幕間

人物評 帝国編

時は少し遡り、チザーレでは新体制発足式典が終わった直後。


 チザーレ公国の事実上の宗主国であり、ハンス大公の出身国でもあるアルマニア帝国の宮廷では、第一皇子であり、皇太子でもあるオスカー・ライナー・コルネリウス・フォン・ウェアルスがとある人物と面会していた。


「それで、ロレンス公爵。報告を聞かせてもらうではないか」

「皇太子殿下のご期待に添える内容かどうかは分かりかねますが、それでもよろしいなら」

「構わん。話せ」


 オスカーは眼前の人物、レゲンスバーグ公爵クリスハルトに鋭い視線を向ける。その視線を受け、クリスハルトは肩をすくめつつ口を開いた。


「愚従弟……いえ、ハンス大公についてですが、既に殿下もご存じになられている通り彼は内乱を鎮圧した後、大胆にも農民たちに免税を約束しました。それにより民衆の支持を得ています」

「その話は既に聞いている。問題はその先だ」

「はい。他にも、民の生活を考えた政策を多数打ち出しているようです。その全てが成功しているというわけではありませんが、少なくとも民からは好意的に受け止められているように思われます。しかも、侍従に聞いた話によれば、ほとんど贅沢らしい贅沢もせず毎日のように朝早くから夜遅くまで政務に明け暮れているとのこと」


 クリスハルトの報告に、オスカーは信じられないといった風に首を振る。


「あの怠け者だったハンスが、か。全く信じられん話だな」

「同感です。私としても未だに実感が湧きません。人格が変わったのかと疑いたくなるほどです」

「だが、それが事実であるならば、それは喜ばしいことだ。預けた国で失政などされては送り出した我が帝国の権威が傷つくからな。……だが、何故だ?何故あいつが急にやる気を出したのだ?公爵は何か知らないか?」

「残念ながら」


 そう言って、クリスハルトは首を振った。オスカーの言う通り、彼の言う愚従弟――ハンスは皇族の中でも怠惰なことで知られていた。チザーレに皇族を送り込むとなった時点でも、まさか彼が赴くことになるとは想像していなかったであろう。実際、ハンスが大公になったのは、皇帝陛下の鶴の一声で決まったことであった。


 しかし、そんな彼が今や連日身を粉にして政務に没頭し、怠惰どころか臣下に働きすぎではと心配されるほどだという。ハンスのチザーレが決まった時、宮廷内では『世間知らずに外の空気を吸わせれば、怠惰も治るのでは』などと皮肉交じりに囁かれていたが、まさか本当に改心し見違えるほど勤勉になるとは誰も予想できなかっただろう。


 内乱という危機的な状況が、彼を変える引き金を引いたのかもしれない。あるいは――彼女の前ではあくまで冗談として処理したが――クレア公女という若く、聡く、そして美しい魅力的な女性との出会いが彼を覚醒させたのだろうか。いくつか思い浮かぶことはあるが、どれも確証は持てない。


 いずれにせよ、ハンスが帝国にとって有益に働いてくれるというのならそれに越したことはない。クリスハルトはそう思っていたが、どうやらオスカーの関心はそこではないらしい。


「有能な帝国人が増えることは私にとっても喜ばしいことだ。……その帝国人が、な」

「……!」


 クリスハルトは、思わず息を呑んだ。もはや公然の噂と化しているが、現皇帝陛下の体調が最近思わしくないことはある程度の地位がある人間には誰もが知っていたことだった。そうなると、誰もが関心を寄せるのは『誰が皇位を継承するか』ということである。


 普通の国家なら予め皇位継承順位を作っておき、それに従い後継者を決めるのだが、帝国の場合は少し事情が異なる。勿論皇太子を頂点とする皇位継承順位は存在するものの、あくまでそれは『参考』とされるに過ぎない。実際には、ある程度までの皇位継承権を持つ皇族に皇帝陛下自ら役職を与えるなどしてその能力を測り、廷臣会議において皇位継承者を最終的に決定するのである。オスカーも、まだ21歳というのに帝都総督と帝国軍の帝都防衛師団長を兼任している。


 他の皇子も、帝国の防衛のために設置されているオストアルマニア軍政国境地帯の民政長官や帝国直轄領内の総督などの要職に就き、それぞれ皇帝の座をその手中にせんと必死になっている。その中でも皇位継承の最有力候補とされているのがオスカーと、今は帝国東部の諸侯領に皇帝代理として派遣されている第三皇子のヴィルヘルムだった。


