理想と現実
「見えてきました。あの村です」
「停めてくれ。降りよう」
御者に指示を出しながら、俺は馬車の外へ出る。目の前には、多くの家々が立ち並ぶ集落の姿があった。しかし、村の規模に対して農耕を行っている人の数は少なそうだ。俺が馬車から降りると、護衛の兵士や役人たちもそれに続く。
突然の来訪者の存在を訝しんだのか、村人たちがこちらを見つめていた。すると、その中の一人の男が俺のところへ近づいてくる。
「お役人様ですか、此度は何の御用で……」
「無礼者!この御方は……」
「待て」
兵士が男を咎めたてるのを制止して、俺は前に出た。
「俺は何の予告もなしにこの村を訪れたのだ。それなのにきちんとした礼を要求するのは筋が通っていないだろう」
「しかし……」
「いいんだ。……すまなかったな。俺はハンス・エリック・フォン・ロレンス=ウェアルスという」
そう言うと、男の顔がはっと青ざめる。その後、男を含めた村人たちは慌てて地面に膝をつき、頭を垂れた。
「た、大公殿下であられましたか。大変なご無礼をど、どうかお許しください」
「いや、構わん。それより……ここの村長を呼んできてくれるか」
「はっ、ただいま呼んでまいります」
男は深々と頭を下げると、急ぎ足で村長を呼びに行った。偉くなるというのも考え物だ、と最近よく思うようになった。普通に人と話したくなっても、身分のせいでこうやっていちいち面倒ごとが起きる。『君主は孤独な生き物だ』という言葉が前世でもあったが、猜疑心が強くもない俺でもさすがにうんざりする時がある。
そんなことを思いつつ待っていると、村長がやってきた。
「大公殿下に置かれましては……」
「堅苦しい挨拶は結構だ。それより、何も言わずこのような形で訪問したことについては謝罪しよう。申し訳ない」
「い、いえ滅相もありません。それよりも、本日はどのような用件でこの村に参られたのでしょうか?」
村長はすっかり恐縮しきった様子で尋ねる。まぁ、突然自分の国の君主が来れば誰だって驚くよな……。
「西部地域は戦災を受けてひどい状況だと聞いている。だから視察に来たんだ。どんな状況なのか、できるだけ仔細に教えてほしい」
「かしこまりました。では、まずは村の集会所までおいで頂けますか。そこで詳しく説明させていただきますので……」
「わかった。案内してくれ」
こうして、俺たちは村長に先導されて村の中へと入っていった。
――――――――――
「……村の実情としては、申し上げた通りです。税を減免していただいてありがたいのですが、それでも農民たちの生活は厳しく……」
「そうか……」
村長の話を聞きながら、俺は自らの浅慮を恥じていた。税を減免すれば生活は楽になるだろうと考えていたが、それは大きな間違いだった。税金が減っても、そもそも自分たちが食べる分がなければ農民は飢えてしまう。税を免除しても、彼らが飢えて死んでしまえば意味がない。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
「これは私どもの村で作った茶葉になります。よろしければどうぞ……」
「そうか、すまないな」
そう言って俺は村長の妻からカップを受け取る。かぐわしい香りが鼻腔を通り抜けていった。出された茶を口に含むと、ほんのりと甘い味が広がる。おそらく砂糖が入っているのだろう。おそらくは外国からの輸入品だろうが、相当な貴重品のはずだ。それを惜しげもなく出すとは、なんかこちらが申し訳なくなってくるな。
「……美味しいな」
「恐縮です」
俺の言葉を聞いて、村長が頭を下げた。
その後、俺は村長たちと共に今後の対策について話し合った。内容は主に食料問題である。雨季をもうすぐ迎えるが、未だに作付が終わっていない畑も多いらしい。話を聞く限り、近隣の村々の状況もあまり芳しくないようだった。
このままでは飢饉が発生してしまう。俺は傍らに控える役人に尋ねる。
「国庫の食糧の余剰分は?」
「正確には本府で確かめないと分かりかねますが……大飢饉などに備えた非常用の備蓄には比較的余裕があります」
