帝国、公国、侯国

 メディオルムにて帝国駐留軍の問題が話し合われていた、まさにその頃。帝国南東部、シェーン諸邦連盟領にほど近いある貴族の邸宅にて、彼らは集まっていた。


「忙しいところわざわざこのような辺境まで来てもらって感謝する」

「いえ、むしろ我々のようなものが拝謁を賜り光栄の至りに存じます、皇子殿下」


 邸宅の応接室にて恭しく首を垂れる2人の男。1人は、ラグーナ港湾統領のルチャーノ・ダルクス男爵。そしてもう1人は、カルニラ侯国駐帝国総領事のオックス・フォン・ノイラート。現在のカルニラ侯であるマイナルド・ドレスラー・フォン・カルニラの信を得て、対帝国外交を一手に引き受けている男である。


 カルニラ侯国。チザーレの東側に位置するその隣国は、元々は諸邦連盟に加盟する一侯爵領に過ぎなかった。帝国勢力圏に位置するチザーレと接することもあって軍事的には重要な貴族領の一つとされ、諸邦連盟軍も多く駐屯していたが、国境防衛の任務は侯爵領の北に位置するケルンテン辺境伯が統轄しており、カルニラ侯爵は家格上は上にも拘らずその指揮に服する立場であった。


 転機となったのは1682年。当時のカルニラ侯爵が、当時諸邦連盟と対立していた大陸南東部の強国カルケドン帝国の支援を受けた上でケルンテン辺境伯領に対して軍事侵攻を開始したのである。当時諸邦連盟は盟主選挙の真っ最中であったのに加えて当時まだ帝政であったワラシア帝国とシルベニア地方を巡り戦争を行っており、この『カルニラ侯の反乱』は長期化。諸邦連盟政府に不満を持つ中小貴族などの支持もあり1年以上戦闘を続けた。


 しかしワラシアと停戦したことで軍主力を戻したケルンテン辺境伯領軍によってカルニラ侯爵領軍を中心とする反乱軍は押し戻された。しかしカルケドンがカルニラ侯爵領に諸邦連盟軍が侵攻した場合全面侵攻を開始すると警告したため諸邦連盟政府はカルニラ侯や反乱に加わった貴族を連盟から追放することを決議し、1683年にカルニラ侯国は他国の影響下にない、大陸でも数少ない独立した小国としての地位を確立した。


 独立以降も安全保障上の観点からカルケドンとの友好関係を重んじていたが、1706年にカルニラを含めたケルキラ海沿岸の中小諸侯国を庇護し諸邦連盟に対する抑えとする政策を支持していた皇帝パレオロゴス3世が死去したことに伴う宮廷クーデターで諸邦連盟との友誼を重視する『北方派』が政権を握るようになると風向きが変わり始める。


 カルケドンが諸邦連盟と歩み寄る一方で諸邦連盟にとっての『裏切り者』であるカルニラ侯国への関与を低下させていくのを見て、侯国上層部危機感を覚えたのは言うまでもないであろう。


 追放したとはいえ、カルニラやその他の貴族領は諸邦連盟からしてもいずれ取り戻したい『旧領』であるのは事実。諸邦連盟がカルケドンと完全に国交を回復し、カルケドンによるケルキラ海諸国への関与が絶たれれば、軍事的に圧倒する諸邦連盟軍は──恐らくは恨みを持つケルンテン辺境伯領軍を先頭に──カルニラを攻め、暴力的にこれを制圧するであろう。


 父の病死に従って侯爵となった現当主であるマイナルドの行動は早かった。速やかに国家予算の多くは軍事費へ投じられ、過剰な常備軍に加えて複数の傭兵隊まで雇い入れた。


 マイナルドの息子であるポレリス・エスター・フォン・カルニラ侯子や多くの侍従が国民生活の窮乏を無視した軍拡に抗議したが、これに対しマイナルドは強硬手段を以て接し、ポレリス侯子らは侯国軍によって拘束され、現在でも離宮へと軟禁されている。


 しかし、小国がいくら己が身を削ったとことで、大国から単独で身を守るのは難しい。マイナルドは庇護してくれる大国として──諸邦連盟と明確に敵対しているわけではないが、しかし領土問題を抱え完全な友好国でもない、アルマニア帝国を選ぼうとしている。


 そのために、コンラードはこの場にいるのである。そんな使命を抱えた外交官と、全くそれとは対照的にさしたる使命も持たず、事実上の上司であるファルツォーネ会長のために動く傀儡に過ぎない統領の2人に対し、彼らの眼前に座る人物は『楽にせよ』とジェスチャーを出す。


