急転直下

「……は?」


 あまりにも想定外かつ、ありえない言葉にレルテスは絶句した。ついさっき合意に達したものを全て無に帰すような命令が、皇帝の口から出てきた? 全く意味が分からない。


「……より正確に言えば、帝国軍部隊全体に対して所在地からの移動禁止、そして帝都に対する無期限の戒厳令を発令せよとの通達が下されました」

「禁足に、戒厳令?何があったのか、事の次第について説明して頂きたい」


 気が動転する心を必死に抑え、レルテスはフェルンバッハ公爵に問いかける。しかし、その答えは冷酷なまでに無慈悲であった。


「……残念ながら、貴方方に説明することは叶いません。高度に政治的かつ機密性の高い理由である、ということだけがお伝えすることが出来る唯一の情報です」

「そんな……」

「戒厳令が発令されれば、帝都は陸軍によって封鎖され、出入りは事実上不可能になります。それは――たとえ外国からの使節団であろうとも、です。ついては、すぐに出立の準備をなさってください」


 レルテスだけでなく、その場に居合わせた全ての使節団員が、その発言に凍り付いた。外交使節団を会談中に追い出すなど、国際儀礼上非礼というのを通り越して侮辱すら甚だしいというべき行為だ。いくら保護国であるとはいえ、ここまでの屈辱的な扱いを受ける謂れはない。


 怒りを通り越して呆れをすら感じるほどであったが、残念ながらそれを発露する方法は彼らにはなかった。そうこうしている間に会議室の中には官吏だけでなく武装した軍人が入ってくるなど物々しい雰囲気に包まれる。


 どうしたものかと思案している間に、ロレンス公爵が使節団の方へと駆け寄ってきた。


「バロンドゥ宰相閣下、私の部隊が護衛します。時間があまりありません、どうか直ちに出立をお願いします」

「……分かりました。会談の結果が不首尾に終わったのは些か不本意と言わざるを得ませんが、そちらのやむを得ない事情とあらば仕方ありません」

「ご理解いただけて感謝します。では、すぐにでも」


 盛大にため息を吐きたくなるのを堪えて、レルテスはフェルンバッハ公爵と握手をかわす。そして、ロレンス公爵に伴われ、使節団は会議室を退出するのであった。


―――――――――


「……先ほどの非礼を詫びさせてほしい」

「公爵閣下が謝られる必要はありませんよ」


 数刻後、帝国陸軍が既に展開しつつあった帝都を抜け、一路南へと向かう列の中で、レルテスはロレンス公爵と同じ馬車に同乗していた。ロレンス公爵は一通りの謝罪の言葉を口にした後、レルテスに語りかける。


「……一つ伺っても?」

「私に答えられることならば、何なりと」

「では。単刀直入にお聞きしますが――帝国軍部隊の禁足、帝都の陸軍による封鎖まで含めた戒厳令。明らかに異常事態だというのは、火を見るよりも明らかでしょう。一体何が?」


 レルテスは訝しみと、警戒心を抱きながらそう尋ねる。戒厳令は、多くの国では戦争もしくはそれに準ずる、例えばクーデターのような緊急事態が発生した時にのみ発令されるものだ。それが平時において発令されたとなると――何が起きたかというのは、自ずと限られてくる。


 ロレンス公爵はしばらく逡巡した後、声を低くして耳打ちした。


「これは完全に私の予測になりますが」

「それでも構いません。続きを」

「では、申し上げましょう。……恐らく、皇帝陛下に何か――それも、生命にかかわる何かがあったのではないかと」


 想像していた答えがロレンス公爵の口から出たことで、レルテスは心中でため息を吐かずにはいられなかった。このタイミングで皇帝崩御となれば、帝国はオスカー皇太子派とヴィルヘルム第三皇子派で真っ二つに割れる内戦に突入するであろうことが目に見えている。


