首都探索

 大公になってから、数日が経った。しかし、ひたすら毎日書類に決裁を求められたり、たまに来る外国の使節に応対する日々は、正直言って少し物足りなかった。反乱鎮圧のために何かをする……といってもそれは今前線に赴いているガルベスが帰還してからでないと出来ることがほとんどない。


 公国軍の司令部に立ち寄ってみたりもしたが、どうやら司令部要員のほとんどは西部の反乱地域に近い前線司令部へと移っているらしく……得られた情報はなかった。


「……今日分の書類はこれだけか?」

「宰相殿からはそう聞いております」


 午前の間に決済しないといけない書類を全て処理し終わり、手持ち無沙汰になった。


「今日は誰かと会う予定は?」

「特にないと思います。ご自由にお過ごしくださればよいかと」

「そう言われてもなぁ……」


 俺は悩んだ。ここにきてまだ間もないし、何かいとまを潰せそうなことは……


「街を少し歩こうか」

「護衛を手配しましょう」

「いや、大丈夫だ」

「……では、私が付き添います」


 テレノの提案に、俺は目を丸くした。


「……いいのか?」

「これも従者の務めですから」

「それなら道案内をお願いしようかな」


――――――――――


 宰相らに向けて書き置きだけを残し、俺はテレノを伴って宮殿を出た。帝国にいる頃ではこっそり宮殿を抜け出しても後でこっぴどく怒られる程度で済んだものだが、(半分くらいお飾りだとは言え)一国の主ともなるとさすがに何も言わずに抜け出したらヤバイだろうことは容易に想像できた。


「バレないだろうか?」

「大丈夫かと。殿下はまだ年少ですし、こちらに来たばかりの殿下のお顔を知っている民はほとんどおりませんゆえ」

「それならよかった」


 俺もテレノも、普段宮殿で来ているような服とは少々違う服を着ている。身をやつしている、と言うべきであろうか。俺はともかくテレノがいつも着ている給仕のメイド服はさすがに目立ちすぎる。ならされた服装なんてものがないこのご時世、服は顔よりも人となりを物語ることすらあるのだ。


 テレノの案内を受けながら、街を歩く。メディオルムは河を中心として造営された都市らしく、中央部に流れる河の両岸でまるで街並みが違う。右岸は俺たちが普段いる宮殿や軍の司令部のほか、司教座などが設置されており政治的な側面が強いが、今俺たちが歩いている左岸地域は商業区と居住区を兼ねた地区であるようで、街全体を活気が覆っていた。まさに内乱などどこ吹く風といった様子である。


「前大公が商業に熱心だったというのは幾度も聞いたが、まさかここまでとは……」


 大陸随一の人口を誇る帝都と比べれば数回り小さな都市だが、人々の活気は変わらないかのように錯覚するほどであった。


「安いよ安いよ!」

「そこの兄ちゃん、見てかないかい!?」


 至る所から取引を求める声が響き、それは俺たちをも対象にしていた。


「客引きがすごいな……」

「まさかあの人たちも、自分たちの君主に対して勧誘をしているなんて想像だにしてないでしょうね」

「だろうな」


 テレノの言葉に、前世で聞いた天皇の話を思い出した。あの話は身分を明かさずに農家に乗り込んで食事をごちそうになったら家主が腰を抜かしたというオチだった気がする。


 しばらく歩いていると、不注意になっていたのだろう。歩いていた人と正面からぶつかってしまった。


「おっと失礼……」


 ぶつかってしまった相手に会釈をする。見ると、随分服装が小綺麗――というよりも高い仕立てであることが分かる若い男性であった。爵位持ちの貴族であろうか?


「兄様!?」

「え?」


 さっと通り過ぎようとすると、傍らにいたテレノが驚いた表情で男性を見ていた。俺は彼の顔とテレノの顔を交互に見る。――


「おや、テレノか。とすると、こちらの方は――新大公殿下、というわけですね。こんな昼間から、護衛一人つけず付き人と逢引デートとは、随分と愉快な少年が大公になってしまったわけか」

「兄様、やめてくださいまし」


 テレノが顔を赤くしながら反論している。……この流れ、数日前も見たような気がしないこともない。


「ええっと、あなたは」

「おっと失礼。つい可愛い妹を揶揄からかうのに夢中になってしまった。僕の名前はレルテス・バロンドゥ。バロンドゥ子爵家の現当主でございます。以後お見知りおきを、大公殿下」

「……私の、兄様でございます」

「そうだったのか。……で、なぜここに?」


 テレノの兄と名乗る不審者……いやバロンドゥ子爵に対し、俺は訝しむように尋ねた。テレノの反応を見る限り彼が子爵なのは間違いなさそうなのだが、こんな昼間っから街中で歩いているのは疑義が残る。もっとも、俺たちも人のことを言える立場ではないのだが……


