留させるつもりであるようです……ついては、帝国政府は我が国に対して今月末日に帝都の迎賓宮殿において両国の軍務及び財務当局を交えた会談――具体的に申し上げると、駐留経費の負担及び駐留軍の責務、並びに駐留軍基地の設置場所等に関する話し合いをしたいとのことです」
ライネーリ子爵のその言葉に、会議室内で小さなどよめきが起こる。帝国が一方的通告ではなく事前協議を提案してくるというのは、事実上の保護国であるチザーレに対する対応では異例中の異例である。
保護国とかそんなのを抜きにしてもそもそも帝国からすれば、チザーレなど吹けば飛ぶような弱小国に過ぎない。にも関わらず帝国側がチザーレに対しこれまで譲歩姿勢を取っているのは、帝室の親類である俺が支配するようになった――なんて情的な理由ではなく、何かしらの外交的弱点を帝国が抱えていると見るのが妥当であろう。
「驚きましたな。帝国がここまで下手に出るとは……」
「ワラシアとの戦争でかなりの痛手を被ったのもあるのでしょうな。しかしそれでも我が国へのプレゼンスは保ちたいようだ」
「正直大公殿下のご即位に伴う混乱もようやく収まってきたこの時期に駐留軍が来られても悩みの種が増えるだけですが、断るわけにもいきませんね」
財務卿であるリーグ伯以下財務府の職員はこの再進駐についてはあまり歓迎していない様子だ。一方彼らとちょうど真反対に座るボルジア伯以下の軍務府は――
「しかし、まだ保守派貴族の反動勢力による反乱がないとも限りません。悩みの種と決めつけるのは早計ではないか」
「国境警備の兵からはカルニラ兵が不穏な動きをしているという報告も受けています。そう考えると、やはり安全保障上の観点からしても駐留軍は必要になるのではないかと」
「自前で軍を増やすよりも安上がりなのも事実です」
財務府の見解とは逆に駐留軍を歓迎する姿勢を見せている。帝国の力を借りて近代化されているとはいえ、チザーレ軍は反乱と保守派によるクーデターで一度大きな損害を受けている。
税の免除や行政改革で国庫が火の車な以上、どうしても軍事費は後回しになってしまっており、再建にはまだまだ時間がかかる予定だ。そんな状況なら帝国からの駐留軍は安全保障上極めて魅力的な選択肢に見えるのも仕方がない。
正直な話をすると――俺は財務府に肩入れをしたい。国庫は火の車だし、外国から侵略を受ける脅威よりぶっちゃけ財政破綻する脅威の方が遥かに怖い。なのでどう交渉が転んでも絶対に経費を支払わないといけない駐留軍受け入れは絶対に嫌なのだが、しかし軍務府の言い分も分かる。
不平分子が公国から一掃されたとは限らないし、異常な軍拡を行っているカルニラ侯国の動きも気になる。さらに言えば現在(恐らくだが)公国政府と真っ向からぶつかるつもりであるだろうラグーナの動きにも目を配らなければならない。駐留軍がいれば前2つに関しては殆ど気にしなくなるのは間違いない。
「……皆理解しているとは思うが、我が国は少なくとも『拒否』という選択を取ることは出来ない」
「それは……承知しております」
「分かっております」
俺の言葉に、リーグ伯やボルジア伯らは神妙な面持ちで答える。彼らとてそれくらいのことは百も承知だ。今回の件で問題となるのは、駐留軍を受け入れることによるメリットとデメリットのバランスである。
「実際のところは帝国の当局者と協議しなければ何とも言えないが、我々にできるのはあちらからどれほど『譲歩』を引き出せるかの一点に限られる。ここではそれについて各自の意見を聞いておきたい。協議までに公国としての方針を固めておく必要があるからな」
「……参考までに申し上げますが、前回――大公殿下が即位される以前の帝国駐留軍は歩兵5個大隊と騎兵1個大隊の編制であり、総勢はおよそ4000名。ここメディオルムに駐留軍司令部を置き、主に諸邦連盟との国境線を中心とする14か所の駐屯地を設置していました。駐留費の負担については、基地使用料などは帝国が負担し我が国に支払う代わりに我が国は駐留軍兵士および帝国駐留軍基地内で働く我が国の労働者への人件費支払い、更に水や食料、武器等の物資補給も行うという物でした。言うまでもなく我が国への負担が極めて大きいのは明白でありました」
ボルジア伯がそう補足をする。自国民である基地労働者の人件費はともかく帝国人である駐留軍兵士の人件費まで負担させられていたのが時代柄と保護国という立場の悲哀を感じさせるのだが、それは過去の話。少なくとも帝国はこれよりも酷い条件を押し付けてくることは恐らくないので、ここからどれだけチザーレに有利な条件に出来るかの勝負というわけだ。
「財務府としては、少なくとも駐留軍兵士の人件費を帝国側が負担すること。これだけは絶対に譲ってはいけない一線であると提案いたします。以前の駐留軍予算のおよそ4割は彼らの人件費でございました。今回も同様の規模の駐留軍が来ると仮定すると、この負担は到底許容できるものではありません」
「それに関しては軍務府としても同意見です。帝国としても我が国が財政破綻するのは望ましくないでしょうし、そこを強調して粘り強く交渉すればある程度妥協の余地はあるのではないかと考えています」
