公女の決意
「殿下、ヘンネフェルト大使より、帝国軍再進駐に向けた会議の設置について、日程と場所の目途が立ったとの伝令が」
「存外早かったな。それで、内容は?」
「……日時は今月の末日、帝都において、帝国および公国の軍務当局および財務当局の責任者を交えて行うとのこと」
「公国内か、少なくとも公国と帝国の国境に近い場所でやってくれと要望を出したのだが……」
執務中に来訪したテレノから齎された報告に、俺は小さなため息を一つ吐く。悲しきかな、これが属国の定めである。いずれ皇帝陛下に会いに行くつもりではあったし、その手間が省けたと言えばその通りではあるが、なんともやるせない気分ではあった。
「既に軍務卿と財務卿には話を通してあります。兄上……いえ、宰相や外務卿も交えた上でこれより会談に向けた調整が大会議室にて行われる予定です。殿下にもご出席願いたいとのことでしたが、どうされますか?」
「分かった。すぐに準備しよう」
「承知しました。1時間後にお迎えに上がります」
小さく礼をして退出するテレノを見送り、俺はそのまま執務を再開する。宮殿内で行われる会議においてはそこまで堅苦しい服装を着る必要はなく、準備の時間もさほど必要ない。あと1時間で上がってくる報告書を一通り目を通すぞと意気込んで書類を手に取ったその瞬間だった。
コンコン、とノックが部屋に響く。その音に俺は手を止め、『どうぞ』と一言だけ告げる。
「失礼します」
その声とともに扉の先から姿を現したのは、クレアであった。
「執務中にお邪魔して申し訳ありません。よろしいでしょうか」
「全然構わん。それで、何用で?」
「……少し差し出がましいお願いをしたいと思いまして」
クレアは遠慮がちに、それでいて真剣な眼差しでこちらを見つめている。その視線を受けながら、俺が手に持ったままでいた羽根ペンを机の上に置くと、彼女は口を開いた。
「これから殿下が出席される会議に、私も出席させていただけませんか」
「……それは、君が女性だから許可が必要であると思っているということか?」
「はい。その通りです」
クレアの回答に俺は思わずため息をつく。残念なことに――絶対君主制、家父長制が当たり前のこの世界において、とりわけ政治の分野について女性が重要な役割を果たすと言ったことは極めて少ない。
ここチザーレにおいてもそれは変わらず、貴族評議会の議員は全員男性、各行政府の職員に至っても女性職員は外務府などに僅かばかりしかいないというのが現状だ。かつて前大公が死去した際にクレアを擁立しようとした保守派に対して改革派が継承権の不在を理由に猛反発したように、公位継承権すら認められていない。今のクレアも、『宮廷長』という地位を持ち、名目上は宮廷内を統轄する職責を持っているものの、実情としては名ばかりの地位であり、実質的に政治とは無縁と言っていい立場に置かれている。
是正するべきであると考えることがないと言えば嘘になるが、恐らくこの世界で男女差別撤廃を唱えることは共和制万歳を帝都で叫ぶことと同じくらい無謀な行為だろう。自由と平等をこの国に輸入しようとしている人間が言うのもおかしな話だが、前世の西洋リベラル的な価値観を一方的にこの世界に押し付けることは避けなければならないのだ。
「少なくとも、俺は君が重要な会議について君が同席することに全く異議はないし、むしろ公女という立場にある以上当然の権利だと思っている。俺の許可を取るまでもなく、好きなようにしてもらって構わない」
「ありがとうございます」
「むしろ――俺の本心としては、君にはより公国の政治に関してもっと積極的に関わってほしい」
「と、言いますと?」
俺の言葉に、クレアは僅かに目を丸くする。
彼女は公国の正当な統治者だ。時代が許さぬゆえに今は――事実上の簒奪者である――俺がこの国の主となっているが、本来は彼女が玉座に就くべき存在なのだ。いつかその時が来た時のために、彼女はその備えをしなければならない。
「この国――いや、この大陸においては女性の政治的役割が極めて低い。……俺が言うのも変な話だが、君の公位継承が認められなかったのも、元をたどればそれが原因だ」
「はい」
「しかし、俺はそれは間違っていると思っている。貴族と平民の話にも通じるが、生まれ持ったもので差別するのではなく、実力で評価されるべきなんだ。そして、今はまだそれが成されていない」
こんなことを口走っていることが知られれば、また陰口のネタにされることは間違いないだろう。ただでさえ理想主義が過ぎるだの言われているのだ。
こっちに来る前は中近世というのはもうちょっとロマンチシズムが通用する時代だと思っていたが、現実では君主という存在ははるかに
「実際に西のピストリアでは公女が大公に代わって執政を行っていると聞く。彼女も当初は貴族の反発を受け反乱を起こされるほどにまで至ったが、国内の混乱や飢饉を収拾したことが評価され、今では民衆からも絶大な支持を受けている」
チザーレからオストヴィターリを挟んだ西の隣国、ピストリア自由公国。諸邦連盟──より正確に言えばツェスライタニア王国の分家が支配する国家であり、大陸でも稀にみる『女性による統治』が行われている国である。
事実上の統治者となっている第一公女は病床に臥している大公に代わり統治権を掌握すると自らを支持する僅かな貴族や軍、そして本国と協力して反対派貴族を粛清するなど辣腕を振るった結果わずか1年で国内を完全に平定。現在でも親政を行い続けているという。
しかもこれで僅か17歳というのだから驚きである。同国に駐留する2万もの諸邦連盟軍がさぞかし役立っただろうことは想像に難くないが、それにしても大した手腕だ。俺も見習いたい。
「……彼女の話は私も存じ上げています。非常に聡明で強い女性であると……」
「ああ。俺もそう思うよ。……俺は、君にもそうなってほしい。そのために、俺は君にもっと政治に対して積極的に取り組んでもらいたいと考えているんだ」
「殿下……」
当然、彼女が政治に参加することに反対するものは多いだろう。改革的な政策において全面的に俺に協力する改革派貴族ですら、クレアを表舞台に出そうとすれば猛反発を食らうことは必至。その道は茨の生えたものになるだろうが――俺がそれを舗装しなければならない。クレアの瞳を見つめながら、俺は言葉を続ける。
「……ごたごた話してしまったが、ともかく君が話し合いに同席することは問題ない。俺が許可したと言えば、誰も文句は言えんだろう。1時間後に宮殿の大会議室で行われる予定になっているから、またその時に」
「承知いたしました。本当にありがとうございます」
「気にすることはない。ではまた大会議室で会おう」
クレアは深く頭を下げると、部屋から出ていく。
(彼女は聡明だ。国家を改革するのは俺の役割かもしれないが、それを守り育てる役割は俺じゃなく彼女がした方がいい……)
革命を成したものは時代の生贄になる宿命である。しかし、現在の公国の制度では一度大公になれば基本的に自主退位の道は残されていない。死ぬか、クーデターか反乱で引きずり降ろされない限り、俺がこの国の大公位を手放すことは不可能である。
やらなければいけない改革はまだまだ多い。そう考えながら、俺はこの後の会議に向けて資料を見直すのであった。
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