「いやいや、今日はも休みなもので、市中を散歩していただけですよ」

「評議会?」

「おや、宰相閣下からお聞きになりませんでしたか?」

「いえ、何も」

「そうですか……殿下、お腹空きませんか?」

「え?まぁ確かにそれなりに腹は減ったが」


 子爵に言われ、太陽を見てみると、日が昇りきった頃であった。


「それは好都合ですね。殿下、私が奢りますので、お昼でも一緒にいかがですか?」

「……いいのか?そんなことして」


 俺は訝しみながら言った。聞くところによれば俺が赴任する前から貴族の間で派閥争いがあったというのに、大公が特定の貴族と一緒に食卓についているというだけでよからぬ噂を立てられるということも想像に難くはない。


「構いませんよ。僕は既に宰相閣下やその他有象無象から目を付けられていますので。勿論よくない噂が立てられないように、殿下には多少顔を隠してもらえるとありがたいですが」

「分かった。テレノはどうする?」

「私は外で待っておきます。兄様と殿下のお話を妨げるわけにはいかないので」

「いや、来てくれ。テレノにも少し関係がある」

「兄様……いえ、失礼しておきます。あとで殿下に伺います」


 テレノは謎に意地を張り、兄の提案を拒絶した。レルテスは困ったような顔をこちらに向け、俺は小さくうなずく。


「分かった。じゃあ待っていてくれるか?」

「畏まりました」


 こうしてレルテスに連れられ、俺は食事に向かった。


――――――――――


 バロンドゥ子爵家は羽振りがいいのか、連れてこられた店はいかにも高級店といった見た目であり、店員の反応を見るにレルテスは店の馴染みらしい。やり取りもそこそこに通されたのは、個室の部屋だった。


 何を頼みますかと聞かれたので、何も分からない俺はおすすめをというしかなかった。しかしレルテスはこなれた手つきで素早く注文を書き付けると、店員を呼び寄せてそれを渡した。


「さて……わざわざお付き合いいただき感謝します、大公殿下。改めて、チザーレ公国貴族評議会書記長兼バロンドゥ子爵家当主、レルテス・バロンドゥでございます。以後お見知りおきを」

「こちらこそよろしく、子爵。それで、なんで俺を食事に?」

「殿下に媚を売る絶好の機会だと思いまして――というのは建前で、僕は殿下の力になりたいんですよ」

「……ほう」


 急に表情を変え、真剣な顔つきになるレルテスに、一瞬気圧される。


「大公殿下は、宰相閣下があなたの赴任に反対していたということは知っていますか?」

「え、そうなのか?」

「前大公らが亡くなった後、当然後継者がどうするかが貴族たちで争われました。私どもは外国――具体的に言えば帝国から皇族を招き、前大公の養子という形で迎え入れようと提案しましたが、宰相閣下はこれに反対しました」

「え?つまり宰相は……大公家を絶えさせるつもりだったのか?」

「いえ、そうではありません。……大公殿下は、基本的に、女子相続が禁忌であるということはご存じですか?」

「……帝国でもそうであったからな」


 俺はレルテスの質問に返した。女子の人権なんてものが絶対君主制が残置している時代に認められるわけがなく、こと王位継承に関しては女子相続なんてものが許される余地はほとんどない。広い帝国内には女性貴族がいないこともないらしいし、大陸には女王が存在した例もちらほらあるそうだが……


「そうです。王位の女子継承は絶対にしてはいけないというのが通説です」

「あっ、宰相はまさか……」


 そこまで言われて、俺は気づいた。大公家唯一の生き残りは……


「そのまさかです。宰相閣下を中心とする派閥はクレア公女を次代の大公にすると提案したのです」

「えぇ……なんでまたそんなことを」

「ここからは僕の推測を多分に含むので、それを留意していただきたいのですが――恐らく、宰相閣下は帝国の影響力を排除したいのでしょう。ついでに言えば、まだ若く、女性君主という前例のない事態にかこつけて摂政につき、権力基盤を固めにかかるつもりだったのでしょう」


 そんな話をしていると、料理が運ばれてきた。俺もレルテスも一旦口をつぐみ、料理が並べられるのを黙って見守る。


 フェットチーネのような幅広の麺を使った料理から始まり、ピッツァ、茹で上がった貝を浮かべたスープ、かぐわしいかおりを放つ肉の薄切りの和え物、野菜と魚の切り身の煮込みなどがテーブルに所狭しと並べられる。


