港湾都市の"闇"

「…………は?」


 俺の口から発せられた言葉に、バルトリーニ博士の目が点になるのが見えた。まあ、当然の反応だな。


「言っての通りだ。ラグーナ港湾都市の調査を行いたいと思っている」

「そ、それは……」


 俺は再度繰り返す。バルトリーニ博士の顔色は真っ青だ。……新体制発足式典の際にちょっと話題を出しただけで表情が凍りついたのだから無理もない。


 ……内戦が終わった後に一度だけ彼の地に訪れただけだが、その時に感じた汚職や脱税の匂いはどうやら当たっていたらしい。様々な人間にあの土地の話を聞くと、必ずと言っていいほど皆関わり合いになりたくなさそうな顔をするのだ。恐らく、汚職や脱税に留まらない――何か”闇”があるのだろう。


 そう考えた俺は、せっかく設置した農商務府初の大仕事として、その闇の部分を探らせることを考えた。


「農商務府の任務には、適切な税の徴収や健全な貿易のための取締りも含まれるはずだ。違うかね長官」

「……確かにそうでございます。しかし……あの港に関しては、その……」

「教えてくれ。何故この国の人間はあの場所に関する話になると、あんなにも口をつぐむんだ? まるで忌まわしいもののように」

「……それは」


 俺の問い詰めるような口調にバルトリーニ博士は言葉を詰まらせた。


「我が国は現在財政危機に陥りかけている。そして、財務府に命じて今一度財務資料を確かめさせたところ、明らかにラグーナ港湾都市から上がってくる税徴収資料に記されている納税額が明らかに少額なうえ、意図的な改竄が加えられていた痕跡があった」

「……」

「さらに内務府に軽く調べさせると、あの場所では南方から輸入された『幻視剤』なるものが流行っているそうだな」

「…………」


 俺が畳み掛けるようにそう言うと、バルトリーニ博士は観念したようにため息を吐いた。


 諸官庁に権限を分割したとはいえ、それらに対する指揮監督権を大公が握っている以上、意外と俺が行使できる権力というものは大きい。個人的にはあまり好きな一手ではないが、あまりにラグーナに関して揃いも揃って口を噤むものだから、大公権限で財務府と内務府にラグーナに関する資料を洗わせた。


 その結果、驚くべき事実が判明した。汚職、脱税、官職の売買、奴隷を用いた強制労働、禁止品目の取引etc……果てにラグーナ統領には非正規の私兵を保有している噂まであった。ここまで来ると、もはや笑うしかない。経済特区にありがちな犯罪をコンプリートしているといっていいだろう。


「各国の政治経済事情に通暁した長官、いやバルトリーニならどうしてこうなったのかは分かっているのではないかね」

「……殿下のおっしゃる通りです。あれは一種の治外法権です。ラグーナは……あの港湾都市は今やラグーナ統領、そして港湾独立商業組合の私物となっています。あの都市が生み出す富は、大陸一といっても過言ではないでしょう。しかし――その富は一部の商人によって独占されています」

「農民からの反感を買いながら軍まで持ち出して接収した土地に築き上げた港湾都市で汚職が蔓延り国益を損ねているとは、なんとも皮肉なことだ」


 俺は嘆く。それを主導した前大公とてこの問題を知らなかったはずはなかったが……いや、もう一つの可能性もあるか。


 有能な政治家と清廉な政治家は必ずしも一致しない。と、言うよりも有能な政治家はそういった汚職をも政治の手段として活用する節すらある。汚い金でも、濾過機に通せば立派な政治資金になるというわけだ。まあ、その濾過機にはどんどん汚れがたまっていくわけだが。汚れが限界に達した濾過機は、外に汚れをまき散らし自壊する。そうなる前に、一度徹底的に文字通り洗い流さなければいけない。


「殿下、繰り返し申し上げますがあの都市には関わらない方がよろしいです」

「何故だ?申してみよ」

「……私がまだこの国にいた頃から、あの都市の黒い噂はありました。真っ当な商人にとって、特に違法な取引は命取りです。勇気ある商人が相互に団結を呼びかけ、独立商業組合に対して抗議運動を行ったこともありました。しかし――いつの間にか抗議者たちは、文字通り消え去ってしまいました。おそらく、ラグーナのどこかで秘密裏に処刑されたのだろうと皆考えております」

「……」

「彼らは相手が殿下であったとしても、利益を守るためなら手段を選ばないかもしれません」


 バルトリーニ博士は俺の目を見据えながら言った。その目は真剣そのもので、そこには確固たる信念のようなものが感じられた。


「つまり、俺がラグーナにメスを入れようとすれば、俺の身に危険が及ぶ可能性がある、という事だな?」

「ええ、その通りにございます。殿下の身に何かあれば、この国は……」

「……確かに、危険なことはよく理解した」

「そうです殿下、ですから――」

「しかし――それは俺が君主の使命を遂行するのをやめる理由にはならない。このままいけば、我が国は増税を余儀なくされる。脱税を行っている商人たちは不当に利益を得て、農民たちは戦争で荒廃した上に税に苦しむ。……そんなことが許されるとは到底思えない。俺の安全と民の生活、天秤にかけた時にどちらを優先するべきかは自明だ」


 はっきりと断言した俺に、バルトリーニ博士は驚きの視線を向けてきた。


「……それに、俺はこれでも帝国の皇子だ。俺に手を出せば帝国が黙っていないことくらい、連中も知っているはずだ。俺の安全は、帝国が保証してくれるといっても過言ではない」

「……何を申しても、殿下のご意思は変わらないということですか」

「その通りだ。しかし、俺も無謀に突っ込むつもりはない。あくまで、交渉による解決を目指す。……もちろん、適度に強気な態度を見せる必要はあるだろうが」

「……かしこまりました。殿下がそこまでおっしゃるのであれば、私はもう何も言いませぬ。農商務府の方に持ち帰って、しかるべき対策を考えましょう」

「ああ、よろしく頼む」


 俺の言葉にバルトリーニ博士は静かに頷いた。

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