 廷臣や大貴族も殆どこの二者を支持する派閥に分かれ、宮廷内はまさに次期帝位を巡っての熾烈な争いが繰り広げられていた。クリスハルトは他の貴族からはオスカー派に属していると見られているらしいが、内心ではどちらにも与しない中立派であった。彼に限らず、特に帝国南部の貴族は元々帝国への帰属意識が薄く、皇位継承への関心もそこまでではない。


「貴殿も知っている通り、あいつにも一応皇位継承権はある。あいつが皇帝の座に対して野心を持つかどうかと言われれば……正直微妙なところだが、それでも可能性はゼロというわけではない」

「えぇ、そうですね」

「だが、万が一ということもある。あいつの親族でもある貴殿にこんなことを任せるのは些か気が咎めるが、レゲンスバーグ公爵領からチザーレに密偵を送り込み、あいつの行動を逐一見張っていてほしい。何か動きがあればすぐに報告してくれ」

「……分かりました。お任せください」


 クリスハルトは深く頭を下げ、皇太子からの頼みを引き受けるのだった。尤も、クリスハルトとしてはハンスがそのような気を起こすようには到底見えなかったのだが。


「……用件は以上だ。退出してよいぞ」

「はっ、失礼いたします。殿下」


 クリスハルトはもう一度恭しく頭を垂れ、踵を返す。


(さて、ハンスの監視か……いやな任務を任されたものだ)


 クリスハルトは部屋を出てから小さくため息をついた。皇族からの命令であれば断れないとはいえ、あまり気持ちの良いものではない。クリスハルトは廊下を歩きながら、今後のことについて考える。


「おや、これはロレンス公爵閣下。ご機嫌麗しゅう」


 ふと、横合いから声をかけられた。クリスハルトはそちらに視線を向ける。そこには、白髪混じりの初老の男性がいた。


「これはライネス宮中伯。ご無沙汰しております」

「うむ。以前お会いしたのはいつでしたかな……」

「確か、コズワース侯爵の邸宅で晩餐会が開かれた時以来かと」

「あぁ、そうでした。あの時は楽しかったですな。また機会があったら是非参加させていただきたいものです」

「はい。その時はぜひ」


 声を掛けてきたのはノルトポメラニア宮中伯のコリネウス・セルネル・フォン・ライネスだった。帝国宮廷において皇帝陛下の政務を補佐する役目を果たす宮中伯でありながら、帝国東部のポメラニア地方北部に所領を有する有力貴族の一人だ。皇位継承争いに於いてはヴィルヘルム派に属しており、同派の主要人物の一人である。


 あまり宮廷に顔を出すことがないクリスハルトではあるが、帝国南部において随一の領土・人口・軍事力を誇るレゲンスバーグ公爵家の当主であるということもあって帝国内では顔が知られた人物であり、彼と面識のある人間はそれなりに多い。……あくまでも公式にはオスカー派と目されている彼にとって、ヴィルヘルム派のライネス宮中伯はあまり出会いたくない人物だった。


「公爵閣下が宮廷におられるとは珍しい、どうかされましたか?」

「いえ、先日チザーレ公国で行われた式典に出席した折、愚従t……ハンス大公と面会する機会がありまして」

「ほう。彼は外に放り出されて変わったと風の噂で聞いておりましたが」

「……そうですね」


 クリスハルトは内心冷や汗をかきながらも表面上は平静を保ちつつ、話を合わせる。……この男、見た目は温厚そうな初老の男に見えるが、その実かなりの曲者であると専らの評判である。ヴィルヘルムを帝位に就けるために様々な策謀を張り巡らせていると専らの評判だ。


「これでまた、皇位継承争いが楽しいものになるかもしれませんな」

「……私は興味がありませんからね」

「それは残念。……おっと、ヴィルヘルム皇子殿下との謁見があるのを思い出しました。そろそろ失礼いたします」

「えぇ、それでは」


 クリスハルトは軽く会釈をしてその場を去る。背中越しでも分かるほど、ライナスの口元は笑みを浮かべていた。


(まったく、背筋が寒くなるご老公だ)


 クリスハルトは内心舌打ちをする。オスカーは権謀術数を弄するような人間ではない。今のハンスと同じ、文字通りの『良き君主』であろうとするタイプだ。


 それに対して、ヴィルヘルムはむしろ権謀術数を駆使し自らの権力を盤石なものにするためにあらゆる手段を使うような人物である。現に、彼が皇帝代理として派遣されているオストアルマニア軍政国境地帯では、現地の有力者たちを取り込みながら着々と自分の勢力を拡大している。……その手段には、脅迫や賄賂による買収なども含まれるらしい。


 そんな彼のブレーンであるライネス宮中伯に目をつけられたとなれば……


「……チザーレに送る密偵に『身辺警護』も任務に含ませておくべきかな」


 クリスハルトは再び小さくため息をつくと、廊下の奥へと消えていった。

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