 その人物の名はヴィルヘルム・テオドール・ヨーゼフ・フォン・ウェアルス。アルマニア帝国第三皇子にして、帝国東部諸侯領派遣皇帝代理官、帝国東部直轄領特別弁務官、帝国陸軍東部軍総司令部司令官代理などの多数の役職を兼任し、事実上帝国領東部における全権を握っている人物である。


 そして、皇太子オスカーと共に次代の皇帝候補の1人であると目されており、実際に多数の貴族や軍部隊の支持を取り付け、周到に準備を進めてきた策略家でもある。


「今日、卿らを呼んだのは他でもない。チザーレにいる我が親類のことについてである」


 ヴィルヘルムはそう言って話の口火を切った。兄であるオスカーを第一の、そしてほぼ唯一の政敵として認識し、彼はその前提に沿って調略を進めてきた。しかし、辺境の小国であるチザーレ公国に半分厄介払いのような形で送り込まれた遠い親戚であるハンス親王が帝位継承争いに参加するかもしれないという噂が最近になってまことしやかに囁かれ始めた。


 さらに、旗色を明確にしていない南部諸侯の一部が彼を擁立しようとしているという情報がヴィルヘルム派のライネス宮中伯らから齎されるに至り、ヴィルヘルムは後顧の憂いを断つために、ハンスを脱落させることを決意した。帝位継承順的には下位も下位であり、貴族からの支持を得ているとは言い難いハンスは、既に多くの貴族の支持を受けるヴィルヘルムにとってはさして脅威となり得る存在ではないというのが一般的な見方であった。


 しかし、ヴィルヘルムはそうは考えなかった。いや、少なくともで動く限りにおいて脅威にはなりえないという認識は彼とて共有する所であったが、彼が恐れたのはハンスが南部諸侯の支持を得た上で自らの政敵であるオスカー支持に動く可能性である。


 そうなれば、南部諸侯が丸々オスカー派に回ることになり、厄介なことになるのは目に見えている。


「卿らも知っているかもしれぬが、父上――皇帝陛下の体調が思わしくないことにより、我が国では次代皇帝の座を巡って兄弟間で争いが激化しつつある」

「それについては聞き及んでおります、殿下。侯爵閣下はヴィルヘルム殿下を支持なさっております」

「それはありがたいことだ。礼を言うと伝えておいてくれ」

「かしこまりました、殿下」


 ヴィルヘルムがそう言うと、ノイラートは再び恭しく頭を下げる。そんな彼を見ながら、ヴィルヘルムは思考を巡らせる。


 ハンスを脱落させる――要するに排除するとは言っても、彼が未だ帝国領内にいるのではあればいくらでもやりようがあったが、帝国の保護国とはいえ今の彼は外国の君主であり、権謀術数に優れたヴィルヘルムと言えどもおいそれと手出しは出来ない。


 いや、駐チザーレ大使であるヘンネフェルト男爵がヴィルヘルム派なことなどを利用すれば暗殺すること自体はそう難しいことではないが、仮にも政争のためにアルマニア皇族を暗殺したことが露見すればその時点で帝位継承争いの勝敗が決する。下手をすれば皇籍を剥奪され、罪に問われることすらあり得る。


 十分なリターンのためにはある程度のリスクを負うことは仕方がないと考えるヴィルヘルムにとっても、そのリスクはあまりに重い。その結論に至り、ヴィルヘルムは直接排除することは断念せざるを得なかった。


「そこで、卿らに相談がある。これは内密の話であり、少なくとも私がこの話をしていたということを口外しないことを約束してもらわねば話を進められない。しかし、卿らにとってもとてつもない益がある話であることは約束しよう」

「神とアルマニア皇帝陛下、そしてヴィルヘルム皇子殿下に誓って、公言いたしません」

「私もダルクス統領閣下と同じく、誓って公言は致しません」


 ダルクスとノイラートが胸を手に当てて、頭を垂れる。それを聞いて満足そうにうなずき、ヴィルヘルムは話を続けた。


「では話をしよう。卿ら――より正確に言えばラグーナ沿海独立商業組合とカルニラ侯国に任せたいことがある。当然その働きに対する報酬は十二分に用意するつもりである」

「その『任せたいこと』とは一体なんでしょうか、殿下」


 ノイラートに問われ、ヴィルヘルムは邪悪な笑みを浮かべながら、ゆっくりとその内容を口にする。


「――チザーレ公国を攻撃し、大公であるハンス・エリック・フォン・ロレンス=ウェアルスを抹殺せよ」


 チザーレを、そしてハンスを飲み込もうとする陰謀が、静かに動き出した。

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