危機の検討

 リリーが立ち去った後、俺はリッツィ子爵を呼んで事の仔細を掻い摘んで説明し、受け入れ態勢を整えておくように指示しておいた。彼が執務室から退去した後、俺はほぉっと息を吐きながら椅子に背中を預けた。


 彼女と話をしていたのはそこまで長くもない時間だったはずが、まるで一日中寝ずに仕事をした後のような倦怠感が全身を襲ってきた。圧倒的な情報を受け止めた脳が悲鳴を上げそうになり、圧倒的な心労を検知した胃が明らかにキリキリとしているだろうことは容易に想像できたが、取り敢えず意識の外に追いやり、改めて彼女の話――そしてこの国が置かれている状況について考えることにした。


「……資料だ、兎にも角にも情報が必要だ」


 俺は椅子から立ち上がり、部屋に据え付けられた本棚からいくつか資料を探し出し、それを机の上に広げた。


 軍務府や外務府から渡された、カルニラについての資料、そして諸邦連盟の資料だ。確かにそれらを読み込み、彼らに関することを正確に理解することが、それ即ち有効な打撃になるとは微塵も思わない。しかし、やれることが一つでも存在する限り、全ての試みをやり尽くすのが国家に対する責任を負う者の義務なのだ。


 ――たとえ、その行為が徒労でしかなかったとしても。


(カルニラ軍の規模は正規戦力だけで少なくともチザーレ軍の2倍。更に傭兵隊まで勘定に入れれば……少なくとも正面でやり合えばチザーレに勝ち目はない。焦土戦術も含めて持久戦に出て、相手の財政基盤を瓦解させることくらいしか考えられない。しかし、そんなことをすれば民に甚大な被害が……)


 どの資料を見てもカルニラとの戦争への展望が明るくなるようなことは記載されていない。あまり軍事技術が発達していないこの世界において、人員数というのはそのまま戦争になった時の国家の戦闘力に直結する。


 確かに貿易港や海軍の基地に適した良港は存在するが、すぐ傍により強力なライバルであるラグーナが存在するためか、そこまで活発に貿易が行なわれている様子もない。肥沃な土地や高価で取引される鉱物資源のようなものもないため、ただでさえ金のかかる軍拡をした上で戦争が長期化すれば早かれ遅かれ立ち行かなくなることは想像に難くない。


 その時まで耐えれば、カルニラが自壊してくれるという可能性に賭けるのはあり得ない、とまでは言えない。しかし、彼の国の背後にヴィルヘルムの影がある以上恐らく金銭的な支援もそれなりに受けているのだろうし、そもそもその作戦を取った場合国土を焼き払った上での遅滞戦術という戦後の国民感情が最悪のさらにその先を行くようなことをやる必要がある。戦後処理の全責任を取ることになる俺としては、おいそれとは実行できない作戦であることは間違いないだろう。


(独力での防衛は、やはりほぼ不可能か)


 分かり切っていた結論を再確認した後、今度は諸邦連盟の資料に手を伸ばした。一応は俺が最も有力な連携先として注目している彼の国だが、だからと言って彼らが善意で支援してくれているのかと言えば、恐らく答えはNOであろう。


 分厚い資料を捲り、帝国との関係についての項目を探し出し、目を通した。


『シェーン諸邦連盟は、アルマニア帝国の歴史的友好国である。長きに渡って両国は政治・経済的な交流はもちろんのこと、軍事的協力関係も含めて、同盟関係こそ築いていないものの、両国は緊密な協力関係を続けてきた』


 読みながら、俺は胸中に抱いた違和感を改めて強くした。そう、諸邦連盟は帝国の準同盟国であり、少なくとも腹の内を探り合うような関係ではなかったはずである。しかし――リリーの言を信用するならば、諸邦連盟は帝国の内紛に関してかなり積極的に情報を収集している。いや、極めて影響力のある大国の内戦危機となれば、多少は情報を収集するのは当然のことではあるのだが……


 読み進めていくこと数分、俺は遂に目当ての記述に辿り着いた。


『但し、諸邦連盟は1670年に加盟していたエガラント辺境伯及びフェルカソ侯爵領、他十数の貴族領において家中クーデターが続発して諸邦連盟を離脱し帝国に併合された事件について、帝国の内政干渉であると考えている。帝国はこの事件について介入を否定しており、その結果として両国間には極めて巨大な係争地帯が形成されることとなった』


 ……これだ。30年前に起きた明らかに不審なクーデターによって諸邦連盟の国境地帯に位置する貴族領が次々と乗っ取られ、帝国軍に対し治安維持のための進駐を要請。そしてそのまま帝国軍は国境地帯に進駐し、各領に駐屯していた諸邦連盟軍とあわや全面衝突一歩手前まで緊張が高まった。


 その際は、カルケドンとワラシアという大国と対峙している諸邦連盟が帝国との全面戦争は負け戦であると判断して、若干の戦闘の後に国境地帯から撤退したことで戦争は回避された。帝国が進駐した各領の併合したことで再び対立は激化するものと思われたが、互いに連携する戦略的な理由がある――より直接的な言い方をすれば他の味方がいない――両国は矛を収め、事実上併合は既成事実化した。