 いわゆるイタリア料理というやつだ。


「……美味しいな」

「お口に合っていたのなら何よりです」


 軽く礼を言ってから俺は麺料理に手を付けた。


「それで……話の続きを頼んでいいか?」

「もしかしたらお料理の味が悪くなるかもしれませんよ」

「その時はその時だ」

「左様でございますか。では話を続けましょう」


 上品さを感じさせる取り分け方をしながら、レルテスは話を再開させた。


「もう一つ、ここで起きた農民反乱ですが――前大公が亡くなった直後ではなく、帝国から大公殿下をお招きするという方針が決定してから起きています。もちろん――反乱を指揮している地主たちは元より親帝国派であった大公に反感を抱いていた節はあるので、帝国の影響力が増しかねない決定を評議会が下したことに対し蜂起したと考えるのも自然とは思えます」

「そうだな」

「しかし、それにしても対応が早すぎます。最初の蜂起が起きたのは決定から僅か3日後、そして反乱軍が現在の支配領域を確立したのはその4日後、つまり決定から1週間以内に反乱軍は国土の4割に当たる領域を制圧し、軍組織を構築し公国軍と睨み合っていると言うわけです」

「……あまりに話がうまく出来過ぎている、ということか」


 俺がそう言うと、レルテスはその答えを待ってましたと言わんばかりに頷いた。


「そういうわけです。相当な事前準備をしたと見るのが妥当かと。反乱に参加した貴族の中には帝国からの大公招聘しょうへいに憤慨して評議会を下野げやしたものもいますが……評議会――いや公国行政府上層部に内通者がいると見るのが自然です」

「子爵は、それがドミトリー宰相だと言いたいわけか」

「そういうわけです、殿下」

「ふーむ……」


 茶を飲みながら、俺は考えた。子爵の言ってることは確かに一理ありそうだ。しかし、子爵の言うようにこの反乱と貴族内部での派閥争いが密接に関わっているというのなら、この話も敵派閥の追い落としを狙ったレルテスの姦計かんけいである可能性があるのだ。


 少なくとも目の前のこの好青年を具現化したような人物からそんな邪悪な気は見えないが……正直な話、そういう人間こそ最も警戒するべき狡猾こうかつさを持っていたりするということは前世で得た数少ない教訓の一つだ。


「子爵、もしかしたら気を悪くするかもしれないが、大丈夫か?」

「ええ構いませんよ。大公殿下のお思いになったように述べていただければ」

「では遠慮なく。ぶっちゃけ、子爵の話はとても"もっともらしい"。少なくとも俺がこの身分ではなく一介の民間人だったとしてこの話を聞いたら、多分信じ込むだろう。しかし、俺はその職務の責任上いくらそれが真実だとしても一貴族の話をホイホイ信じて国政を行うことは出来ないわけだ」

「なるほど、もっともな意見です。ではどうすれば僕の話を信じていただけますでしょうか?」


 かなり不快にさせかねないと覚悟して口を開くと、レルテスは案外あっけらかんとした反応を示した。意外に思いつつ、俺は続ける。


「情報、とにかく今俺に足りないものはそれだ。とはいえ俺の元に上がってくる情報は多分宰相閣下のチェックが入っているであろうことは想像に難くない。そして、流石に今日のように毎度毎度王都を歩いて……とするのは立場上難しいだろう」

「まぁ、それは間違いなくそうでしょうね。というか今日の外出も……」

「一応書置きはしておいたが、実質お忍びというやつだ。……はっきり言おう、子爵に情報収集をしてもらいたい」

「ほう?」


 俺の提案に、レルテスは興味津々といった風に食いついてきた。


「俺の従者はご存じの通り、子爵の妹であるテレノなわけだ。彼女なら俺のそばにいても不審ではない。つまり、彼女を介してなら俺は情報を収集できる」

「……そしてテレノを介した情報提供は兄である僕が適任だと、そう殿下は仰ってるわけですか」

「察しが良くて助かるよ子爵」


 そう言うと、途端にレルテスの顔が曇り始めた。はて?と思って声を掛けると、しばらく黙りこくった後レルテスは口を開いた。


「いやですね殿下……さっきのやり取りから察していただけるとわかるかもしれませんが、妹はどうも僕を嫌っている節があってね。それを考えると協力できるかどうか」

「……それはつまりテレノの承諾さえあれば俺に協力してくれるという解釈で大丈夫か?」

「いや、まぁそれはそうですね」

「では、それは俺が何とかしよう」

「……本当に大丈夫ですか?あの時期の女子は殿下が思っているであろう数倍面倒くさいですよ」


 自分の妹に対するものいいとは思えないセリフがレルテスが出てきて、俺は思わず苦笑してしまう。


「まぁ任せてくれ」

「……本当に任せて大丈夫なんですね?それなら、喜んで協力させていただきましょう。……公国の未来のために」


 そう言いながらレルテスが手に持つさかずきを掲げた。俺は彼の意図するところを察し、同じように杯を掲げる。


「乾杯」


 掲げられた2つの杯は、コツンと静かな音を立てた。

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