役人の答えを聞いた後、俺は少し思案し、指示を伝える。
「……分かった。帰ってから農商務卿と話し合わないと確約は出来ないが……今年分の食糧に関しては国庫から提供する方針で行こう」
「えっ!?」
俺の言葉に、役人たちも、村人たちも驚いていた。だが、俺はそのまま言葉を続ける。
「よろしいので……」
「構わん。いざとなれば大公家用に備蓄されている食糧を放出すればよい。俺も公女殿下も、多少減ったところで困らん」
「左様ですか。承知致しました」
役人は俺の言葉を聞くと、何やら話し合った後、村人たちの方を向く。
「殿下のご慈悲に感謝するのだ。ついては、農商務府よりまた役人を遣わす。それまでに、必要な物資を取りまとめておくように」
「はっ!!」
その声と同時に、村長が深々と頭を下げる。そして他の者たちも一斉に頭を下げる。
「ありがとうございます……ありがとうございます」
「気にしなくてもよい。民が苦しんでいるなら身を切ってでも助けるべきだろう」
俺がそう言うと、村長たちは涙を浮かべて感謝していた。
――――――――――
「今日決済していただく書類は以上でございます、殿下」
「分かった」
「これからは夕食の時間となっておりますが……」
「……すまないが、今日はやめておく。しばらく一人にしてくれ」
「かしこまりました」
西部視察から戻ると、農商務府に赴いてバルトリーニ博士に事後報告を行い、農商務府で対応してもらうように依頼しするその後、視察中に溜まっていた書類の決裁や要人との面会を済ませると、すっかり日は暮れていた。
書類決済をサポートしてくれていたテレノが退出し、執務室に一人残された俺は、視察中に訪れた村のことを思い出しながら静かにため息をつく。
「……何が、"民のことを思った政治"だ。前世の俺も、貴族みたいなものだったじゃないか……」
そうつぶやき、自らの浅慮、そして思い上がりを後悔する。君主になり、ある程度の実権を持ったころの俺は『かつて自分も平民だったことがあるから、それを生かして民のことを思った政治を』という理想を抱いていた。そして、そのために動いてきたつもりだった。
しかし――そもそも、前提が間違っていた、ということに俺は気づいた。確かに俺は前世では、貴族制度がない日本に生まれ、一般市民として生まれ育った。そこだけ見れば、『平民だった』というのは偽りではない。
だが、違う角度から見ればそれは大いに異なっていた。まず、前世において俺は『食うに困る』という状況を経験したことがない。飽食の国と呼ばれた日本に生まれ育ち、金さえ出せば基本的に何でも手に入る環境で生きていた。さらに言えば、一般市民だとしても自由に参政権を行使することができ、自由な発言が許された。教育を受けることも、娯楽を楽しむことも、もっと言えばどんな仕事に就くかということすら自由だった。戦争をすることがよくないことだという価値観で生まれ育ち、常に安全な場所で育ってきた。
それは――もはや『貴族』なのではないか?今までずっと平民の味方になれると思っていた自分は、ただただ思い上がっていただけなのではないか?
農民に対して税を減免すれば、彼らの暮らしが楽になると思っていた。今まで学んだ歴史や経済学は、そう教えてくれたから。でも、それは長期的なことしか考えていない愚かな回答だった。戦争で農地が荒れた以上、税を減免したとしても飢えてしまう危険性がある。そんな単純なことも教えてもらうまで気づけなかった自分に、平民の味方気どりをする資格はあるのか?
「はぁ……」
俺は項垂れる。自分が今までやってきたことがすべて独り善がりの偽善に思え、涙が出てきた。瞼を伝うその粒は、次第に大きく、多くなってきた。
「ダメだな……こんなこと考えてる暇があったら、仕事をしないと」
俺は目元を拭い、まだ手を付けていない書類に手を伸ばそうとする。そこで、俺の意識は途絶えた。
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