 そして、そうなれば大陸はほぼ間違いなく戦乱の渦に巻き込まれるであろうということも。


「……宰相閣下もご承知のことであるとは思いますが、我が帝国では現在オスカー皇太子殿下とヴィルヘルム第三皇子殿下を中心に帝位継承を争っています」

「えぇ、承知しております。そして、その争いに大公殿下も巻き込まれる可能性がある、というのは公爵閣下が我が国へ遣わされた使者より聞き及んでおります」

「はい。そして、帝都に駐留する帝都防衛軍の指揮権を持っているのは、帝都防衛総督でもある皇太子殿下です。フェルンバッハ公爵は『皇帝陛下の勅令』と申しておりましたが――」

「実際には皇帝陛下の名を借りたオスカー皇太子が内戦の危機に備えて帝都を陸軍で封鎖したと」


 レルテスが言葉を継ぎ、ロレンス公爵は頷く。


 確かにそうであれば、あれほど素早く帝都に帝国陸軍が展開していた理由にも説明がつく。いざ内戦となれば、政治経済の中心地である帝都を確保するというのは最重要と言えるだろう。事前にオスカー皇太子が皇帝の身に何かあった際の計画を練っていたと考えれば、説明はつく。


「詳しいことは分かりませんが、皇帝陛下の容態は悪化の一途を辿っていたものの、最近は持ち直しつつあると聞いています。その状態で何かあった、となると」

「……まさか、暗殺未遂ですか?」

「その可能性も排除できません。いずれにせよ、帝国領が平和であり続ける保証はどこにもありません。少なくとも安全である可能性が高い南部に一刻も速く避難しなければ」


 ロレンス公爵の言葉にレルテスは頭を振った。事態がどんどん悪い方向に転がっていく感覚を振り払うことができない。勿論――カルニラやラグーナの策謀も含めた自国の危機が最優先ではあるが、それを乗り越えたとしても、このあまりにも巨大な帝国の危機がチザーレを呑み込むことは間違いないであろう。


 そう考えたときに、レルテスの頭にふとした疑問が浮かび上がった。


「……公爵閣下、もう一つお聞きしたいことが」

「何でしょうか?」

「その――もし仮に帝国が内戦に突入すれば、公爵閣下はどうなされるのですか?」


 レルテスのその問いに、ロレンス公爵はしばらく考え込む。


 彼が送ってきた使者や、ハンスの言を信じるなら、この南部諸侯随一の実力を持つ公爵は、少なくともヴィルヘルム第三皇子を支持するとは思えない。それに加えて、南部諸侯は帝位継承争いにあまり積極的ではないという。


 およそ1分ほどの長考の後、ロレンス公爵はゆっくりと口を開いた。


「……本心で言えば、私は血腥い帝位継承争いに興味はありません。もっと言えば、そのために我が兵隊や我が民を戦禍に晒すのは全く本意ではありません。しかし――戦乱の世においてどちらの側にも与さず、中立の立場を取り平和を守るという選択は、時としてどちらかに与することよりも大きな災いを齎します」

「中立という択は、現実としてあり得ないと」

「えぇ。そしてどちらかを選べ、と言われれば私は皇太子殿下を選ぶでしょう。と、いうよりも宮廷において私は既にそのように見られているようなのでね。ただ……」

「ただ?」


 そう聞き返したレルテスに、ロレンス公爵は少し『しまった』とでも言いたげな表情を浮かべたが、すぐに平静を取り戻して答える。


「第三皇子殿下が恐れているように、もし愚従弟――失礼。ハンス大公殿下がこの内戦で第三の候補者として名乗りを挙げるというなら、少なくとも私は彼を応援することも吝かではない」

「それは……」

「あくまで例え、の話ですよ、宰相閣下。外の空気を吸って生まれ変わったとはいえ、彼は皇帝の重責に耐えられるほどの器は備えていない。それに――彼自身が望まないでしょう」


 その言葉に、レルテスは困惑しつつも頷いた。ハンスが帝国の内戦に関与することを忌避し、何とかチザーレがそれに関わることなくむしろうまく利用せんと腐心していることを、彼は知っている。もし仮に無条件で帝位を与えると言われても、ハンスは間違いなく首を横に振るだろう。


 そう考えている間にも、馬車は暗雲が立ち込めようとしている帝国領をどんどん突っ切っていくのであった。

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