不穏な兆候

「……つまり、我が国がその――帝国の争いに巻き込まれる可能性がある、ということですかな?」


 書類の決裁や予定の確認で時間はあっという間に過ぎ去り、日も暮れかけたころ。俺は今日二度目の会議室に主要メンバーを揃えて、ツヴェルスから受けた提案の協議を行なっていた。


 メンバーも先ほどとほとんど変わらず。ただしクレアは『今日はもう遠慮しておきます』とのことで辞退しており、各閣僚も部下を引き連れていないので小会議室に集まっていた。


「端的に言えば、そういうことだ。今の俺はチザーレの大公であって、帝位継承なんぞには微塵の関心もないんだが、どうもそれを祖国は理解してくれないらしい」

「しかし、そうなれば殿下御自身だけでなく我が国そのものの安全にも関わる事態です。その――ツヴェルス殿の、いえロレンス公爵閣下の提案を是非検討すべきかと」

「そう決めつけるのは早計だと思います、内務卿。確かにロレンス公爵は大公殿下の親類とはいえ、彼が我が国に野心を持っていないとも限りません」

「帝国政府の混乱をついて、どさくさに紛れて我が国を占領し公爵領に編入する――あり得ない話ではありませんな。……ただ殿下が帝国の皇族である以上、その可能性は低いとは思いますが」


 様子を見た限り、軍務卿・内務卿の2人は明確にこの提案に賛成しており、外務卿が疑義を呈しているようだ。財務卿と宰相は中立の立場といった感じだろうか。


 まぁ実際公爵領と公国の国力差を考えたときに、帝国政府が混乱して介入できない隙を突いて公国を占領して編入、というのは実際に考えうる。というか転生前のどっかの祖国大日本帝国が――あちらは辺境軍関東軍という違いはあるものの――一度やらかしてる満州事変


 とはいえクリスハルトがそこまで外道なことをするとはとても思えないし、またメリットもそこまでない。恐らくそこまで警戒する必要はないだろうが、国際法もへったくれもないこの世界においては万が一ということもある。


「俺個人としては、当然ロレンス公爵が俺の従兄に当たるという私的な感情を排した上ではあるが――この申し出は受けるべきであると思う。仮にヴィルヘルム皇子が本当に俺を狙っており、ヘンネフェルト大使らを含めた彼に与する人間が公国で何やら策謀を企てているとしたならば、今の公国が抱える問題を考えた際に我が国単独で対処するにはちと……いやかなり荷が重いと言っていい」

「……それはその通りでございます。ラグーナの問題に加えて国境警備の問題、そして何よりも帝国駐留軍の問題。これらを抱えた上でさらに、というのは今の我が国の処理能力を遥かに超えております」

「……殿下がそう仰られるのならば、私にも異論はありません。但し、あくまでも『在外商館』である以上、その動きは農商務府の管理下に置き、かつ定期的に『場所代』として一定の金額を徴収するくらいの条件を付けた方がよろしいと思います」

「そうだな。あまり派手に動かれて帝国政府に睨まれては本末転倒、多少の要求を付けても公爵に文句はあるまい。公爵曰く『我が領の財政は盤石』とのことだからな」


 ライネーリ子爵の提案を受け入れ、取り敢えず公爵領の在外公館を公国内におくことで合意することに成功した。そして次は――


「……そして、つい先ほど決定したことを覆す形になって卿らには非常に申し訳なく思うが――帝国駐留軍に付いてもこれで考え直さねばならなくなってしまった」

「我が国を守るための駐留軍という話のはずが、場合によっては我が国を占領するためのものとなるかもしれないとなれば話は変わってきますな」


 ボルジア伯の言葉に、皆がうむと同意の声を上げる。帝国軍進駐に関する費用についてどうするかを話し合っていたはずが、その前提まで崩されてしまった。


「……しかし、帝国軍部隊を選ぶ権利はこちらにはありません。我々にできることは殆どないかと思いますが……」

「確かに。我々が交渉の場に立ったとしても、流石にそこまでの主張は帝国が許さないでしょうな」


 ライネーリ子爵の言葉に、レルテスが首肯する。


「ロレンス公爵の交渉とやらがどれほどの成果を上げられるかに全て掛かっていると言っても過言ではないですな」

「しかし皇子が動いているともなればいかに公爵ともいえどそれを覆すのは難しいでしょうな……」

「……情けないものですな、実に。自分たちの国を守るために、他国に依拠しないといけないというものは」


 ポツリとボルジア伯が漏らした言葉は、その場の全員の気持ちを代弁していた。


 『自らを守ることのできない小国の独立など他国は認めない』といったのは誰であったか。全く持ってその通りだと言わざるを得ない。


「……あまりいい案はない感じか」


 俺が会議の参加者を見回しながら言うと、全員が小さく頷いた。端からあまり期待はしていなかったが、やはりそう簡単に妙案が浮かぶわけでもないか。


 夕食の時間が近づいていたのもあり、各府で検討する交渉の具体的内容にこの件についても盛り込むこと、そしてまた機会を設けて再び会議を行うことを告げ、この日の会議は解散となった。


――――――――――


「殿下、お食事の準備が整いましたが」

「あぁ、少しだけ待ってくれ。この書類を終わらせてから行く」

「承知いたしました」


 執務室をノックする音と共に、テレノが部屋に現れる。彼女を待たせている間に、俺は机の上に広げられた資料に決裁をするべく読み始める。


 その書類は内務府からのものだった。表題は――『南部国境地域で発生した爆破事件の犯人についての報告』。その表題を見た瞬間、俺は少し首を傾げる。どう考えても(一応は公国の最高決定権者である)大公まで上がってくるような内容の話ではなく、内務府内で処理すれば済みそうな話なのだが。


 しかし、一応は読まないと決裁が出来ない。そう考えながら報告書の中身について目を通す。


『――南部ベリツァーノの騎士領において領主邸を狙った爆破事件が発生。死者こそ出なかったが騎士の娘と被用人が負傷し、数日後に犯人2名が逮捕される。内務府において取り調べをしたところ、両名共犯行を認め、更に追及したところ"唐辛子党ペペロンティーネ"なる組織の指示で行ったと自白。当該組織について更に情報を得るため尋問を試みたが直後に自殺した。発言から推察するに当該組織はオストヴィターリにて発生している都市住民による抗議運動を主導している人物との関与がある模様。この事実を受け、現在内務府は当該組織の調査について人員を割くことを検討中。付記:当該犯人は尋問において反貴族主義的な言動が見受けられた』


「……うん、うん?」


 思わず声が出る。単なる刑事犯案件かと思ってたらガッツリ政治犯だった件について。しかも色々荒れてるオストヴィターリとの関与もあるという面倒なやつだ。しかも襲撃対象が騎士領主の屋敷、反貴族主義的傾向、しかもどこかで見たことあるような組織の名前……まさかとは思うが――


「共和主義者か?いや、まさかな」


 一瞬浮かんだ考えを首を振って打ち消す。この世界では、少なくとも俺が知る限り未だ市民革命は起きたことがない。東方にはワラシア貴族"共和国"が存在するが、前に『貴族』とつくようにその統治実態は共和制というよりはむしろ前世で言うポーランド=リトアニア共和国コモンウェルスのような選挙君主制に近い政体である。


 そのため、共和主義がこの世界で興っている可能性は極めて低いのだが、万一ということがある。取り敢えず内務府から要請された調査人員増員について了承する旨の決裁をし、一先ず俺は執務室を後にした。

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