 未回収のイタリア然り、ノヴォロシア然り、係争地帯を巡る問題について一度は沈静化したと思ってても、内心では国家は相当な間根を持つものだ。表面上は何もないという風を装っていても、それは確実に厄介なしこりとなって残っているであろうことは間違いない。つまり――


「……諸邦連盟は、帝国の内戦に乗じて、国境の『奪われた』係争地帯を回収するつもりなのか?」


 諸般の事情を勘案すれば、自ずとその結論は導き出された。内戦というのは、国家の危機であると同時に――国家の対外軍事力の大幅な弱体化を意味する。国内の敵に向ける銃を、国外へ向ける余裕が存在する国などほとんど存在しないのだ。


 方法はいくつか考えられる。1つ目は直接進攻。国境を守る軍が内戦で不在となり、あるいは混乱したところを突いて係争地帯に進攻し、これを占領する方法だ。これが最もシンプルで分かりやすいが、当然反撃を受けるリスクは存在し、場合によっては内戦終結後に逆侵攻を受ける可能性もある。


 次に考えられるのは、取引による係争地帯の獲得。内戦に加担する勢力のうちの1つ――これは勝てる可能性があり、なおかつ若干の劣勢を強いられているものが望ましい――に対して当該勢力への軍事支援と係争地帯の割譲を交換条件とした取引を持ちかけて、これによって平和的に係争地帯を併合するという方法だ。これならば戦後の復讐戦は考えにくいが、内戦に事実上介入するため、場合によっては直接進攻よりも多くの血を流すことも考えられる。


 3つ目。これは1つ目の方法のアレンジ版だ。係争地帯に工作員を送り込んで反乱や独立戦争を引き起こし、彼らを支援する――もしくは工作員によって意図的に国境を侵犯させこれに対する反撃という名目で軍を送り込み占領する方法。どこぞの図体だけはデカい帝国や連邦が何度も何度もやってきた伝統と信頼の方法である。


「……帝国に対して相対的に友好的な諸邦連盟がそれを望むということは、他の周辺諸国は言わずもがなといったところか」


 極めて巨大な帝国は、その過程で得た領土を巡る国境紛争もまた多い。エスターアルマニア軍政国境地帯において接する西方のシャンパーニュ王国、オストアルマニア軍政国境地帯において接する東方のワラシア、そしてノルデン軍政国境地帯において接する北方のベルナドッテ王国と、帝国が内戦に陥れば諸手を挙げて歓迎する国は多いだろう。


……場合によってはアルマニア分割戦争に発展することすら想定される。流石に帝国とはいえ、内戦の上4ヶ国包囲網を組まれて戦争を仕掛けられれば、音を立ててその統治機構は瓦解する。そうなれば、統治機構を失い投げ出された大陸中央部は膨大な権力真空地帯――無政府主義者アナーキストの理想郷と化す可能性もあるだろう。


 そうでなくとも、内戦に干渉した各国がそれぞれ支持する皇族を立てて帝国を舞台に代理戦争が始まるくらいはあり得る。そうなれば、帝国の属国――当然我が国も含めて、だが――となっている周辺諸国もその影響を無視できない。


「見える未来に希望はなし、か」


 資料を閉じ、俺は椅子の背もたれに体を預けた。内政が軌道に乗り始めたというところで、強大な外敵や宗主国の政治不安といった外部環境の明らかなリスクが顕在化し、一気に公国は危機に陥った。


 内政問題は、俺が努力して公国政府を動かせば、ある程度有効な策は打てるようになった。財政赤字は相変わらずひどいが、内戦後の復興も進み、ラグーナの問題も農商務府からの報告に基づけば、そろそろ本格的なメスを入れることが出来る段階まで来ている。全ては順調なはずだった。


 しかし――こと外交問題となれば、対外的には帝国の保護下にある弱小国の君主に出来ることというのは何もないといっても過言ではない。文字通りアナーキーな国際社会において小国に対する風当たりというのは本当に厳しいのである。


 恐らくここで打てるであろう最善手は、現状最も公国に友好的である諸邦連盟との繋がりを、ベルンシュタイン辺境伯を通じてより強化することなのであろうが、大っぴらに動けば帝国政府から睨まれるし、ヴィルヘルムのことも考えるとあまり下手に動くのは危険だろう。


 とにかく、まずは目の前に迫っている問題に取り組まねばどうしようもない。しかし、レルテスやボルジア伯ら要人の多くは現在帝国に向かっているため、直ちに協議するというのは無理だ。制服組のトップであるクルリアス将軍(内乱後に正式に公国軍司令官となった)を呼び出して具体的な防衛戦略について聞くべきか、などと考えていると、ノック音が耳に届いた。


『殿下、農商務府税務局のガリーニ局長が来られております』

「……通してくれ」


 テレノの声を聞き、俺は資料を片付け、話を聞く体勢を整えた。――もう一つの、やらねばならない案件の話だろう。

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