看病

 大公殿下が倒れた。音沙汰がないことを不審に思ったバロンドゥ侍従官によって発見された彼は、机に突っ伏し、意識を失っていた。


 そして、駆け付けた侍医らによって寝室へと運び込まれた彼は、侍医の診察を受けていた。傍らには宰相のバロンドゥ伯爵や、クレアらも同席している。


「……過労と、寝不足による貧血かと思われます」

「「はぁ……」」


 侍医の言葉に、一同は安堵のため息をつく。ひとまず大事には至らなかったようだ。とはいえ、睡眠時間を削って公務に追われていたのは事実のようで、彼の顔色はかなり悪かった。


「……心配をかけたな。何、大したことはない。今すぐにでも執務に……」

「なりません殿下。最低でも3日間は安静にしていただきます」


 ベッドの上で起き上がろうとする彼を、侍医が制止する。さらに、バロンドゥ宰相も口を開く。


「そうです殿下。執務に対して熱心なのは結構なことではありますが、御身を大切になさってください。我々はそのためにいるのです。もっと頼ってください」

「……すまない。分かった、言う通りにしよう」


 宰相と侍医に諭され、ハンスはようやく大人しく横になった。すると、宰相は今度はクレアに向かって言葉を発する。


「公女殿下、申し訳ありませんがしばらく殿下のお傍についていただけますでしょうか?」

「えっ!?」


 突然の提案に、クレアは驚く。思い返してみれば、軟禁状態から救い出された直後に少し話したり、ラグーナへの馬車で同席したりしたことはあるものの、彼女自身がハンスと話したことはあまりなかった。それほど彼が精力的に働いており、多忙であったということなのであるが。


 先の新体制発足式典で、ロレンス公から頼まれた『ハンスを見守る』という役目を果たす上でも、彼と話す機会を増やし、信頼関係を築いておくことは悪いことではない。そう考えた彼女は、素直に従うことにした。


 こうして、クレアが看病することになったのである。


――――――――――


「……すまないな」

「いえ、私も何かハンスさんのお役に立てたら、と思っていましたので」


 クレアはそう言って、ハンスの額に載せられたタオルを水に浸け直す。書に読み耽り、詩歌に頭を悩ませる生活を送っていたとはいえ、彼女も貴族の娘である。将来どこかの家に嫁ぐことを考えれば――多くの場合は付き人がすることになろうとは言え――当然こういった家事のスキルも、幼いころから身につけてさせられてきた。


「お加減はいかがですか?熱はまだ高いみたいですけど……」

「ああ、だいぶ楽になってきたよ。ありがとう」


 そう言いながらも、ハンスの顔色は相変わらず優れない。それもそうだ。これまでずっと働き詰めだったところに、急に倒れてしまったのだ。身体の方はともかく、精神的に参っていてもおかしくはない。しかし、それでもなお政務を続けようとする姿勢は、彼の生真面目さ故のものだろうか。


 しかも、寝込んでいるときに『自分は……民のためになっていないのではないか……』となどうなされていた。……もしかしたら、先の西部視察で民に何か言われてしまったのかもしれないが、クレアの目から見ても彼は十分すぎるほど頑張っている。問題は恐らくそのことを彼が自覚していないことだが……


 しかし、そんなハンスの姿を見ていると、ロレンス公や彼自身が言う『帝国時代の怠惰な彼』がまるで想像できない。クレアはふと疑問を抱き、彼に尋ねてみた。


「あの……」

「ん、どうかしたk……痛たた」


 クレアの声に応じて起き上がろうとしたハンスは、顔を歪めて腹を押さえる。慌ててクレアは再び横にさせた。


「あ、いえ。少し聞きたいことがあっただけです」

「そ、そうか……」

「その……ハンスさんの過去、と言ったら少し大仰ですけど、ハンスさんが帝国にいたころのことについて聞いてみたいなと思って」


 ハンスは、今ではこの国の大公という立場にあるが、元は帝国の皇族である。帝国の影響を色濃く受けるこの国に生まれ育った身としては、彼の身の上話に興味があった。


「……そんなに面白いものではないぞ」

「人の物語に、面白くないものはありませんよ。少なくとも私は、そう思っています」


 クレアの真剣な表情を見て、ハンスは観念したようにため息をついた。そして、ゆっくりと口を開き始めた。


「何から話そうか。生憎昔話をするような年じゃないもんでな」

「うーん……あっ、そうだ。ハンスさんは、帝都の学校に通われてたんですよね?」

「まぁ、そうだな」

「どんな感じだったんですか?」

「どんな感じ、か」


 クレアの問いに、ハンスは遠い目をしながら答えた。もちろんチザーレにも学校はあるのだが、クレアは若干過保護気味であった父の意向もあり、貴族学校には通わず宮廷での教育を受けてきた。なので、貴族の子弟が通うような学校の様子には興味があった。一方、ハンスは顎に手を当てながら考え込むと、ぽつりと話し出した。


 彼は少し照れ臭そうに話してくれた。勉強は大変だったが、様々な知識を得ることが面白かったこと。年に幾度かある行事の話。皇族としてではなく、一生徒としての体験談。そして、親友と呼べる友人がいたこと。


 他の話もしてくれた。帝国の風土や文化のこと。特に彼にとって重要なことなのか、やたらと食文化について語っていた。また、彼の従兄――ロレンス公の話も出てきた。……会った時はただの好青年のようにしか思えなかった彼だが、結構な遊び人だそうだ。


「……で、従兄上が侯爵令嬢を連れて離宮に訪ねてきてな。しかも3人連れで」

「3人も!?」

「さらに俺に『この3人のうち、誰が一番好み?』とか聞いてきたんだ。あの時は本当に焦った」

「へぇ~……」


 クレアは少し呆れた様子で苦笑しながらも、ハンスの顔を見る。


(いつもはとても大人に見えたけど、やっぱり私と同じくらいの、少年らしいところもあるんだな)


 帝国にいた頃の話をする彼の顔は、とても生き生きとしていた。きっとそれは、彼が本来持っていた素の姿なのだと、クレアは思った。その後も、彼女はハンスに質問を続けた。帝国時代にあった流行りの服や、人気の歌劇のことなど、彼が知っていることを片っ端から聞いた。


――――――――――


 気付けばすっかり日が暮れていた。クレアはようやくそこで、自分がいかに無茶なペースで話し続けていたのかに気付いた。慌てて彼女は平謝りする。


「す、すみません!私ってばつい夢中になっちゃって……」

「いや、いいさ。ただ……君がこんなにお喋りだとは知らなかったな」

「えっと、その……ごめんなさい」

「冗談だよ。むしろ気が晴れた。ありがとう」


 ハンスはそう言って微笑んだ。その笑顔を見て、クレアはある確信を得た。その上で彼女は、退出する前に彼に声をかける。


「そう言ってもらえるなら良かったです……。あの、殿下……いえ、ハンスさん」

「ん?」

「余計なお節介かもしれませんけど、あまり無理はしないでくださいね。私でよろしければ、いつでもお話を伺いますから。それと……ハンスさんは、民のことを思って十分に頑張っていると、少なくとも私はそう信じてますよ」


 ハンスはその言葉を聞くと、一瞬目を丸くした後で、ふふっと笑い声を漏らした。


「分かった、ありがとう。……次は君から聞かせてくれよ」

「……はい!」


 クレアは元気よく返事をし、そっと部屋から退出した。

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