リーグ伯の意見にボルジア伯が同調する。俺はそれを聞き、今まで沈黙を保っていたレルテスに話を振る。
「レ……バロンドゥ宰相、卿はどう思う?」
「はっ。私も財務卿と軍務卿の意見に同意するところではありますが、私個人としてはもう少し踏み込んだ要求を行ってもよいかと存じます」
「ほう、申してみよ」
「……確かに我々に対し協議を提案してきたとは言え、帝国は我が国に比して交渉力という点においては圧倒的に優位な立場にあることは明らかです。一案を提示するだけでは、突っぱねられてしまう可能性が高いのではないかと思います」
「ふむ、続けてくれ」
「はい。そこで私は最初から帝国からの譲歩度合いに応じた複数の案を作成しておき、協議の場でそれらを提示することを提案させていただきたいのです」
レルテスは淡々と、しかし自信に満ちた声でそう言った。複数の選択肢を相手に提示することで自分の有利なように交渉を誘導する、というのはビジネスで割とよくある手法だ。
「なるほど、卿の提案は有用な手立てだと思えるが、具体的な案はあるのか?」
「はい。まず最も譲歩を求める案として、我が国の労働者の人件費を除くすべての駐留費用を帝国側で負担するという案になります。これであればほとんど我が国の負担はありませんが――」
「……帝国はまず飲まないだろう。吹っ掛けるだけ吹っ掛けておけ、ということか」
「ええ。次に、基地使用料の支払いを免除し物資などの補給を行う代わりに、人件費を全て帝国が負担してもらうという案があります。これもあまり受け入れられるとは思えませんが、一つ目の案よりも見込みはあるかと」
レルテスは次々と案を繰り出していく。ふと彼の手元に目をやると、そこにはびっしりと書き込まれたメモが置かれていた。僅かに文字が光を反射しているところを見るに、議論の最中に手早く自分の考えをまとめていたようだ。
「……最後に、これが恐らく最も現実な案となるかと思いますが――駐留軍兵士に対する人件費と基地使用料を支払い、建前上は駐留軍は我が国の統治機構の下に置き、駐留軍司令部を含め駐屯地は我が国の領土として扱う。また駐屯地は前回同様安全保障上の懸念点が存在する東部および司令部機能を置くメディオルムに限定し、双方の連絡を密にするために合同連絡部を置くという案です。私としては軍務および財務両府にはこのこの案を本命として提示していただきたく思います」
「財務卿、軍務卿。卿らはどう思うか?」
「異論ありませんな。その案が最も現実的であるという見解は、バロンドゥ宰相と共有するものであります」
「軍務府も異存はない。それでも帝国が飲むかは怪しいところがあるが、何とかしてみよう」
レルテスの提案したはリーグ伯とボルジア伯だけでなくライネーリ子爵も賛成。反対する者は誰もいなかった。俺は決定を決めようとするが、口を開く直前になって隣に座るクレアがこの会議でまだ一言も発していないことに気付く。
「……公女殿下、何か意見はあるか?」
「えっ、わ、私ですか?」
クレアは突然話を振られて驚いた様子だったが、すぐに居住まいを正す。彼女は少しの間視線を彷徨わせていたが、やがて意を決したかのように前を見据え、少し戸惑いを滲ませながらもはっきりとした口調で言う。
「そうですね……差し出がましいとは承知の上ですが、帝国と我が国との関係の文脈で駐留軍のことを話し合うのは確かにとても大事だと思います。それについて私が口出しをすることは出来ません。しかし――かつてそうだったように、駐留軍に基地を提供するということは、どうしても必ずその土地から追い出されてしまう人が出てきます。そういった人々の生活についても、考えて欲しいのです」
クレアの言葉を聞いて、俺は――いや俺だけでなくこの会議室にいる人間は全員、ハッとした表情を浮かべる。国家のことを考えれば駐留軍は安全保障のために必要かどうか、国家予算に与える影響はどうかという文脈で語られてしまう。だが一方で、彼女の言うように駐留軍によって様々な人々が犠牲を負わされる可能性があることも事実なのだ。俺はそれを失念していた。
「……私は政治には疎い身です。どうしても人々の生活を犠牲にしなければならないことは理解できますが、ではどうすれば人々を犠牲にしないで済むのかと言われても正直分かりません。しかし、どうか考えていただきたいのです」
「公女殿下の仰る通りだな。我々は民の生活という視点を欠いていた。内務府にも連絡して、駐留軍が駐屯するにあたり出来るだけ民に負担がかからない土地を調べさせよう」
「ありがとうございます、大公殿下」
俺がそう告げると、クレアは嬉しそうな顔で礼を言った。
「……それでは、異議が出ないようならばバロンドゥ宰相の提案と公女殿下の意見を採用し、仔細については関係当局で詰めることとする。他に意見のある者はいるか?」
会議室は静まり、そのまま会議は終了した。テレノに対し内務府へ会議の内容と駐留軍の駐屯地候補の選定依頼を伝達するように命じ、俺は会議室を後にするのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます